時流遡航

《時流遡航260》日々諸事遊考 (20)(2021,08,15)

(自分の旅を創る~想い出深い人生の軌跡を刻むには――⑪)
(自らの旅のスタンスを顧みる)
 これまでもあちこちで、心に残る旅をするに際しての、ささやかな自分の信念みたいなものを述べ綴ってはきたのですが、この際ですから、いま少し明確なかたちにそれらを整理してみようと思います。ただ、この種の信条はあくまでも個人的な生活感や人生観に基づくものであり、人それぞれに異なって当然のものではありますので、こんな考え方をする一風変わった人間もいるらしいという程度に受け止めて戴ければ幸いです。人生の旅路と同様に、現実の旅もまた千差万別であって当然なわけですから……。
 駄文の随想や紀行文を綴り始めるようになった人生のある時期から、私自身の旅のスタンスの取り方はそれ以前とは大きく変わっていきました。それまでは、旅というものは、自分の日常生活の基盤や日常的思考の原点となっている住み慣れた場所を一時的に離れて、折々の出遇いを楽しみながら異なる風土の地を気軽に廻り歩くことだと考えていました。その必然の流れとして、何時も心の奥には、旅を終えたら帰るべき場所があり、常にその地を不動の支点に定め置きながら、旅先での諸々の行動を続けているのだという強い自覚も存在していました。しかしながら、西行や芭蕉、さらには山頭火のような先哲らの旅への思いを知ることが契機となって、喩え不完全なものではあっても、なるべくなら その時々、その一刻一刻に自らが立つ場所を自身の精神思考の原点とするように心がけてみようと考えるようになっていったのです。
一見大した違いはなさそうに思われるかもしれませんが、そんな思考に基づく視点に立つことによって見えてくる旅先の風景は、期待していた以上に感銘深いものへと変容していきました。従来ならごく平凡なものに見えていたはずの事物などが、それまでとは違ってとても重要な存在に感じられるようにもなったのです。また、そうすることによって初めて認識できるようになった諸々の風物や事象の奥深い背景などを、しっかりとした言葉によって表現したり書き留めたりすることが可能になっていきました。文字通り、目から鱗が落ちるような体験でもあったのです。
 さらにまた、旅先にあっては、24時間単位で思考したり行動したりする日常的習慣を意図的に放棄し、その時々の道行きのもたらす自然な流れに身を委ね、行く先々の風物との心の対話を楽しむようにも心掛けました。もちろん、それは単独行動、あるいはそれに近い行動をとるような旅の場合に限られることではあって、集団旅行のようなケースにおいては到底無理な話ではあるのですけれども……。旅先でも日常的な時間通りに朝、昼、晩の食事を取ることにこだわったり、起床や就寝の時間、入浴時間などもなるべく通常の慣習に従ったりしようとすると、大自然の繰り広げる壮大なドラマや、その地でなければ遭遇することのできない珍しい事象などを見落としてしまうことも少なくありません。とくに朝日や夕日、折々の月影、季節の星座などが演出する荘厳かつ神秘的な自然の景観を目にしたり、漆黒の闇の中ならではの、真の意味での五感相互の連携的躍動の有様を実感したりするには、日常的な時間感覚を放棄するしかありません。
また、始めから目的地を定めずにその時々の気の向くままの道程を選んだり、行けるところまで行き、休みたくなったらそこで休んだりするといったような自然体の旅の仕方も必要かもしれません。私自身の経験からしますと、一見無計画なそんな旅路を通してこそ、生涯忘れ難い人物との出遇いや、思いもしていなかった事象との遭遇に恵まれるものだと言えるような気がしてなりません。もちろん、そのような場合には、喩え車を利用するような旅ではあっても、当然それなりの貧乏旅行にはならざるを得ないでしょうし、また、それゆえにこそ貴重な体験に満ちみちた旅へと繋がってもいくわけなのです。
(意図的にカメラの使用を自制) 
 これもまた意外に思われる方が多いかもしれませんが、私は、ある時期以降はカメラによる旅先での風物の撮影を極力控えるようになりました。若い頃は常にカメラを持ち歩き、様々な風物を撮影しては懐かしんだり悦に入ったりしていたものですが、その時を境に、学術記録としての特殊用途などのようなそれなりの理由や必要性がないかぎり、旅先で写真を撮ることはなくなりました。その理由は、自分のような素人がカメラを持ち歩き、幾ら写真を撮ってまわってみたところで、行く先々の地方に特有な大気の流れや風の囁き、光の煌めきや淀み、諸々の風物の織り成す玄妙な光と翳のドラマなどを的確に捉えることはできない――カメラ撮影に夢中になる余り、却って、絶え間なく変容し続ける諸事象の重要な部分を見落としたりしてしまう――そんな思いが強く湧き上がってきたからでした。
いま少し言い方を変えるならば、ささやかながらも物書きの端くれとして生きる今の自分のやるべきことは、心の広角レンズや感性の遠近両用レンズを丹念に磨き上げ、それらによって捉えたものを心象風景として心の印画紙に焼き刻みつけることであると考えたような次第でした。その結果、各地の風物写真の類は撮影のプロのカメラマン諸氏にお任せするとして、自分は専ら、心中深くに焼き刻みつけた印象的な諸々の風物や事象を拙いながらも文章表現というかたちにして残すことに努めるようになったのです。
 そのかわり、旅先などでは思い着くままに克明なメモなどをとるようにし、折々下手なスケッチのようなものまでをも残すようになりました。写真とは違って、胸中に湧き上がるいろいろな思いを噛み締めながら少しずつ筆を執って仕上げるスケッチの場合には、後日それを目にすることによって、その一本一本の線の奥に隠された風物や事象の詳細が生き生きと甦ってもくるからでした。他人の目からすれば下手そのもののスケッチではあっても、のちのちそれを描いた自らの記憶を呼び起こすには十分で、紀行体の文章を執筆するようなときには、それがとても役立つことを学んだようなわけでした。
また、その経験を通じて、プロの画家たちにとってスケッチというものが如何に重要なものであるかを理解することもできました。画家たちにとってのスケッチは、単なる下絵などではなく、それを構成する諸々の線や点は、描画対象物の形状や色彩についての記憶を鮮明に蘇らせるために不可欠な、当人にしか判らない特殊記号あるいは暗号的な存在でもあると知ったのです。水上勉作品の装丁画や挿画の数々を担当したことでも知られる若狭の画家で今は亡き渡辺淳さんとは、いろいろな所へよく一緒に旅をしたものでした。旅の途中、渡辺さんは車中などでも折々簡単なスケッチをなさっていたものですが、のちにそれが見事な風景画へと昇華する有様を何度も目にし、画家にとってのスケッチが何たるかを教えられもし、熟知もさせられたような次第でした。

カテゴリー 時流遡航. Bookmark the permalink.