時流遡航

《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――その実景探訪(1)(2018,10,01)

(足を止め、思考の遊路沿いの実風景を楽しむ)
 これまで「哲学の脇道」なるものを足早に巡り歩きながらその概観を覗き眺めてきましたが、そろそろこのあたりで少しばかり遊行の歩速を緩め、その脇道沿いに広がる個々の風景をゆっくりと楽しんでみることにしましょう。また、時にはその場に立ち止まったりもしながら、とくに気を惹かれる情景の深奥などを状況の許す限りじっくりと探訪してみることにしましょう。もちろん、あくまで遊行の範囲内でのことですから、それが即刻何かの役に立つというようなものではありませんが、日常性から少しばかり離れたところでの思考トレーニングとしては多少の意義を感じてはいただけるかもしれません。
実学優先の昨今では、「教養」というものが無意味かつ無用なものだと見做されがちなのですが、当世流行のAIシステムなどが先々現在の我われの日常業務の大半を代行するようになった場合などに、人間精神の存在意義をしっかりと蔭で支え、命あるものとしての生甲斐を与えもたらしてくれるものがあるとすれば、それは「教養」にほかならないのではないかとも思われてくるのです。 
そもそも、人間というものは経済的な意味での実生活には直接役立たないようなものに心惹かれる習性を具えています。日々厳しい実務労働を重ねながらその対価として貯えた金銭を、各種旅行、演劇映画や音楽の鑑賞、諸々の趣味など、直接には生産性に結び付かない事柄、すなわち「遊び」に投入する行為などは、おのずからその事実を物語っていると言えるでしょう。そこで、この遊行を進めるに際してもここで一段と開き直り、遊びの精神を剥き出しにしながら、「教養」ならぬ「狂養」の世界にしばし耽ってみることにしたいと思います。何の有益性もないことを承知のうえでお付き合い願えれば幸いです。今後に続く「哲学の脇道遊行紀」の実景探訪の旅路に唯一の救いがあるとすれば、完璧かつ当然至極と思われている数々の教えや事柄にも、必ずそれなりの不備や問題点が数鵜多く秘められているという事実に気づいてもらえることかもしれません。
 哲学の脇道遊行の足の運びをしばし止めて眺める最初の風景としては些か馴染みにくいものかもしれませんが、簡単な図形の問題やその根底に潜む角度の問題をまずは考えてみることにしましょう。
 正三角形、正四角形(正方形)、正五角形、正六角形、正八角形などを見たことがない人はまずいないことでしょう。正九角形や正十角形はあまり見かけないかもしれませんが、それらを描いてみることは難しくありません。基本となる円の円周をそれぞれの中心角が40度となるような9個の円弧に分割し、各分割点を直線(弦)で結べば正9角形が出来上がります。同様に、円周を各円弧の中心角が36度になるような10個の弧に分割し、各分割点を直線で結べば正十角形が完成します。
 それが何だと思われる方も多いでしょうが、話の核心はこれからです。では、ここで、「正七角形を描いて欲しい」という課題が与えられたとしてみましょう。この風変わりな課題に我われはどう取り組んだらよいのでしょうか。日常生活のなかにおいて正七角形を目にした人は皆無に近いのではないかと思われます。それは面白そうだというわけで、自らそれを描いてみようとする人があったとしても、すぐにその手を止めてしまうに違いありません。正七角形が描かれたと仮定した場合の各辺に対応する中心角を表す数値は、論理上、360÷7=51.428571…と、428571という数列が無限に繰り返される循環小数になってしまい、前述した他の正多角形のそれのような整数値にはならないからです。この段階で正七角形を描くのを断念するばかりでなく、もしかしたら、この世に正七角形なんか存在しないのだと早合点してしまうような人さえも現われるかもしれません。しかし、ここで思考停止してしまうわけにはいきません。
(角度の定義やその意味を探る)
では、いったいこの問題をどのように考えたらよいのでしょうか。そこで少し発想を転換し、全円周が280度に定められた通常とは異なる分度器があったとしてみましょう。その場合、直角は70度、2直角すなわち直線状に開く角度は140度ということになります。ところで、この特殊な分度器を用いて正七角形を描くとすると、その一辺に対応する中心角を40度に設定すればよいわけですから、容易にその目的を達成できることになります。ところが全円周を270度に設定したこの新たな角度の約束に従うと、正三角形の一辺に対する中心角やひとつの内角を表す数値は、それぞれ、280÷3=93.3333…や280÷6=46.6666…のようになり、甚だ厄介なことになってしまいます。
 それでは直角を25度、全円周を100度に設定したらどうでしょうか。実際、特殊な業務分野などではそのように約束された角度が用いられることもあり、それなりの実用性もあるようなのですが、この場合にも、正三角形の一辺に対する中心角やひとつの内角を表す数値は、100÷3=33.3333…や100÷6=16.6666…という循環小数になってしまいます。では、直角を180度に全円周を720に設定してみたらどうでしょうか。現行の360度の2倍の整数目盛を持つこの角度の約束は、多くの約数をもち、精度的にも高まりはするものの、日常的な生活の場で用いるには必要以上に細かすぎ、また、諸々の図形表現に伴う角度の数値が大きくなりすぎて教育現場には不向きという一面も生じてきます。
 古代においてのことですが、天体の運動やそれに基づく時刻などを的確に把握したり表示したりするために、角度の概念やその定義は生み出されたようです。そして、その過程において全円周を12等分したものが主流となっていったのは、初等的幾何学手法による分割の容易さ、理解のしやすさ、ほどよい実用性の高さなどがあったからなのでしょう。現在主流となっている全円周を360度と定める定義は、12方位の角度概念の延長上にあるものだと考えられます。12分割された円弧をさらに30分割することによって、現在我われが慣れ親しんでいる1度という実用度の高い角度が定められたというわけです。
 ここで重要となるのは、角度というものには様々な定義の仕方があり、必要ならばどのように定義しても構わないという事実です。長さや重さの基準には、尺貫法、メートル・キログラム法、ヤード・ポンド法などがあり、それらは互いに異なりますが、実は角度に関しても同様のことが言えるのです。要するに、計測用の諸単位や数式用の諸記号言語を含むこの世のすべての言語の根底には、必ず「定義」が存在しているのです。そして、その定義の本質や適否を柔軟な視点から考察することが重要となるのです。後述することになりますが、その視点に立てば誰でも正七角形を描くこともできるようになるのです。

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