時流遡航

危機的状況にある我が国の高等教育(8)(2011,2,15)

日本の高等教育の現状について悲観的なことばかり書いてきたが、明るい兆しがまったくないわけではない。昨年4月には理工学系26学会の代表者が東大小柴ホールに参集して連帯会議を開き、国の学術政策についてどのような対応をとるべきかを話し合った。

現状の脱却に工夫と改革を

この連帯会議開催に先導的な役割を果たした日本学術会議第3部会(岩澤康裕会長)は、毎年5月、岡崎コンファレンスセンターに全国の研究者を集め、大学院教育を中心とした高等教育のありかたについて真剣に論じ合っている。今後は理工系のみにとどまらず文系の諸学会とも連携しながら、将来的な展望に立つ学術政策のありかたを強く国民にアピールしていくべきだろう。専門研究に携わる大学人らの組織的な動きがこれまで殆ど見られなかったことを思うと、この一連の展開は喜ばしいことである。ノーベル賞受賞者の鈴木章、根岸英一両氏が、基礎学術研究の重要さを国民に訴えかけているのも結構なことである。

中等教育界の一部で、通常の学校教育の枠域を超え、真に科学の世界に関心のある中高生を育てようとする機運が高まっていることも評価に値する。なるべくならこの動きが全学問領域にまで広がっていくことが望ましい。受験競争の渦中にあって、ともすれば断片的な知識の習得に走りがちな中高生に対し、基礎学術研究の大切さや学問の世界の奥深さ、面白さなどを説き伝えるのはきわめて重要なことだからだ。たとえば、数学は将来何のために役立つのかと問う中高生に対し説得力のある回答することのできる教員はそう多くない。それこそは数学の重要性を教える絶好の機会なのだが、教員自身に深い教養と高い学識がそなわっていなければ、適切な対応をとれずに終わってしまう。実生活とは直結しそうにない社会思想、歴史、文学、芸術などの専門研究の意義を問われたら、それらがなければ政治や経済の世界の理解もそれらの活動もうまく進まず、また諸々の娯楽作品の誕生さえも難しいことを具体的に述べればよいのだが、これまた中途半端な知識を持つ程度では対応は不可能だ。一定レベルの広く深い教養がその前提とならざるをえないからである。

その意味では、教育環境に恵まれない地方の中学校や高校などに一流研究者が赴き、情熱的な言葉で学問の魅力を語る機会を多々設けるのも一法だろう。たった一度限りの出合いであっても、高い見識に裏付けられた一流研究者の言葉や助言というものが、潜在的な能力を持つ地方育ちの小中高生の向学心を喚起することはけっして少なくないからだ。そんな機会を通して深く啓発された生徒らが、先々それら研究者らに直接指導や助言を求めたりすることができるようになれば理想的である。現在最前線に立つ研究者がその任に当たることは難しかろうが、一線を辞した著名研究者らの力を借りればその実現は容易なはずだ。そのためのシステム構築や講演依頼に要する経費などは、仰々しい教育施設の建設費やその運営費に比べれば安いものである。以前からこの種のことが当然のように行われてきている欧米のことを思うと、なおさらその必要性を覚えてならない。

学生の就職活動早期化で十分な教育ができないことに危惧を抱いた大学人らが経団連や経済同友会に強く働きかけた結果、最近、新卒者に対する企業の説明会や新卒者採用の時期が従来よりも遅くなることになったという。当然な話ながら大学側もその変化を歓迎してはいるものの、この問題の根はなお深い。

一流を自認する企業なら、せめて一社や二社くらいは、他社とは一線を画して大学卒業後に新人採用試験を行い、採用に際しては応募者の卒論の内容まで評価の対象にするくらいの理念と見識を持ったところがあってもいい。新人採用枠全体を一律にそうするのが難しいと言うなら、一部だけでもそのような方式で採用してみればよい。そうやって採用した人材を優遇するなら当該企業の社会的評価は高まるだろうし、その方式が定着すれば、その企業に就職したいと心底思う新卒者などは他社を蹴ってでも、あるいは就職浪人を覚悟してでも応募してくるに違いない。青田買いばかりではなく、黄金色に実った稲穂のみを収穫する企業がそろそろ現れてもよさそうなものなのだ。そのほうが将来の企業の発展、ひいては日本の発展にとっても遥かに有意義だと思われる。

メディアや企業も積極協力を

メディアの中には学術研究や真の意味での教養の重要さについて優れた報道をしているところもあるが、全般的に見ると我が国のメディアはそれらにはほとんど関心がないようだ。視聴率至上主義の民放テレビなどはその傾向がきわめて強く、表面的には学術・教養番組を装っていても、実態は真摯さと深みに欠けるバライエティ番組であることが少なくない。たとえ視聴率は低くとも、しっかりした学術・教養番組のスポンサーになる一流企業が出てはこないものだろうか。当初は視聴者に違和感を与えるかもしれないが、長期的にはそのスポンサー企業の見識の高さが社会に浸透し、企業イメージのアップにも繋がって評価と信用が高まり、優秀な人材も数多く集まることになるのではなかろうか。

昨今、タイガーマスクの主人公伊達直人に名を借りた養護施設への善意の寄付などが大きな話題になっているが、この種の寄付文化が我が国も定着し、将来その対象が学術研究基金や学術奨励金にまで広がるようなら大変喜ばしい。たとえ個々にはごく僅かな額であっても、それらが集まり国の学術や教育の発展に貢献できるとわかれば、日常的に寄付に応じる人も少なくはないだろう。現状においては、そんな殊勝な気持ちがあってもどこに寄付したらよいものかさえわからないから、そのためのシステムづくりが急がれよう。

世界をリードする高等教育と学術研究をもとにして国力を高めるには、海外からの留学生獲得も不可欠だが、問題となるのはその質の確保である。少数でもよいから、十分な奨学金給付を条件に優秀な頭脳を獲得育成し、その能力を国内で重用するようにしなければならない。公的機関も民間企業も従来の偏見を一掃し、海外出身の人材を国内で積極登用すべきである。中国をはじめとするアジア諸国の優秀な若者が、近年は日本を素通りして研究環境も雇用状況もよりよい欧米へと留学してしまう。30万人の留学生獲得を目指すなどと言われているが、三流クラスの学生を数だけ集めても仕方がない。まして、それが乱立する私立大学の学生数埋め合わせのためだけとなると、もってのほかと言うしかない。

なお、これは野依良治氏の持論でもあるのだが、学会と見識ある出版社とが提携し、ネイチャーやサイエンスにも匹敵するような国際的に権威ある学術誌の刊行を図るべきである。国際的な最新研究情報の入手も可能になるし、海外学術誌への投稿を通じて日本の重要な研究情報が即刻漏出し、外国で流用や盗用される可能性も低くなるからだ。繰り返すようだが、ともかくも日本の国力回復は高等教育と学術研究の充実如何にかかっている。

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