時流遡航

《時流遡航》エリザベス女王戴冠式と皇太子訪英(2)(2014,09,01)

 日本の皇太子(現天皇)の訪英を間近にして英国内では反日ムードが高まり、タブロイド紙上などでは半ば煽動的にその動きが報じられるようにもなった。当然、在英日本人関係者の懸念は少なからざるものとなり、お出迎えメンバーの一人に予定されていた石田にすれば、事態の進展を楽観視してばかりもおられなくなった。だが、幸いなことには、石田が内心で密かに期待していたようなことそのままの展開が起こったのだった。
(英王室からの特別メッセージ)
 日本の皇太子のサウサンプトン港到着を翌日に控えた4月26日、バッキンガム宮殿から、エリザベス女王直々の特別メッセージが英国民に向けて発表された。そのメッセージは、「この度の戴冠式参列のために訪英してくださる各国の国賓の方々は、どなたも私の大切なお客様です。英国民の皆様には、その遠来のお客様方を温かく迎えてくださるように心からお願い申し上げる次第です」という内容のものであった。日本の皇太子の訪英に直接言及したメッセージではなかったが、その翌日にイギリスに到着する予定の国賓は日本の皇太子だけであったことからすると、そのメッセージが過度な反日運動に警告を発し、その沈静化を促すものであることは明白だった。
 外国人賓客に対し温かくそして節度ある行動をとるようにと国民を促すそのメッセージに続いて、皇太子の到着当日の朝になると、エリザベス女王と皇太子殿下との特別会見の日時がバッキンガム当局によって公表された。そして、驚くべきことに、バッキンガム当局からの一連の発表を境にして反日を謳う前日までの不穏な動きは嘘のように鎮まったのだった。もちろん、それは英王室と英国民の間に長い時間をかけて築き上げられた深い信頼関係のなせる賜物にほかならなかった。
 クイーン・エリザベス号入港の前日になると、松本俊一駐英大使以下の大使館員、NHK派遣の藤倉修一アナウンサー、そしてBBCの石田達夫ら総勢10人弱の要員はサウサンプトンへと向かい、皇太子をお迎えする準備を整えた。もっとも、準備とはいっても今日のそれからは想像もつかないほどに地味でささやかなものだった。もちろん、英王室からはエリザベス女王の名代として皇太子出迎えのために高官が派遣されることになっていたが、だからといって英当局がものものしい警戒態勢を敷くようなことはけっしてなかった。
 8万トンを超える当時世界一の巨大豪華客船クイーン・エリザベス号は、大西洋横断の航行を終え、おもむろに母港のサウサンプトン港に接岸した。クイーン・エリザベス号の偉容についてはかねがね噂に聞いていのだが、実際にその華麗な船姿を目にするのは初めてのことだった。見上げるようなその巨体の圧倒的な迫力に、藤倉も石田もひたすら息を呑むばかりだった。
松本大使の特別なはからいにより皇太子の待つクイーン・エリザベス号の内部に立ち入ることが許可されたので、取材機器を携えた藤倉と石田は松本大使のあとに続いてタラップをのぼっていった。クイーン・エリザベス号の船内はすべての点で聞きしにまさる壮麗さであった。かつて小樽・基隆・天津間を繋ぐ船舶にも幾たびか乗船し、また大連と上海を結ぶ客船の一等船客にもなったことのある石田だったが、それらの体験が塵屑みたいに思われるほどに、クイーン・エリザベス号の威風のほどは堂々たるものであった。衝撃的でさえあるその偉容は、まさに七つの海に君臨する女王の姿そのものだといえた。
 松本大使以下のお出迎え関係者はクイーン・エリザベス号船内の皇太子専用の特別室を訪ね、ご挨拶かたがた皇太子の長旅の疲れを鄭重にねぎらった。日本からの随行員は宮内庁から派遣された担当官2人のみであった。藤倉修一と石田達夫とが旅のご感想などについて皇太子に簡単なインタビューをお願いすると、即座にその申し出は快諾された。まだ十九歳になったばかりの若々しい皇太子は、にこやかな笑みを湛えながら、イギリスに至るまでの旅のエピソードなどを楽しそうにお話しになった。
 翌4月28日には、サウサンプトンにおいて英王室並びに英国政府の主催による皇太子の歓迎レセプションが開かれた。英王室や英国政府派遣の貴族や高官に鄭重に迎えられた昭和天皇名代の皇太子は、そのレセプションの場で、心からのお礼の言葉を述べるとともに、過去の不幸な戦争体験を超えて将来にわたる日英間の平和的交流の発展を願う英語の声明文を読み上げた。松本大使に同行した石田と藤倉はそのレセプションにも臨席していたので、もちろん皇太子の英語のスピーチを直接に耳にすることができたが、そのお話しぶりや発音などは実際のところなかなかのものであった。英国の報道関係者たちも取材に駆けつけていたが、皇太子が彼らに与えた印象もおおむね良好なもののようだった。
(日本大使館貴賓室を宿所に)
 サウサンプトンにもう一泊した皇太子一行は、4月29日朝、松本大使夫妻の案内でサウサンプトン始発列車の特別室に乗り込みロンドンのウオータールー駅へと向かった。もちろん藤倉と石田もそのあとを追うようにして大急ぎでロンドンへと戻った。警備上の問題のほか、英国滞在中の皇太子の身辺のお世話や各種歓迎レセプションなどへの対応を滞りなくおこなう必要もあったので、とくに支障のないかぎり皇太子にはケンジントンの日本大使館の貴賓室に宿泊してもらうことになっていた。ロンドン市内の一流ホテルの特別室に極秘に宿泊したり、有力貴族のカントリーハウスに招待されたりすることもあったりはしたが、4月27日の渡英から6月10日の離英までの45日間のほとんどを、皇太子はまだ再機能しはじめて間もない日本大使館の貴賓室で過ごされたのだった。
 幸いなことに、皇太子が渡英して以降、再び反日ムードが高まるようなことはなくなったので、皇太子一行も日本大使館関係者も皆安心してエリザベス女王の戴冠式の日を待ち望むことができるようになった。そのため、5月に入ると文字通り続々と世界各国の国家元首や王族たちが戴冠式出席のため渡英するようになってきたので、日本の皇太子の動向に英国民の目が特別に注がれるようなこともなくなり、その意味でも皇太子一行はイギリス国内において安全かつ自由な行動をとれるようになったのだった。
 皇太子の渡英直後のロンドンでは、松本大使主催の皇太子殿下歓迎会が開催され、日本人関係者ばかりでなく、日本にゆかりの深い英国人をはじめとする欧米人らも多数招待された。もちろん、招待客のなかには知日派のBBCの役員なども含まれていた。藤倉修一や石田達夫ほかのBBC日本語部局員らは、大使館員とも協力し合ってその歓迎会の推進役を務めさせられることになった。

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