時流遡航

《時流遡航308》日々諸事遊考(68) ――しばし随想の赴くままに(2023,08,15)

(早朝の散策を介し遠き日の離島生活を回想する)
 今時刻は午前5時、自宅から徒歩10分ほどの多摩川畔に立ち、独り静かに川面の放つほのかな輝きを見つめている。老い果てたこの身の最後の悪足掻きとでも言うべきか、近年すっかり慣習化した早朝散歩の途上でのことである。健康維持のための早朝散歩と言えば既定ルートを足早に進むのがお決まりだから、多摩川伝いの散歩者の多くは、両岸の堤防上を上流あるいは下流方向へとひたすら歩み去っていく。健康維持には速歩や適切な歩行姿勢が不可欠などと喧伝される昨今にあっては、多くの人々がそんな奨めに倣うのも当然のことだろう。だが、不良老人妄想族を自称する愚身などは、それらの教示など一切無視し、自然体で気ままに一帯を散策するのが己の健康維持には最善だと考えている。
それゆえに、臨機応変散策ルートの変更もするし、のんびりとした足取りで歩みながら、周辺の諸事物に細かな視線を送ったり、様々な自然の営みに心からの関心を傾けたりもしている。草々に覆われた多摩川土手の急斜面を下って河畔に広がる深い草叢や灌木の中を分け歩き、自生する野の草花やそこに棲息している昆虫類を観察したり、それらを手に取って眺め楽しんだりもしている。さらには本流沿いの水辺に足を運び、直接水に手足を浸したり、平らな小石を拾い少年時代に戻って水切りを試みたりもする。鴨や白鷺、水中を蠢く鯉や鮒の姿などを遠目に眺めながら、昔日の懐かしい想いに耽ることも少なくない。
 ある意味ではそれらの行為は野次馬根性、ちょっとだけ恰好をつけた言い方をすれば飽くなき好奇心のなせる業なのだろうが、辺鄙ではあったが自然豊かな幼少期の離島生活で身に付けたそんな習性が、老いた身の今になり、想わぬかたちで役立っているというわけなのだ。ごく自然な散策行動の流れのなせるまま、隈なく全身を動かすことになるし、捨て置けば認知症へと突入しかねない思考機能を働かせることによって、認知機能の衰退予防にもつながっていく。そう考えてみると、好奇心なるものも決して捨てたものではない。この老体にすれば、好奇心こそ我が命とでも開き直ってもみたいところなのである。
 眼前を滔々と流れ去る水の動きにじっと眺め入るうちに、またもや遠い少年の日の想い出が甦ってきた。大河川の多摩川などに較べれば、その長さも川幅もごくささやかなものではあったが、古里の集落そばを流れる川は当時の村人の生活と深く結び付いていた。現代の水道設備とは無縁なその時代、飲料水その他の生活用水を釣瓶式の共同井戸に依存していた集落の主婦らは、大量の水を要する洗い物があるような場合には、バケツや洗濯板を抱えてその川辺に出向き、そこで所用を済ませていた。田畑の農作業で泥土まみれになった農機具を洗浄するのも、時折農耕用の牛らの体を洗ってやるのも川中であった。そんな作業で一時的には周辺の水が濁ったりしても、しばらくすると澄んだ元の水流に戻るので、その点、人々はお互い皆寛容であった。直に川に面する家庭などでは、川水を汲み取り風呂水として用いたりもしてもいたものである。余談だが、私が育った当時の離島集落の風呂のすべては、大きな鉄製釜のいわゆる「五右衛門風呂」であった。
 集落沿いの川やその支流には様々な水生の生物類が棲息していた。鮒、鯉、メダカ、手長エビ、川蟹、ドジョウ、イモリ、鰻、ヤゴ、タガメ、シジミ、カワニナ――季節の廻りや棲息環境の推移に応じたそれら生物類の生態をじっくりと観察し、そこで得た知見を基に、折々、その捕獲に臨んだりしたことは、今想えば何とも貴重な体験であった。当時の自給自足の離島生活にあっては、少年期の遊びの数々は何らのかたちで各家庭の食糧確保とも結びついていた。磯辺での魚釣りや貝採りなどはその好例ではあるが、川遊びもまたその点では重要な役割を果たしていたものだ。私自身も、川の中で群をなして棲息している鮒や鯉を釣ったり、手製のザルを仕掛けてそれらを捕獲したりした。また、水中の小穴に隠れ棲む手長エビを巧みに外に誘(おび)き出し、手掴みで捉えたりもした。そしてそれらを家に持ち帰り、老いた祖父母と一緒に調理して食べた。だが実を言うと、そんな川魚漁の中で最も腕の揮い甲斐があったのは、昔から集落に伝わる手法を用いた鰻の穴釣りであった。
(鰻の穴釣りに興じた少年時代)
 鰻の穴釣りを実践するには、かなり夜行性が強く、季節に応じて河口と源流域間の各要所を徐々に移動する習性をもつその生態をまず学ぶ。そしてそれに続き、その際に鰻が一時的に身を潜める水路脇の石組みや土塁の基底部、古くなったコンクリート製流路などのあちこちに生じる奥深い小穴や隙間の数々、いわゆる「鰻の巣穴」を探し当て、それらを細かく観察する。天然鰻というものは、河口付近から本流支流の交錯する中流域一帯、さらには細くて浅い源流域付近に至るまでの各所に幅広く棲息している。そして日中などは、その「鰻の巣穴」に極力身を潜めて過ごし、夕刻から早朝にかけての活動に備えるのだ。
意外に思われるかもしれないが、水深が人の膝丈くらいしかなく、水路幅も1メートルを割るような狭くて浅い水路部にも天然鰻が数多く棲息している。ひとつには、雑食性の鰻にとっては、そのような環境のほうが日々の捕食に際して有利でもあるからなのだ。水田脇の細い用水路に結構鰻が棲息しているのもそんな理由からである。小穴に潜む場合など、鰻は頭部を入口の方に向けた状態で、体幹部や尾部を穴の奥へと伸ばし隠す。水深が浅いところなどでは、エラ呼吸を維持するため前部だけを水中に浸し、穴奥の後部は空気中に晒したままの姿勢をとり続けたりもする。鰻の穴釣りは、そんな鰻の一時的宿り場となる巣穴の存在をどれだけ把握しているかが勝負の分かれ目となってくるのだ。
 鰻の穴釣りに際しては、水糸の先に付けた釣針にあらかじめ用意しておいたミミズや小エビなどを餌として付ける。そして50センチ前後のしなやかな細竹の先端に釣針の先端を引っ掛け水糸をピンと張った状態にしてそれを鰻穴に差し込む。実際に鰻が潜んでいる場合、相手はいきなりその餌に喰らいついてくることが多い。たまには、巣穴に細竹の先を近づけただけで向こうからぬっと顔を出し、餌にかぶりついてくることもある。そんな手応えがあった瞬間に水糸を強く引いて鰻の口元に釣の先を喰い込ませ、そのあと一気に水糸を手繰り寄せ穴から鰻を引き出すのがコツなのだ。釣った鰻は竹編みの篭の中に収めたものである。鰻漁には細長い筒状の竹製罠篭を川底に沈める手法などもあるが、穴釣りのほうがずっと効率的であり、かつての私は鰻釣りの名人とも讃えられる身でもあった。 祖父直伝で鰻の捌き方や調理法も学んで時々赤貧の食卓を飾り、喜ばれもしたものである。
 そんな回想に浸りながら気の向くままに川面を眺めているうちに、全身を突き刺すような光を放つ夏の太陽が立ち昇り、愚想に耽るのも程々にしろと諭し始めた。幾許(いくばく)の余生かは分からないが、遠い日々に培った野次馬根性を曝け出し傘寿の道を歩むのも悪くはない。

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