時流遡航

《時流遡航》回想の視座から眺める現在と未来(20)(2015,12,01)

(高い教養は科学者にとって不可欠なもの)
 世界最高の放射光科学研究施設として名高いSPring―8の稼働開始からその時点で10年以上が経過していたが、同施設の学術成果集なるものはなお未制作のままだった。前例のないことゆえ、当然、万事が手探り状態のもとでのスタートととなった。学術成果集の収録対象となった28事例の最先端研究の多くが『ネイチャー』や『サイエンス』に掲載されたものばかりで、しかもそれぞれが全く異なる分野の業績だったので、私と恵志泰成元選択誌編集長とは当該研究に関する専門論文や英語文献を含む大量の関係資料を読み込み、その内容の大筋を理解することから始めなければならなかった。さもなければ、個々の専門研究者を訪ね、研究の核心部に迫るような取材などできるはずがなかったからである。我々が不勉強のままで取材に臨み、的外れな質問をしたりしたら、相手に軽くあしらわれ、わざわざ遠方まで出向いたとしても、その労力や経費が無に帰する恐れさえあった。
 取材対象の研究者に会う日時をSPring―8の広報室を介して調整してもらい、相手の連絡先などを確認したうえでインタビューに出向いたのだが、むろんそれとて容易な作業ではなかった。指定された時刻に各大学や研究所の研究室を単独で訪問し、研究者と対峙しながら学術成果集に相応しいレベルの文章執筆のための取材を行うわけだから、当然、相手に対する気遣いもひとかたならぬもので、その種のことに場馴れしている身だとはいっても内心の緊張度にはそれなりのものがあった。
 幸いなことに、私が取材を担当した20人ほどの研究者やSPring―8の理事らの多くは、細かく、また時によっては執拗なまでのこちらの質問についても真摯に答えてくれたし、甚だ虫のよい要望にも快く対応してくれた。取材に際して、事前に学んでおいた個々の研究に関する基礎知識が役立ったのはむろんである。だが、意外にも、それ以上に重要な役割を果たしてくれたのは、哲学、文学、芸術、社会学、歴史学、心理学などについての、ごく浅い雑学そのものの私の知識だったのだ。しかも、それらは、昨今の日本社会においては、直接的には生産性や実利性に繋がらないものとして軽視されがちな学問分野の知識ばかりなのだった。もっとも、取材対象の研究内容とは直接に関係ないその種の知識が取材現場において有意義だったのにはそれなりの理由があった。
 最先端科学の探究に携わる優秀な研究者には、専門分野の知識ばかりでなく、広く深い教養を具えた人物が少なくない。そもそも、科学研究者なるものは一流であればあるほど真の教養というものを大切にするもので、どこかの国の政治家や官僚らの多くに見られるように、教養を非生産的で実益性がないものとして蔑視するようなことはまずもってない。真の科学者というものは、短期の成果主義や実利主義の枠を超え、容易には答えの見つかりそうにない深遠な世界を、喩えるなら、不帰を覚悟で漆黒の闇の中をただひとり彷徨(さまよ)いながら歩み進まなければならない宿命を負う。
そしてそんな研究の道程にあって必然的に対峙せざるをえないのは、「自分とは何者なのか、自己の存在意義とは何なのか、言語思考の本質とは何なのか、諸事象に絶対的な真否や客観性なるものが存在し得るのか、闇の中で一縷の光明を求め足掻き苦しむ己の心を救い慰めてくれるものはあるのか、人間や社会にとって美醜とは何なのか」といったような人文科学的、社会学的、さらには美学的問いかけなのである。その結果として、彼らは自らの専門領域を超えた教養、より正確に言えば事象認識の主体である人間という存在の核心を問うのに不可欠な思考や知識を身につけていくことになる。
 したがって、そんな研究者を取材する場合には、できるかぎり時間的余裕をもって臨み、いきなり本題に入るのではなく、ほどよく深くて幅広いテーマでごく自然な歓談を交えながらインタビューを進めるようにしたほうがよい。当然、相手もその過程を通して取材者側の人格や教養の程度、専門知識の有無などを秤(はかり)にかけてくるわけで、そこで相互に信頼関係ができれば、本題の取材も容易になり、ストレートに中心テーマに迫るよりも却って深い取材をすることができる。また、諸々の制約上やむなくして直接本題に迫る場合でも、高度で難解な研究の本質を巧みな比喩や的を射た言語表現で述べ示してもらうには、取材対象者と取材者双方の必要最小限の教養を媒介とした会話は欠かせない。取材者側が基礎教養不足をさらけだし、一方的に遜っ(へりくだ)てばかりいたりしたら、相手から足元を見られてしまい、思うような結果を得ることはできない。そのような意味でも、この身のささやかな雑学的教養はそれなりには役に立ったのだった。
(心無い研究者にも鄭重に対応)
 もっとも、一部にそんな考え方が通用しない取材対象の研究者がいたことも確かである。ある大学の研究者の取材に際して、あらかじめアポイントメントを取ったうえでその研究室を訪れた。東京駅から何時間も新幹線に乗ってのまる一日がかりの取材だったのだが、なぜかその研究者は不在だった。そこでその研究室の助手らしい人物に取材相手の教授の所在を訊ねてみたが、よくわからないという返事だった。2時間ほど待ったのだが、なお相手は姿を見せなかった。やむなくしてその日の取材を断念し、帰りの新幹線の中で、後日あらためて取材に伺うことにしたいので都合のほどをお知らせ願いたいという内容のメールを送った。こちらは飽く迄も鄭重かつ低姿勢な態度で貫き通した。
 ごく短い返信が届いたのは翌日のことだった。「急にある会議に出なければならなくなったので取材には対応できなかった。ただ、2週間後に学会出席のため上京するのでその際に取材に応じてもよい」といった旨の返答だった。こちらの連絡先も伝えてあったことゆえ、それならそれで取材に出向いた当日に一言くらいは連絡してくれてもよさそうなものだとは思いもした。だが、内心のそんな思いをひたすら抑え、再度鄭重なメールを送り、その研究者が上京する日時と取材場所の確認をおこなった。
 たまたたまその相手が指定してきた場所がかつての私の母校でもあり、以前に教官として所属していた大学でもあった。通いなれた場所ではあるし、他日にまた遠くまで取材に出向くよりは都合がよいと思ったので、当日の予定を調整変更し、相手が指示してきた学内の一室へと向かった。約束の時刻通りに到着し、部屋のドアをノックしたが応答はなかった。やむなく小一時間ほど周辺で時間を潰し、もう一度その部屋の前に立ったときにその研究者が外から現れた。そして、その直後に彼が私に向かって吐いた一言は、「何か御用ですか?」であった。こちらの身分を一介の老フリーライターだとしか伝えてなかったから、相手にすればそれは当然の対応であったのだろう。

カテゴリー 時流遡航. Bookmark the permalink.