時流遡航

《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――その概観考察(11)(2018,06,01)

(実存主義哲学の地平を垣間見る)
 この身を始めとして人間というものはつくづく無知なものだと思いますが、またそれゆえにこそ多少なりとも哲学的素養が必要にもなってくるのです。ただ、そのいっぽうで、無知無力なるがゆえの諦めや絶望の境地の反動とも言える人間の開き直りというものには、再生にも繋がるしたたかな生命力が秘め隠されてもいます。「不条理の哲学」を自らの文学作品のテーマに据えたフランスのノーベル賞作家アルベール・カミユは、「異邦人」や「ペスト」といった小説や戯曲「カリギュラ」などを執筆し、不条理な運命に反抗しそこからの解放を画策する人間の不屈さを説き描きました。また、そんなカミユには、不条理な世界を象徴的に描いた「シジフォスの神話」というエッセイ風の評論がありました。学生時代にカミユ作品を読み漁った私などは、その著作のことを懐かしく想い出しもします。
 シジフォスはギリシャ神話の中に登場する人物で、コリント王国を創建しその国王となったのですが、絶対神ゼウスを欺いたためその怒りにふれ、死後、地獄に落とされます。そこで彼に科せられた刑罰は、高山の麓から巨大な岩塊を山頂に向かって転がし押し上げることでした。ところが、苦悶の果てにその岩塊を鋭く切り立つ山頂にまで運び上げた次の瞬間、その岩塊は麓に向かって一気に転がり落ちてしまうのです。そのため、再び山を降りその岩塊を運び上げなければなりません。つまるところ、シジフォスは永遠にその刑罰に甘んじなければならなくなったのです。その神話の中において、シジフォスはこの世で最も極悪非道な人間の典型ということになっていますから、そのような過酷な刑罰を背負い、未来永劫にわたって呻き苦しみ続けるのは当然のことだとされていたわけなのです。
 ところが、アルベール・カミユは、愚かな人間の象徴とも言うべきそんなシジフォスがその絶望的な無間地獄の苦悶から逃れる方法に目覚めるという、絶妙なストーリーを創作してみせたのです。果てしない業苦の連続にその身を晒すうちに、ある日突然シジフォスは、「山頂から岩塊の転がり落ちた麓まで下る時間だけは、自分は自由の身である」ということに気づいたのだというのです。むろんシジフォスの過去の悪行の全てをよしとするつもりはなかったのでしょうが、カミユは、絶対神ゼウスにもまた盲点があったことを鋭く突くこの寓話によって、孤独・不安・絶望を不可避と知りながらもなお生に立ち向かおうとする人間の姿を是認する「実存主義哲学」の新たな地平を切り開こうとしたのでしょう。高校進学時までに肉親の全てを失い、先の見えない人生を背負いながらひたすら苦渋を重ねていた私にとっては、ある意味でこの話の展開は衝撃的なものでした。その後の人生に立ち向かうための知恵と術(すべ)とを深く示唆されたような気分になりもしたからなのです。
 さらにまた、学生時代にいまひとつ、人間というものの愚かさを肯定し、愚かゆえにこそ湧き上がる生命力を独特の視点から教えてくれた人物との出合いがありました。坪内逍遥の愛弟子で著名な歌人・英文学者としても知られた会津八一がその人です。貧乏旅行に出向いた先の奈良で、法隆寺の救世観音を詠んだ会津八一の短歌を偶然目にし、その歌の秘めもつ情趣に心酔したのがことの発端でした。そのとき既に会津八一は他界してしまっていたのですが、深い感銘を胸に秘めて東京に戻った私は、大和の寺々や諸々の仏像を主題にした彼の歌集や随筆集を片端から読み漁りました。以来この歳になるまで細々とながらも我流の短歌を詠み続けることができたのは、まさにそのお蔭にほかなりません。
 ところで、そんな会津八一の残した一文の中に、寺々の諸仏の立像を眺めるとき、通常、人々は無意識のうちに腰から上の部分だけに視線を送りがちなものだが、真に大切なものを見落とさないためには、その足元の部分までをしっかりと見つめやるべきだという指摘があったのです。実を言うと、その指摘には、会津八一ならではの極めて奥深い思慮と視点が秘め含まれていたのでした。その教示を受けてからというもの、私は、奈良や京都の寺々を訪ね、持国天・増長天・広目天・多聞天などの四天王像や各種紳将像を拝観するときには、それらの像の足元をしっかりと見つめるように心がけてきました。
 なぜなら、それらの足下では、我われ人間の煩悩そのものを象徴する天邪鬼や妖艶な女人像が、多聞天や増長天の足によって激しく踏みしだかれながらも、その重みにじっと耐え、一縷の活路を見出さんと永劫にわたって足掻き続けているからなのです。しかも、それは会津八一が述べている通りなのですが、それら天邪鬼や女人像の表情のなんと豊かで親しみ深いことでしょう。また、なんと彼らの姿の生き生きとして蠱惑的(こわくてき)なことでしょう。彼らは何時の時代においても仏像の足下にあって仏像そのものの存在を支え続けてきたのでした。そんな天邪鬼達が皆こぞって改心したり屈服したりして姿を消してしまうなら、諸仏達も皆、足場を失って転げ落ち、たちまちその存在意義を失ってしまうことでしょう。
これもまた、カミユによるシジフォスの神話の新解釈にも通じる一種のパラドックスなのですが、その事実を目の当たりにした私が深い感銘を覚えたことは言うまでもありません。会津八一にその種の自覚が有ったか否かは知る由もありませんが、彼の中に実存主義的思考があったことは疑うべくもないでしょう。なお、日本語では「逆説」と記述される「パラドックス」とは、一見したところ不合理だったり矛盾したりしていながら、深く考えてみると、そこに否定し難い真理が存在するような事柄や論理のことを意味しています。
(心に響いた八一の詠歌とは?)
 学生時代に私がこのうえなく感動を覚えた会津八一の短歌とは、「天地(あめつち)に我独り居て立つ如きこのさびしさを君は微笑む」というものでした。歌の中の「君」という言葉はむろん救世観音のことを指していました。また、「さびしさ」とは、どこから来てどこへ行くのかわからないままに最期の瞬間まで生の旅路を独り歩み続けなければならない、人間の宿命ともいうべき「存在の不条理」に根差す寂寥感のことであるのは明らかでした。
「わたしにはあなたを助けることはできません。どんなにその生の旅路が辛いものであろうとも、詰まるところその旅路を歩んでゆくのはあなた自身なのですから。でも、わたしには、あなたが旅行く姿を永遠(とわ)の慈(じ)眼(げん)をもって見守り続けることはできるのです。微笑みをもってあなたの生のすべてを肯定してあげることはできるのです。迷うことも苦しむこともあるでしょう。過ちを犯すこともあるでしょう。苦しむことも悲しむこともあるでしょう。省みるなら、人間とは元々そういうものなのです。でも、それはそれでよいではありませんか。それこそが生きるということにほかならないのですから……。さあもう一度立ち上がって歩いて行きなさい。わたしはあなたを何時までも何時までも温かく見守ってあげますから……」――救世観音の久遠の微笑みを、多分、八一はそう読取っていたのでしょう。

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