時流遡航

《時流遡航304》日々諸事遊考(64) ――しばし随想の赴くままに(2023,06,15)

(老身を冷静に見つめ、今何ができるかを問う)
 コロナ禍騒動は一応の落ち着きを見せ始めてきたが、ウクライナ紛争はいまだ終焉を迎える兆候など見られない。さらにまた、世界各地で起こっている混乱の数々は、増々その度合いを深めていくばかりである。ただ、最早明日をも知れぬ老いさらばえた身となり、この無窮の時空に満ち広がる複雑至極な事象群を分析する思考力も衰え果てた今となっては、混迷の一途を辿る一連の世相を俯瞰しながら的確にその本質を論考するなど、どう足掻いてもできそうにない。「一隅に咲く、これ野の花の心」ならまだしも、「一隅に枯れる、これ野の花の姿」というわけだから、何とも始末が悪いのだ。早々に野火に焼かれて灰と化し、土へと還るのが最善なのだろうが、まだ土中の細根だけは、僅かながらも水分や栄養分を吸収しながら辛うじて生きているから話は厄介なのである。
葉も茎も枯れ果て、僅かに残った土中の細根さえも既に根腐れを起こしつつある不束な身に、今更何ができるものかとついつい考え込んでもしまう。現実の野草並みに枯死して朽ち果てたあと土と同化し、次世代の草花を育てる肥やしにでもなれるのならまだよいが、人の場合はそうはいかない。完全に息絶えたあともその後始末に他者の手を煩わさざるをえない人間の実態は面倒なことこのうえない。野垂れ死にし、土に還るまでそのまま放置してもらいたいと思ったとしても、社会的にそれは許されないことだからだ。
 まあ、そんな老体の己に今なおできることを探すとするならば、身辺のごくありふれた出来事を時間をかけてじっくりと考察し、そこから得られるささやかな知見などを、高齢者ゆえの些か古びた言語表現を用いて述べ記すことくらいかもしれない。換言すれば、高い思考力と行動力とを要する世界的な事象との対峙を断念し、今まで殆ど見向きもしなかった自らの周辺の小さな事柄と向かい合ってみるしかないということになるのだろう。喩えるなら、望遠鏡で覗いていた広大な時空の世界から、顕微鏡で眺めるごく身近で微小な時空界へと思索の対象を転じていく道しか残されていないというわけなのだ。
 航空機や船舶、列車、あるいはまた車に乗って遠出し、大きな世界を頻繁に体感していたこともあった身が、何時しかほぼ徒歩による行動範囲に限られた小さな世界に閉じ籠り、それと向き合うしかない状況に直面し始めていると言ってよい。だが、幸いなことに、その小さな世界の隅々をじっくりと凝視するうちに、一見ありふれて見える個々の事象の奥には、驚く程に深い世界が秘められていることに気づくようにもなった。
それまでの自分は、「井の中の蛙大海を知らず。されど天の深きを知る」という諺の裏返しに当たる、「井の外の蛙大海を知る。されど天の深きを知らず」の状態にあったということになる。そこで、今後は身の程を弁え、なるべくなら周辺の小さな物事に目を向けながら、その背後に隠された世界を老眼用の拡大鏡を以って覗き見ることにしたいとは思う。
 ただそうなると、老人には付き物の、想像力ならぬ「妄想力」が大きく働いてくることにはなるかもしれない。もっとも、フェイク画像、フェイク音声、フェイク文章の飛び交う昨今のことゆえに、この際開き直って、「不良老人妄想族」を自称しながら駄文を綴らせてもらう道くらいは残されているかもしれない。もちろん、その妄想癖が社会生活を営む多くの方々に迷惑をお掛けしないかぎりにおいてではあるのだけれども……。
(ChatGPTと戯れてみる)
 そんな妄想力喚起の糸口とすべく、ChatGPTで少しばかり遊んでみた。「医薬経済誌とはどんな雑誌ですか」と訊ねると、「医薬経済誌は、医療を取り巻く経済・政策・社会情勢・法律問題などを扱う、医療・医薬品業界に向けた専門誌です。医療制度の変化や新薬・治療法の開発、医療政策や医療経済など、幅広い領域の情報を提供しています。また、医薬品企業や製薬流通業者、医療機関・医師らの活動ビジネスについても取り上げています。読者層は医療産業関係者、政索担当者、学識経験者など幅広く、学術論文やコラム、ニュース記事などが掲載されています」という返答が表示された。「学術論文掲載」の記述は事実と異なっているものの、他の部分は全体として大過なく纏められている。
 ついでなので少々遊び心を起こし、「本田成親という人物について教えてください」と自分の名前を入力してみた。すると、「本田成親(1932年~2020年)は、日本の自動車技術者。本田技研工業(ホンダ)の創業者・本田宗一郎の弟子であり、同社開発の重要車種であるシビック、アコード、NSXなどの開発に携わったことで知られる。また、その革新的な開発姿勢から本田宗一郎の右腕とも称された。2020年12月3日、老衰のため死去。88歳没」という一文が表示された。もっともらしい記述ではあるが、本田技研の過去の中心技術者の中に私と同姓同名のそんな人物が実在した事実などはないようだし、何よりもまず、この私の存在自体が「死霊」化されてしまったのである(苦笑)。
 そこで、今度は、「医薬経済誌の本田成親という執筆者について教えてください」と少し質問を変えてみた。すると呆れたことに、「本田成親(ほんだしげちか)は、医療経済学、医薬経済学の専門家であり、医薬品開発戦略の立案や価格戦略、医療政策などに関する研究を行っています。また、著書や論文の執筆、国内外の医療・医薬品関連のセミナーやシンポジウムでの講演、経済学・経営学の講師としても活躍しています。現在、多摩大学経済学部教授、日本医薬経済学会会長、日本医療政策学会会長などを務めています」という、噴飯もののとんでもない表記が提示された。かつて学術研究に携わっていたことのある身ではあるが、医薬・医療分野にはおよそ無縁の人間であり、そもそも傘寿を迎えた今でもそんな華々しいキャリアを有しているのなら、その日暮らしの三流フリーランスライターなどやっているわけがない。内容的にはまったくのフェイク文である。
 ChatGPTの開発者が、正確な内容を表示する機能よりも、提示文をごく自然な言語表現にする機能のほうを優先的に完成させたことは、そのシステムの絶妙さを人々の心に強く印象づけるための恰好な戦略であった。私に関する虚偽だらけの文章にしても、言語表現的にはごく自然なものゆえに、実情を知らない人がそれを読んだら、そのまま事実だと受け止めてしまうに相違ない。この種の生成AI系の新技術が厄介なのは、その気になれば幾らでも、真実か否かを容易には判別し難い有害な虚偽情報を生み出し拡散できることである。記述内容を正確無比なものにするソフトウエアの開発は至難の業だから、当面は誰もが冷静沈着な対応を心掛けていくしかない。ビジネスマンが各種業務上の書類作成に活用したり、作家などが執筆原稿のアイディア発掘やプロット構成に用いたりするには便利だろうが、底知れぬその負の影響については、慎重な配慮と対応が求められよう。

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