時流遡航

第15回 先端光科学研究の世界を訪ねて(7)(2011.6.1)

スプリング8で行われている7分野の基礎科学研究のうち、生命科学と物質材料科学についてはすでに述べたので、残りの分野についてもその概要を記しておきたい。

構造物性科学

物質の構造や機能を研究して新たな物質機能の発見や創出、既知の物質機能のより効率的な利用法の開発、優れた機能をもつ新物質の合成などをめざす分野である。この研究において威力を発揮するのがX線回折・散乱法で、この手法にとって、ビームサイズ(光線束の径)も光の発散度も極めて小さく輝度の高いスプリング8の放射光は無二の存在なのである。この放射光X線を用いれば、極微量の試料からでも十分な強度のシグナル検出が可能で、そのシグナル情報を解析すれば極めて高精度の回折像が得られる。

60~80個ほどの炭素原子がサッカーボール状に結合した極微分子(フラーレン)には1~3個金属原子を内包する異種が存在し、金属原子2個を内包するフラーレンの炭素原子の結合様態は従来の定説を打ち破るものであること、カーボンナノチューブにフラーレンなどの有機分子を挿入すればナノチューブの電気伝導率を制御できること、セシウム原子3個を人工的に内包させたフラーレンは常圧下では絶縁体だが加圧すると超伝導体化することなどの発見は、スプリング8のX線回折装置による研究の成果である。これらの成果は、未来の電子機器に不可欠なナノ集積回路開発への道を拓くものと期待されている。また、これまで絶縁体だと考えられてきたごく普通のセメントの素材を伝導体化、さらには超伝導体化することに成功、その特異な物性を応用することにより、将来、高価で希少な金属類に依存することなく電子部品や電子機器の開発が実現する可能性も見えてきた。

光ディスク・DVD― RAMの「書き込み―再生―消去―再書き込み」の高速プロセスがなぜ可能なのかは近年まで謎だったが、ナノ(10億分の1)秒単位で起こる原子結合の超高速変化を観測できるスプリング8の技術により、その驚くべきメカニズムも解明された。特殊な化合物結晶が規則的に並ぶDVD― RAMディスクのメモリ用薄膜にレーザー光を照射すると、照射された部分だけが一瞬液化し、その直後に室温で冷却され、原子の結合が不規則に歪み固まったアモルファス相に高速変化する。結晶部とアモルファス部は光の反射率が異なるので、結晶部に「0」を、アモルファス部に「1」を対応させると、デジタル情報の「高速書き込み」と「読み取り再生」ができるというわけだ。また、読み取り用レーザー光よりは強く、かつアモルファス相が融解せず最結晶化する程度の強度のレーザー光を照射してやるとデータは瞬時に消去され、再書き込みが可能になる。これら一連のメカニズムの解明は、より高性能な記録システムの開発につながると期待されている。

なお、意外な研究成果としては、非磁性体として知られる金もナノ粒子化すると磁性体になる事実の発見、ヨウ化銀のナノ粒子電解質を用いた全固体電池開発のための基礎技術の確立などがある。これら一連の構造物性研究の成果は、国際的な科学誌に掲載された。

電子物性科学

すべての物質の性質は、それらの構成原子の種類や諸原子間の結合様態によって定まるが、その結合様態を決定しているのは、ほかならぬ電子である。電気伝導性、絶縁性、物質の色合い、光の反射吸収の度合い、熱伝導性、磁性の有無などの諸物性を左右する電子の状態を詳細に分析し、さまざまな電子機器開発の基礎技術を探るのが電子物性研究なのだ。そして、この研究領域でとくに威力を発揮しているのが、スプリング8の放射光を用いた光電子分光法や蛍光X線分析法、X線吸収微細構造解析法などである。それらの解析法を駆使した諸々の電子物性研究は現在世界を大きくリードし、国際的にも高い評価を受けている。

この分野でのスプリング8の研究成果のひとつは、固体の表層部ばかりでなく、新素材開発に不可欠な固体内奥部の電子状態の解明に成功したことだ。また、微小領域での物理的現象を精密に調べる顕微分光法(光電子顕微鏡技術)の研究でも世界の先端を走っている。酸化ニッケルのように、物理学の常識からすると自由電子をもつ伝導体にもかかわらず絶縁体の性質を示す物質「モット絶縁体」の謎解明にも、この施設は貢献した。高温超伝導体や強磁性体などの物性解明にはその物質の最外殻電子の様態を把握する必要があるが、従来の手法で得られる電子情報は不十分だった。しかし、近年、スプリング8の放射光を用いた共鳴X線回折法によって最外殻電子の様相が明らかになり、量子コンピュータの開発にもつながるスピントロニクス素材の創出やその特性研究にも大きく道が拓けてきた。

次世代エネルギー革命のカギとなる室温超伝導体開発は人類の夢であるが、超伝導現象が発現するメカニズムは、なお未解明である。物質結晶中の原子が相互に接近と離反を繰り返す格子振動という現象が主因だとする説、電子同士が強く相互作用しながら電荷を運ぶ異常金属状態(電子励起状態)が原因だとする説などがあって、スプリング8ではそれら両説の検証研究が進んでいる。X線吸収スペクトル測定法の一種メスバウアー分光法は、優れた分析手法であるにもかかわらず、これまで限られた元素にしかそれを適用することができなかった。だが、スプリング8の高輝度放射光と蛍光X線分析法を併用することにより、メスバウアー分光法を従来困難だった元素の分析にも用いることに成功した。この業績は磁性材料科学や地球内部科学などの研究促進に貢献するものと期待されている。

高圧地球科学

従来は、中心部まで約6400キロもある地球の内部の様子を調べるには地震波の解析が唯一の手段とされてきた。ただ、地球内部の諸層の厚みやそれが位置する深さなどはともかく、各層の岩石の鉱物組成や高温高圧下でのその様相を地震波の解析だけで知るのは至難だった。そこに登場したのが、超高圧セル内に圧縮封入した地球内部環境の人工的な再現試料を、スプリング8の放射光によりX線回折分析する手法である。

例えば、地下2900kmにあるマントル層と外殻層の境界域(”D層という)は125万気圧2200℃もの高温高圧環境なのだが、スプリング8の高圧構造物性ビームラインでのX線回折分析により、その部分に未知の鉱物が存在することが判明した。また地下410~660kmにあるマントル遷移層再現実験を行い、この層の主要鉱物特定にも成功した。さらに、300万気圧の環境を再現することにより、天王星、海王星などのような「巨大表氷惑星」の内核を構成すると思われる、新たな構造の二酸化ケイ素鉱物を発見した。

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