時流遡航

《時流遡航259》日々諸事遊考 (19)(2021,08,01)

(自分の旅を創る~想い出深い人生の軌跡を刻むには――⑩)
(知床半島羅臼町での奇遇を顧みる)
 もう遠い昔のことですが、ある初夏の日没直後の時間帯に、北海道知床半島の宇登呂町から知床峠を越えて羅臼町へと向かおうとしたことがありました。その折、車を止め偶然立ち寄った宇登呂の雑貨屋の御主人から、もし羅臼に泊まるつもりなら「甲子園」という一風変わった名前の民宿があるから、そこを訪ねてみるといいかもしれないと教えられました。ただ、羅臼に着くのは早くても午後7時を過ぎてしまいそうだったので、一旦はいつもながらの車中泊でも構わないかと考えもしました。しかし、そこで、たまには湯船に浸かって旅の疲れを癒すのも悪くないなと思い直し、その民宿へと問い合わせの電話を入れてみたのです。すると、受話器の向こうから、「うちはなんのご馳走もありませんが――あるのは蟹くらいで」というそこの女将さんのものらしい女性の声が響いてきました。蟹が食べられるならそれだけで十分で、ほかに文句など無いけど、まあ宿泊料も随分と安いことだから、申し訳程度にちょっとした蟹の足が出てくるくらいのものなんだろうな――内心ではそう思いながらその民宿「甲子園」に一夜の宿りを求めたようなわけでした。
 その民宿に着き、言葉は少なめながらも心のこもった対応をしてくれる女将に勧められるまま、まずはゆっくりと浴槽で身体を温め、それからおもむろに食堂へと足を運んでみました。他のお客は既に食事を済ませていたらしく、その場に居合わせたお客はその宿の隣人らしい人物と私との二人だけでした。しばらくすると調理場の奥から次々と料理が運ばれてきたのですが、その品々を前にした私は一瞬我が目を疑いもしたものでした。大きな毛蟹や花咲蟹を一匹まるごと茹でたもの、びっしり身の詰まった何本ものタラバ蟹の手足、解体された諸々の蟹の各部をしっかり煮込んだ素敵な蟹汁、さらには蟹の卵料理など――それはまさに蟹のコース料理そのものと言うべきものなのでした。まるで夢を見ているような気分になって一連の蟹料理に舌鼓を打ちながら、これが都会の蟹料理店だったりしたら、その料理だけでもその夜の泊費の何倍もの料金を徴収されるに違いないと思ったりもしたものです。
 実際、どの蟹料理の味も新鮮かつ美味そのもので、そこの御主人夫妻の好意をも含めた旅先でのそんな偶然の出遇いに心底感銘を覚えもしたのです。貧乏旅行者ならではの食欲を丸出しにしてひたすら蟹料理にかぶりつき、胃袋を十分に満たしたあと、調理場に立つ御主人に向かって心からのお礼の気持を伝えました。そして、そのついでに「甲子園」というその民宿の名前のゆかりを訊ねてみました。また、少々余計なことかとは思ったのですが、そんな高価な蟹料理を宿泊客に提供しても経営上問題はないのかと、率直な思いを述べてもみたのでした。すると、返ってきたのはこれまた予想外の返答だったのです。
「甲子園」という名の由来は、そこの息子さんが高校時代野球の選手で、北海道地区代表として甲子園に出場したことがあるのに因んだものだとことでした。また、そこには多くの未知の人々との交流を目指したいという気持ちも込められているのだとの話でもありました。しかも、その民宿「甲子園」は、もともと利益あげることなど度外視し、知床の地を訪ねてくれる旅人とごく自然な親交を結ぶために設けたもので、それゆえ過剰な宣伝などは一切しないようにしているとのことでもあったのです。また、豪華な蟹料理を提供してもらえる背景も、これまた意外なものでした。なんと、その民宿を経営する一家の本業は、知床周辺の海域から水揚げされる大量の新鮮な蟹類をすぐそばの専用工場で茹で上げ、それを再冷凍処理して全国各地に出荷する蟹の出荷処理業務だったのです。従って、蟹だけはふんだんに宿泊客に提供できるというわけなのでした。文字通りの奇遇によってもたらされた成り行きのお蔭で、私は貴重な経験を積むことができた次第なのです。  
宿の御夫妻とは食後もいろいろ話し込んだのですが、そんな中で、翌朝早起きして東の海上に昇る綺麗な朝日を眺めたあと、早朝大量水揚げされる蟹類を即刻加熱処理している工場現場を覗いてみるようにと勧められました。他所では滅多に廻り合えないような一風変わった体験をすることができるだろうからというのがその理由だったのです。そこで、翌朝は北海道東端地域の早い日の出に合わせて早起きし、国後島の島影越しに昇る美しい朝日を拝したあと、すぐそばの蟹加熱兼冷凍処理工場へと足を運びました。笑顔で私を迎えてくれた工場主、すなわち民宿の御主人は、作業員らが大量の蟹の処理をしているところを一通り見学させてくれたあと、工場の一角へと私を連れていっていったのです。
(その想定外の貴重な体験とは)
なんとそこには、何本かの手足の欠けた蟹や、欠け落ちたそれらの蟹の手足が大量に山積みされていたのでした。正規出荷できるのは蟹本来の形をしっかり留めたものだけで、一部の手足が欠けた蟹やバラバラになった手足は、不良品としてそこに集められるというのです。ただ、それらはそのまま廃棄処理されるわけではなく、比較的近隣の食品関係業者や土産物店などに驚くほど安い価格で譲り渡されるのだとのことでした。もちろん、それらは関連業者の手を介したうえで、それなりの値段をつけて諸々の店で売られたり、料理店でお客に出されたりするということなのでした。その折のご主人の話によると、中には驚くべき技法をもつ人物らもいて、1~2本足が欠けた蟹の欠落部を巧みに補修し普通の見た目に戻したあと、素知らぬ顔で裏を知らない素人客に高値で売り捌くこともあるとのことでした。もちろん、その味には変わりがないわけですから、その手口はなかなかのものと言うほかありません。さらにまた、羅臼で5千円相当の量の蟹は札幌に行くと1万円になり、東京まで行くと1万5千円にもなるとの話でもありました。
そして、その前夜に御主人から告げられた滅多にない体験をすることができたのはその直後のことでした。なんと、大量に積み重ねられたそれら蟹の手足や一部が欠落した蟹の好きなものを幾らでもその場で食べても構わないというのです。小躍りしながら、大きくてしっかり肉の詰まったタラバ蟹の足などを次々に選んでむしゃぶりついたことは言うまでもありません。蟹好きのこの身にしてみれば、まったくもって夢のような体験ではありました。そんな想い出深い最初の出遇いが契機となり、その後も友人知人を同伴したりして何度も北の「甲子園」を訪ねては、蟹料理を心ゆくまで堪能させてもらったものです。当時、その近くには大手航空会社運営の観光ホテルが建っていて、保養でそこを訪れるエア・アテンダントなどには噂を聞きつけわざわざ甲子園に食事にやってくる者も多く、なかには自社管轄下のその立派なホテルではなく、始めから甲子園に泊まりにくる者さえあったのだそうです。あれから随分と時を経たいまでは、もうその甲子園も民宿の看板をおろし、鮮魚店へと変わったとのことなのですが……。

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