時流遡航

《時流遡航265》日々諸事遊考 (25)(2021,11,01)

(自分の旅を創る~想い出深い人生の軌跡を刻むには――⑯
(著名人ゆかりの地に廻り合う)
 行き当たりばったりの旅をしていると、思いがけないところで過去の著名な人物ゆかりの地に廻り合うことがあるものです。あらかじめガイドブックその他の手段で調べた情報を基にその地を訪ねるようなケースとは違って、突然そんな偶然に恵まれたりすると受ける感銘もひとしおです。事前に各種の資料類を調べ、さまざまな関連知識を得たうえでその種の場所へと出向く場合は、結果的にそれらの情報類の再確認に終わってしまうことが多く、その分感動は薄れてしまいがちなものです。
その点、旅先で偶然そんなところに辿り着いた際に覚える深い感慨には格別なものがあります。ましてやその場所がうらぶれ果て訪ねる人もほとんどいないようなところだったりしたら、そんな思いは一層大きなものになるでしょう。それはまさに世阿弥筆の「風姿花伝」の中にある「秘すれば花」の教えにも通じるものがあるのかもしれません。旅人の立場からすれば、「秘せらるれば花」という受動態の表現のほうがより相応しいということにはなりましょうが……。
 それはもう40年ほど前の初冬の頃の出来事なのですが、長野市から新潟県直江津市(現上越市)方面に向かって車を運転し、国道18号線をゆっくりと北上しながら旅を楽しんでいたことがありました。そしてその途中でのことですが、たまたまある看板に目を止めたのでした。なんとそれは、晩年の小林一茶が暮らしたとかいう住居跡への案内板だったのです。一茶の俳句やその足跡にはいささかの関心があったからでしょうか、妙に気になったものですから道路脇のスペースにしばし車を止めてみました。そして案内板の表示に従って少しだけ横道に歩み入ってみると、そこには古い土蔵造りの建物とその付属小屋らしいものが、ごく簡素な佇まいで並び建っていました。現在もそれらの住居跡がそのまま保存されているのかどうかはわかりませんが、当時はよほど物好きな人でなければ立ち寄らないような雰囲気のところでした。初冬期ゆえにまだ積雪はなかったのですが、夕刻のことでもあって、木立に囲まれたそのあたり一帯は薄暗く、全身に震えがくるくらいの冷気に包まれていました。他に人影のないその場に独り佇みながら、私は、その白壁に囲まれた古い建物の由来を記述した解説板にじっと見入ったような次第でした。
 そこには、あの小林一茶の晩年の有名な一句、「これがまあ終の栖か雪五尺(これがまあ、ついのすみかか、ゆきごしゃく)」が記されてもいたのです。一連の解説によれば、様々な人生の辛酸を舐め尽くした一茶が故郷に戻り、老いさらばえた孤独な生活を送るなかでその一句を吟じたのがそこであったというわけなのでした。もう少し冬が深まった時節であったなら、一茶のその句にあるように一帯は深い積雪に覆い尽くされていたことでしょう。それまでは一茶のその句を頭の中だけで解釈し、それで納得したような気分になっていたのですが、偶然の成り行きに導かれるままに、その土蔵内にたった一人で立った瞬間、私はそれまで感じたことのないような、ある種の強い衝撃を覚えたのでした。
そんな受け止め方はいささか過剰ではないかと言われてしまえばそれまでのことなのですが、その時、突然、私は、ある種の幻覚に襲われたのでした。「所詮人生とはこんなものよ!」と言わんばかりにカラカラと高笑いしている老翁一茶の乾いた声が、その土蔵いっぱいに響きわたっているような、不思議な感覚に陥ってしまったからなのです。さんざん人生の悲哀を味わった末に、諸々の苦悩や煩悩の数々を一切超越した一茶の究極の魂が、いまもそこに人知れず潜み息づいているように感じられたからにほかなりません。さらにまた、その現(うつつ)とも幻ともつかない声を耳にした途端に、「雁よ雁いくつのときから旅をした」という句をはじめとする一茶の著名な句の数々が一連の結びつきをもってくっきりと浮かび上がってもきたのでした。
いま少し詳しく述べるなら、「雁」や「旅」という言葉をはじめとする一つひとつの言葉に秘め托された一茶の深い悲しみや尽きない想いが瞬時にして浮かび甦ってくるような心持になり、それらの句の奥底に忍び隠された謎の一端が解けたような想いに浸ったというわけだったのです。ほんの一瞬のことではありましたが、私の心が、遠き日の一茶の体内リズムに共鳴したとでも言ったほうがよいのかもしれません。先人達がその中で歌や句を吟詠した原風景の残る地に佇むのは、やはりそれなりに意味のあることなのでしょう。まして、旅先で思い掛けなくもそのような体験に廻り合えたような場合には、当然のことながらその感慨にもひとかたならぬものがあるのです。
(歴史的想像力の機能を考える)
以前にも一度そのことについては述べ記した憶えがあるのですが、歴史的想像力の光というものは、逆三角形状、あるいは逆円錐形状にはたらかせなければならないと言われてきています。昔の物事を考える場合、ともすると私たちは無意識のうちに現代の尺度のみをもってそのプロセスに臨みがちなものですが、それだけでは大きな見落としや間違いを犯してしまうというのです。
換言すれば、歴史的想像力というものは、過去から現在の方向を眺め照らし出すかたちで働かせなければならないというわけですが、旅をしていると実際その通りだと痛感させられることも少なくありません。記憶がいまひとつ定かではないのですが、まだ若かった時代にそんな知見を私に授けてくれたのは、多分、歌人・釈迢空としても知られる民俗学者の折口信夫の著作だったような気がします。
確かに、想像力の原点を過去の世界に据え置いて、そちらから現代に向かって逆三角形あるいは逆円錐形状に光を当ててみますと、それまで見落としていたいろいろな事実がはっきりと浮かび上がって見えてくるものです。もちろん、その一方で、現代的な視点や価値尺度に基づいて過去の世界を展望したり分析することも重要で、とくに過去の悲惨な戦乱などを再考・反省したりする際にはそれは必要不可欠です。
ただ、そのような場合でも、過去の世界に視点を置き当時の価値尺度に従って現代世界の方向を展望したときの認識像を合わせて考察を進め、相補的に一連の事態の流れやその本質を把握するべきではあるでしょう。
要は、過去から現在を照らす想像力の光と、現在から過去を照らす想像力の光とによって浮かび上がるふたつの歴史的光景を融合しながらその真髄に迫るのが最善ということなのでしょう。そう考えてみると、旅というものは、ともすると喪失してしまいがちな前者の想像力の光源の確保に一役買ってくれるところがあるとも言えるでしょう。コロナ禍の広がりによって自由に旅などできなくなってしまった昨今の世相ですが、このようなときだからこそ、我々個々の人生にとっての旅の重要性というものを再確認しておくべきでしょう。「これがまあ終の狙いかコロナ栄え」などと戯れる気は毛頭ありませんが……。

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