(衝撃的な言葉を残し彼女は立ち去った)
研究生活の本格化に伴い多忙を極めるようになった私は、ボランティア活動と夜警のアルバイトの双方に最終的な区切りをつけることにしたのだが、その直前のこと、何とも遣り切れない不測の事態に遭遇することになった。忘れようにも忘れられないその衝撃的な想い出は、今もなお折あるごとに鮮明かつ強烈に己の脳裏に甦ってくる。
汐崎荘には当時ある女子中学生が住んでいたが、極めて頭脳明晰なしっかり者で、しかも抜群の容姿をそなえていたので活動仲間内でも評判の存在だった。学業成績も優秀そのもので、日々向上するその学力の程には目を見張るばかりだった。そして、活動仲間の誰からともなく、その子を高校に進学させてやれないものだろうかという話まで出るようになった。そこでその思いを実践しようということになり、皆はそのための資金集めや協力者探しに取りかかった。将来に夢と希望を抱きながら生きてほしいと願い励ます意味もあって、それとなくではあったが、その子には皆で高校進学をサポートする意向である旨を伝えおいた。また彼女のほうも、そんな我々の思いに快く応じてくれている感じであった。
だが、予想外の異変が起こったのは、彼女が中学3年生の二学期半ばを迎えた頃のことだった。急に彼女は我々のところにまったく寄りつかなくなってしまったのだ。事情がわからず困惑した我われは彼女の近況を把握しようとしたが、一向にその詳細は判明しなかった。もしやと思い当たった私は、相変わらず一帯で番を張っていたM少年を呼んで彼女の消息を訊ねてみた。するとMはこともなげに、「ああ、あいつ、俺の大兄貴のコレ!」と言いながら、右手の小指を一本立てて見せたのだった。信じ難いその一言に我が耳を疑いもしたが、Mの言葉に偽りはなさそうだった。活動仲間にその事実を伝えると誰もがショックを受けたようだったが、だからと言って何か手の打ちようがあるわけでもなかった。
それからほどないある日の夕刻、ボランティア・ルームにいた私は、小洒落た服を身に纏ったその女の子が何処かへ出掛けていくところを偶然目にとめた。そこで、すぐに活動仲間の一人とともに外に飛び出でると、一定の距離をおきながらその姿を追尾した。彼女は周辺の運河に架かる橋のひとつを渡ると近くの公衆電話ボックスに立ち寄り、何事かを確認するかのようにどこかへ電話を掛けた。そして、ボックスを出るとまたゆっくりと歩き出した。
彼女が行き着いた場所は地下鉄東陽町駅に近い一角だった。現在の同駅周辺には近代的なビルや洒落たお店が建ち並び往時の面影など皆無だが、かつてその近辺一帯には暗紫色の照明に包まれた「連れ込み旅館」、今風に言えばラブホテルが何軒も並んでいた。遠目に様子を窺うと、彼女はそんな宿の一軒の前に立ち、誰かと待ち合わせている感じだった。そして、しばらくすると、サラリーマン風の男が現れ、彼女と何やら立ち話をし始めた。二人は初対面らしくお互いを確認し合っている感じだったが、状況的に見て二人がすぐそばの宿に入ることは間違いなかった。彼女はMの上役筋の人物に囲われていたばかりでなく、その時すでに売春にも身を投じていたのである。現場を押さえた我われは、二人が宿に入る寸前にそのそばに駆けつけ彼女を引き留めた。突然の展開に驚いた相手の男は一瞬戸惑いを見せたが、即座に状況を察知したらしく、無言のままその場を立ち去って行った。
(別世界の人の同情なんか無用)
我われの姿を目にした彼女は、しばしその場で泣き伏した。そして、一旦は「汐崎荘に戻ってゆっくり話そうよ」というこちらの言葉に従い、来た道を戻り始めた。しかし、彼女が毅然として開き直り、涙を振り払いながら、凄まじい形相で我われ二人を睨みつけたのは途中の橋の上でのことだった。折しも東の空から立ち昇った満月の光の中に浮かぶその姿には、自らに降りかかる悲運のすべてを敢えて受け入れ、それらに耐えて生き抜く「美しき魔女」とでも形容すべき迫力があった。
「あなた方は、所詮、こんな私なんかとは別の世界に住む人間なんです。そんなあなた方に、こんなところで育った私のいったい何がわかるっていうんですか!」――いきなりそう言い放つと、堰を切ったかのように彼女は一気にその胸の内を吐き出した。
「自分が今何をやっているのか、そして、こんなことをやっていたら先々自分の身体がどうなってしまうのかくらいのことは、あなた方に言われなくてよくわかっているつもりです。でも私は、中途半端に同情を寄せてくるあなた方のようなよそ者のお世話になんかなりたくないんです……どんなに辛くても自分の力で生き抜いていきたいんです。いまでは父親は飲んだくれの能無しになってしまったし、弟は病弱でまともに学校も行けてないけど、たとえそんな家族でも、私は私なりに面倒を見ていかなければならないんです!」
そして、あまりの気迫に圧倒され、すぐには返す言葉も見つからず対応に窮する我われに向かって、彼女はさらなる厳しい一言を浴びせかけてきた。
「あなた方は私を高校に進ませてやろうとかなんとか、私の思いも知らず一方的に勝手なことをしてくれようとしていたけれど、こんなところで育った私がたとえ高校を出たとしても、どんな道が開けるっていうんですか。お里が知れてる私にまともな仕事なんか見つかるはずもありません。そもそも、私が高校へ行ったりしたら、その間、いったい誰が家族の面倒を見てくれるっていうんですか。もう、一切、私にはかかわらないでください。これ以上あれこれとまとわりつかれたら、かえって迷惑なんですから!」
その一語一語の響きと断固たる立振舞いには、とても中学3年生のものとは思われない凄味があった。そして、はからずも、その一連の言動は彼女が内に秘め持つ本質的な能力の高さを物語ってもいたのだった。彼女は、そこまで言い終えると、我われ二人を橋上に残したまま、汐崎荘のある方とは逆の方角へと足早に立ち去って行った。明るい月光に照らし出されたその顔に一瞬大粒の涙のようなものが煌めいていたのを私は見逃さなかった。そして、それが、私が目にした彼女の最後の姿であった。
社会保障などがまだ不完全だった時代のことゆえ、真摯に彼女を支えるつもりなら、その全ての状況を承知で四六時中寄り添い、将来的には結婚をも考えるくらいの決意が必要なはずだった。しかし、そんな覚悟など持ち合わせない身としては、一人の人間に心底救いの手を差し延べることの至難さを痛感するばかりだった。そしてそれ以来、社会福祉活動は偽善でかまわないし、自分が無理なくできる範囲のことをするしかないと考えるようになった。あの時点では、Mの兄貴分なるその筋の人物のほうが我われなどよりもずっと現実的に彼女を支えていたということでもあったのだろう。なお、その汐崎荘は、ずっとのちのことだが、帰国した中国残留孤児の住居施設へと衣替えしたとの話である。