時流遡航

《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――その実景探訪(9)(2019,02,01)

(ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学へ)
 古代ギリシャの哲学者プラトンは、幾何学を中心とした数学的世界のなかに、絶対的な真理と調和性・整合性を象徴するような究極の理念とを求めようとしました。人間社会のあらゆる規範や教義を含めたこの世のすべてが絶え間なく流転するなかにあって、幾何学のもつ諸原理だけは極めて明晰で永遠に不変不滅な存在にも思われたからなのですが、時代的背景を考えると、それはやむを得ないことだったのでしょう。
その後に登場し「幾何学原論」を著した同じく古代ギリシャの数学者ユークリッドが、「幾何学原論」を著してユークリッド幾何学と呼ばれる理論体系を完成させると、一連の定義・公理・基本定理に始まるその緻密な幾何学の教義は絶対的なものとして広く世に君臨するようになりました。そして、19世紀に至るまで、その学術体系は揺るぎなきものとして脈々と継承されてきたのです。ユークリッド幾何学の根底を成す代表的な絶対概念の事例としては、「ある直線があるとき、その直線外の一点を通りもとの直線と平行な直線は一本しか存在しない」とか「三角形の内角の和は常に一定(通常の角度の定義に基づけは180度)である」とかいったものが挙げられるでしょう。
 しかし、19世紀に入ると、ロシア人数学者ニコライ・ロバチェフスキーやドイツ人数学者ベルンハルト・リーマンといった異才の数学者が現れ、ユークリッド幾何学が成り立つには限定的な条件が必要なこと、そして、その制約を超越したところでは従来のものとは異なる新たな幾何学が成立し得ることを立証したのです。それはまさに、古代ギリシャから近世に至るまでの間、絶対的真理として受容されてきた幾何学体系を根底から改める出来事なのでした。
 ロバチェフスキーやリーマンは彼らの提唱する新たな幾何学に曲率の概念を導入しました。そしてそのうえで、ユークリッド幾何学が成り立つのは曲率が0の平面や空間、すなわち究極の理想平面や理想空間の存在を前提としたときのみ、その平面上や空間内において成り立つものだと考えたのです。
彼らが新たに提唱した幾何学は、現代においては非ユークリッド幾何学と呼ばれています。正の曲率や負の曲率(その絶対値は一律ではない)をもつ平面や空間を想定し、そこにおける新たな幾何学理論を展開した彼らの研究は、当初、ユークリッド幾何学を絶対視する人々からの激しい批判や嘲笑に晒され、学術界からも拒絶されたりしたものです。今では数学分野ばかりでなく物理化学の世界でも必要不可欠な理論として受け入れられ、各種宇宙論や量子論を根底で支えてもいるのですが、そうなるまでにはそれ相応の時間が不可欠だったのです。 
非ユークリッド幾何学、なかでもフリードリッヒ・ガウスの弟子であるリーマンの唱えた曲面幾何学(リーマン幾何学とも呼ばれる)を真っ先に評価し、それに飛びついたのは、他ならぬ世紀の天才物理学者アルベルト・アインシュタインその人だったのです。斬新かつ壮大な時空四次元論を構想するなかで、ユークリッド幾何学を中核とするそれまでの数学概念では自らの理論を的確に記述展開することが不可能だと苦悩していたアインシュタインは、リーマンの唱える革命的な幾何学がその難題を解消してくれることに気づいたのです。重力波の存在や重力による時間空間の歪み、光の特異な性質などを論じ一世を風靡したアインシュタインの相対性理論の誕生は、非ユークリッド幾何学の登場なくしては起こり得なかったと断言してもかまわないでしょう。
(曲率が正の曲面と負の曲面)
 極めて深い思考と認識を求められる非ユークリッド幾何学の本質をここで詳しく説明することは不可能なのですが、ごく特殊な事例を挙げながらそのほんのさわりを述べてみるくらいのことならできるかもしれません。正の曲率をもつ曲面の典型的な事例は球面や回転楕円体の表面です。球面の場合にはどこにおいても曲率は一定ですが、回転楕円体の表面の場合には部位によって曲率は連続的に変化し、一定ではありません。曲率が正の曲面上における直線は、ユークリッド幾何学の場合と同様に「任意の2点間をその曲面に沿って結ぶ場合に最短距離となる線」と定義されることになります。たとえば地球の表面のような球面上においては、大円(球の半径と同じ半径をもつ円)上の任意の2点を結ぶ円弧が直線に相当することになります。また球面上の1点を中心にして円を描き、その円弧を360等分したときに隣り合う2点と元の円の中心とを繋いでできる角度がこの場合の1度と定義されることになります。丸みのあるその角度の様態は、食用に切ったスイカの表皮の尖った先端部の形状を想像してもらえばよいでしょう。
 ところで、このように定義された直線をもとに正の曲率をもつ曲面上に平行線を描こうとしても、描くことはできません。延長すればそれら2直線は必ずどこかで交わってしまうからで、球面に象徴されるような曲率正の曲面においては平行線は存在し得ません。また、この種の曲面上で三角形を描くと、その内角の和は180を超えるばかりか、一定値をとることもありません。そうなると、ごく限られた状況を除いては、合同や相似という概念も成り立たなくなってしまうのです。地経の表面はほぼ球面を成していますから、我われが地上に描く平行線や三角形もまた、厳密に考えるなら同じ状態にあるというわけです。
 一方、負の曲率をもつ曲面は、能楽などで用いられる鼓(つづみ)の側面に見るような中央部が両端より細くへこんだ感じの曲面に代表されます。球面の場合と同じ定義に従って負の曲率をもつこの種の曲面上に直線を描くと、撓んで張られたロープのような状態になるのですが、その直線外の一点を通り、元の直線と平行な直線(交わらない直線)は無数に存在することが知られています。なお、少々話が難しくなりますが、その曲面上に描かれる三角形の内角の和もまた一定値をとらずに各辺の長さに応じて変化し、3辺の長さが大きくなればなるほど小さくなるという予想外の奇妙な様態を示すことになるのです。
 相対性理論や量子論に基づく現代物理学の世界では、それら正負の曲率をもつ平面や空間が複雑かつ連続的に錯綜し合う超巨大空間、あるいは超微小空間の存在を当然のものと想定し研究を進めるわけですから、直観的にそれを理解するのは容易ではありません。ただ、ここで強調したいのは、科学的思考や研究の根底をなす数学でさえも、時代とともにその絶対性を失い変化していかざるを得ないという事実なのです。ある命題を否定すると矛盾が生じることを示し、それゆえ当該命題は正しいとする証明法は背理法と呼ばれています。しかし、ある命題を否定するにはその命題を有意とする暗黙の前提が存在しなければなりません。この堂々廻りもまた数学理論の不完全さを物語っているのでしょう。

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