時流遡航

《時流遡航》回想の視座から眺める現在と未来(29)(2016,05,15)

(「原罪」いう言葉の重さを痛感した日々)
 夜警アルバイトの時代にいまひとつ答えの出せない事態に遭遇したことがあった。それは「Growing Matter」とも呼ばれる青少年期特有の問題にほかならなかった。アルバイト学生の夜警らは、冗談半分で自らのことを「夜の工場長」などと称していた。そんな夜の工場長たる私と、夜の副工場長たる相棒の友人とは、ある晩、「昼の工場長」、すなわち本物の工場長が事務所最奥の机上に分厚い書類を置き忘れているのに気がついた。些かその存在が気になったので、お互い顔を見合わせながらその書類に近づくと、パラパラとそのページをめくってみた。それは、諸々の仕事の受託先や受託内容、切断加工製品の用途などが細かく記録された重要書類で、そこには最大手の企業名なども見受けられた。
 だが、軽い気持ちでその書類の閲覧を続けているうちに、我われの眼はあるページに釘づけになってしまったのだ。そこには著名な重工業メーカー名が記されていたのだが、その会社からの受託内容は「キャタピラ」で、しかも「輸出戦車用」という補注までが付記されていたからなのだ。時代はベトナム戦争の最中のこと、ここで切断されたキャタピラ用鋼板を用いて生産された戦車が何処へ行くのかは言わずもがなのことだった。その種のことが一般に公表されることはなかったが、当時の国内重工業メーカーとその傘下の各種下請会社のほとんどは、米軍への軍需物資供給による特需で潤っていたのである。
 我われを含めた当時の学生のほとんどはベトナム戦争に反対であった。無差別爆撃の実態や人体にとって猛毒な枯葉剤の大量散布の様子が大々的に報道されるにつけても、その時代の若者たちの多くは、我がことのようにその出来事に胸を痛めた。当然ながら、未熟で世間知らずな若者ゆえの考え方だと一部の大人たちからは批判されたりもしたが、社会意識そのものは現代の若者などよりもずっと高く、またその思いも真剣そのものであった。現在も世界各地で起こっている各種戦闘や大規模テロ事件などを、まるでSFの世界の出来事のように実感なく受け取っている現代人とは根本的に感性が異なっていたのである。
 だから、そんな衝撃の事実を知った我われ二人は一瞬にして言葉を失い、しばし椅子に坐り込んだまま、皆目出口の見えない虚しい自己問答を延々と繰り返す羽目に陥った。正直なところ、いい気になって工場長の机上に残されたそんな書類など見たりするのではなかったという思いさえもした。  
ベトナム戦争には絶対反対……でも自分が夜警をやっている会社はベトナム戦争で米軍が用いる戦車の部品を製造している。そして、そんな事業を通して会社に入る利益の一部がアルバイト料となって自分へと支払われている。もちろん、全部のアルバイト料がベトナム戦争関連事業の利益で支払われているわけではなかったが、少なくともその一部が紛れ込んでいることだけは疑う余地もなかった。 
 では、そのアルバイト料を受け取るのを拒絶し、潔く東京シャーリングの夜警のバイトを辞めるべきなのか……そうしたら、学費や生活費が足らなくなって大学で勉学を続けることなど覚束なくなってしまう……それならば、他に適当なバイトを探すことにするのか……冷静に考えてみると、条件的に見て、そう簡単にはここの夜警の仕事に匹敵するような新たなバイト先など見つかりそうにない……じゃ、どうしたらいい?……自己矛盾に満ち満ちた堂々巡りが果てしなく続くばかりであった。
 結局のところ、我われは夜警のアルバイトをそのまま続けることになった。ただ、その一方で、クリスチャンでもない私だったが、その体験を契機に、それまで単なる知識にしか過ぎなかった「原罪」という言葉の持つ重みを実感するようになっていった。一見それがどんなに自然かつ平穏に見えても、自分がこの世に生きているということそのものが、知らず知らずのうちに多くの他者やその生存環境を傷つけることになってしまっているのだと痛感させられたからである。つくづく人間とは悲しい存在だと思わざるをえなかった。
(雇用を求めてきた奇妙な老人)
 夜警のアルバイトにおいては、こんな風変わりな出来事にも遭遇した。ある晩遅くのこと、もう70歳にも近いかと思われる老人が、突然、チャイムを鳴らし、我われに接見を求めてきた。何事だろうと思って話を聞くと、「私をここで雇ってくれないか」と問いかけてきたのである。もちろん、我われにそんな判断ができるわけもないので、「お爺さん、申し訳ないけど私たち夜警には何もできないんです。明日の日中にでも出直してきてもらえませんかね」と応答した。すると、相手はすっかり疲れきったような姿を見せながら、なんとも悲しそうな表情を浮かべてその場にじっと佇み続けた。
 その様子が尋常ではなかったので、いささか同情心を起こした我われは一時的にその老人を室内に招き入れ、椅子に坐らせた。そして、たまたま買ってきてあったお茶菓子を一個を添えたうえで、入れたての紅茶を一杯差し出した。相手は嬉しそうにその紅茶をすすり茶菓子をぱくつき終えると、静かな口調ながら、思わぬ一言を吐いたのだった。
「わたしゃ昨日横浜刑務所を出所してきたばかりなんでね。千円札一枚だけ持たされてね。あと、これと……」と言いながら、老人は一枚の紙片を内ポケットから取り出した。それは横浜刑務所長の署名捺印入りの出所証明書で、現在保護観察中である旨が記されていた。
「昔このあたりで働いていたことがあるんで、どこか働き口ないかと思ってきたんだけど、どこも雇ってなんかくれなくてね。以前に、何度か傘の先で公衆電話を突っついたりしてその中のお金盗ろうとしてね……それで捕まって務所に入れられたんだけどさ」
 むろん、老人の言葉をそのまま信じるわけにはいかなかったが、何らかの犯罪歴を重ねて収監されていた横浜刑務所を出所したばかりであることは確かだった。務所帰りの人物の凄味などかけらも感じられないその老人の姿を前にしながら、私は内心で、雇ってくれる先などあるはずもないこの人物は、また何らかの犯罪に手を染めて再度収監されるしかないのかな……実際、ご本人もそうなることを望んでいるんじゃないかと思いもした。
すると、老人は我われに向かって、「どんな人間でもね、長いうちにはちょっとした出来心が生じたりして犯罪に手を出すこともあるもんなんだよ。あんた方はまだ若いけど、そのことだけは忘れちゃ駄目だよ」と語りかけてきた。獄中での教戒師の言葉の受け売りだったのかもしれないが、刑務所出所直後の人物からそんな説諭を受けるなど、まさに想定外のことだった。別れ際に「また捕まったらだめですよ」と送り出す我われに向かって、最敬礼のポーズをとった老人は、「とてもお世話になったので、この会社に迷惑をかけるようなことは決してしません」という意味深長な言葉を残し闇の中へと消えていった。

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