時流遡航

《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実景探訪(24)(2019,09,15)

(永遠不変の絶対史観など求めるべくもないとすれば )
 歴史的事象の現場の状況を具体的に示す有力な存在として、近世華々しく登場したのは、写真や動画に象徴される映像類の数々です。歴史的出来事の場面を描いた古来の各種絵巻物や屏風絵のようなものも一応ここでは映像の範疇に属するものとだ考えてもらってよいでしょう。歴史的場面を撮った映像というものは、そこに収められている事象の様相を人間の視覚に直接的に訴えかけてくるものだけに、ともすると文字表記による文献類に対するよりも強い信頼を置かれがちなものなのです。世界各地で悲惨な戦争が繰り広げられていた時代において、その最前線で活躍していた戦場カメラマンらが撮影した生々しい写真類が人々に大きな衝撃をもたらしたことなどは、その象徴的な事例だと言えるでしょう。実際、現場の状況を極力客観的に伝えようとして撮影された報道写真などには、それなりの信憑性が感じられもしたものでした。現在でも各種のニュースに登場する映像群は強い説得力をもって視聴者の心に激しく迫ってくるものです。
 しかし冷静に考えてみますと、一般に映像というもの形成にはそれを撮影する人物の意図が少なからず影響しているものですし、各種のドキュメンタリー映像などの場合でも編集の手を加えることによって撮影者や制作者の一定の私見や思惑が導入されることは避けられません。また、たとえ主観性を極力排除して制作した映像であったとしても、それをどう解釈し、そこから何を読み取るかは人それぞれに異なってくるものです。 
例えば、中年男が必死に逃げる若い女性を追いかけるところを偶然目にした人物が、何の他意もなくその様子を撮影したとしてみます。そしてその写真に「性的暴行を狙う男から必死に逃れようとする女性」と説明をつけて公開すれば、それを目にした人々は「そうなのか、酷い男もいたもんだ。その女性は無事に逃げ切ったのだろうか」と思ったりすることでしょう。その逆に、「財布を盗まれたことに気づき、犯人とおぼしき女性を必死に追う男」との説明をつけたとすれば、人々は「この女、見かけによらず何という悪女なんだ!……男は財布を取り戻せたのだろうか」と感じたりすることでしょう。このように映像というものはなかなか厄介な一面をも具え持っているのです。プロのカメラマンなどは時々「映像は嘘をつく」などという言葉を吐いたりするものですが、それは彼らが映像というものにつきものの怖さや忌まわしさを誰よりもよく熟知しているからにほかなりません。
 まして、映像加工技術が飛躍的に向上し、専門家にとってさえも容易にはその作為性や偽造性が識別し難いフェイク画像類が登場するようになった現代にあっては、それらに絶対的な信頼を託すことなど到底できそうにもありません。また、将来的には従来の意味での現実事象とVR(ヴァ―チャル・リアリティ:仮想現実)やAR(オグメンテーション・リアリティ:拡張現実)とがごく自然に融合したかたちをとって「新現実」の世界が展開されていくことになるでしょうから、映像というものを歴史的事実の絶対的な裏付けとして用いることが一層困難になっていくのは避けようがありません。結局のところ、歴史上の事実を裏付けるとされる映像類ではあったとしても、その信頼度には限界があるということになってしまいます。下手をすると、視覚に強く訴えかける映像資料を通して、意図的に構築された歴史観を植え付けられたりすることにもなるでしょう。
(自己史観の根拠の考察も必要)
 何が歴史上の出来事についての真相なのかを確実に知る手法が存在しないとすれば、いったい我われはどうすればよいのでしょうか。一方では何らかのかたちで自らの存在を支える精神的基盤を自分史をも含めた歴史のなかに求めざるを得ないわけですから、話はなんとも厄介なのです。その知覚的認識力にも、心的な分析力や同察力にも、さらには判断力や記憶力にも限界のある人間は、どこかで妥協をしながら現在さらには未来に立ち向かっていくしかありません。古来、人間が虚々実々の要素の交錯する歴史物語を構築するしかなかったのも、仕方のないことではあったのでしょう。
もしかしたら、善い意味でも悪い意味でも物語なるものを創造することを宿命づけられているのは、人間という存在の避け難い本質のひとつなのかもしれません。現在の視点からすれば古書類に記述されている事柄すべてをそのまま信じることは不可能ですが、その時代の自民族や大陸の先進諸国に向かって日本という国の存在基盤をアピールしなければならなかった状況を想うと、物語性豊かな古事記や日本書紀が登場したのは必然の流れであったのでしょう。
 時代が下るにつれて歴史的文献の記述は物語性や編纂者の主観による影響の少ないものになっていくのですが、だからと言ってそれらを完全に排除することはむろん不可能なことでした。本格的な歴史文献の編纂やその文書の保管にはそれなりの組織や人材、多額の経費などが必要ですから、時代の権力者の介在は避けようがありません。「歴史は勝者によって創られる」と言われてきたのもそれなりに理のあることではあるのでしょう。また、たとえ互いに異なる様々な解釈や知見を取り入れた客観性の高い歴史文献資料とされるものであったとしても、そこに記述されるのは「平均的歴史概念」とならざるを得ないはずなのです。
それは一般的に支持承認されている歴史概念、換言すれば、統計学上の代表値に象徴されるような史観ということになりますから、ある歴史事象についての全体的概観としては適切であっても、その事象に絡む諸要因それぞれから眺めた個別の展望にはなっていないのです。のちになって重要な要素であったと判明することはあっても、その時点では軽視されたり無視されたりする事実も少なくはないでしょう。現在の日韓、日朝関係に見るような民族間・国家間の対立はそんな歴史観の相違に起因しているのです。
 残念なことですが、元々この種の問題には絶対的な解決法など存在しておりません。我われは自己存在の精神的基盤となる歴史観を様々なルートに基づく資料や情報を通じて身に付けていくわけですが、それらはけっして完璧なものではありません。自らのものとは大きく異なる史観などがあれば常にそれらを冷静に見つめ、そちらの視点に立てば自身の信じる史観がどのように映るのかを考えてみることも必要です。ある史観を絶対的に信奉する人は、盲信を避けるべく、自らがそのような確信を抱くようになった経緯や根拠を論理的に考察してみるべきでしょう。その過程を通して異なる展望が生まれることもあるからです。諸々の権威や所属集団に対する人間の依存性には本能的に根深いものがあり、戦前の皇国史観に見るように一度深く刷り込まれてしまうとそこから脱却するのは容易ではありません。時には孤高な史観や異質な史観に軸足を委ねつつ世界全体を眺めることも重要でしょう。黒白二色の要素より灰色の要素がずっと多いのがこの世の実相なのですから。

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