時流遡航

《時流遡航》エリザベス女王戴冠式と皇太子訪英(9)(2015,01,01)

 そんなわけで、NHKから特別派遣されたアナウンサーの藤倉修一でさえも、ウエストミンスター寺院外の特設櫓上に詰めて、リアルタイムの実況放送ならぬ「実況録音放送」をやらざるをえなくなった。しかも、実況録音放送ならまだしも救いがあったのだが、現実には「実感録音放送」とでも称すべきなんとも情けない状況に甘んじなければならなかった。ただ、だからといって不平不満を並べ立てるわけにもいかなかった。その特設櫓上に設置された白黒テレビの映像を見ながらの「実感録音放送」でさえも、アジアの各国語放送部局の中にあっては、日本語放送部局のみにしか許されていなかったからである。
 当日、石田達夫のほうはバッキンガム宮殿に待機し、そこで女王一行のパレード到着の様子を取材することになっていた。また、TBS派遣の徳川夢声は、オックスフォード・ストリートに面するセルフリッジスというデパートのショーウィンドウ中に臨時に設けられた観覧席に陣取って、華やかなパレードの様子を実況録音することになっていた。
 英国到着直後からなにかと石田の世話になっていた外大助教授小川芳男の場合は、現地での仕事がらみのバックグランドがないだけに、状況はもっと深刻だった。戴冠式を終えたあとのエリザベス女王の晴れ姿を一目見てみたいと思った彼は、パレードの行われる街路沿いに設けられた観覧席のチケットを入手しようとしたが、願い通りには事が運んでくれなかった。小川が渡英した四月末までにはよい席のチケットはすべて売り切れてしまっていたからである。そこで小川は、なんとかしてほしいと急遽石田に相談をもちかけた。
 石田は方々に手配し、まあまあの屋外観覧席用チケットを小川のためになんとか入手することはできたのだが、多数の外国人観光客が押しかけてきていたこともあってすでにかなりのプレミアがついていた。そのため、小川は二十五ギニーの対価を支払わなければならなくなったのだが、欧米通貨に対する日本円の為替レートが著しく低い時代のことだったから、そのチケット代は円換算で三万円ほどにも相当していた。当時の日本人にとっての三万円という金額は、現在のそれとは違って並大抵のものではない。いくら世紀の祭典を目にするためだとはいっても、それは小川にとって頭がクラクラするような出費であった。しかも、六月には稀に見るような荒れ模様の天候の中、冷たい風雨にさらされながらの見物ときていたから、踏んだり蹴ったりもいいところの情けない状況となった。
 ウエストミンスター寺院での戴冠式が始まると、特設櫓上の藤倉はいつもながらの録音作業に孤軍奮闘することになった。右手にマイクロフォンを持ち、左手で音量の調節をし、その合間に時々腕時計を睨みながらの、なんとも原始的な世紀の録音放送となったのだった。ディレクターも助手もおらず、ストップ・ウオッチひとつない状況下での収録作業は、終戦直後の日本国内においてさえも考えられないような体験であった。さらにまた、そんな藤倉修一に対して異常な寒気が追い討ちをかけた。
(想定外の展開に藤倉も絶句!)  
 英国においても戴冠式は二十五年ぶりのこととあって、現地の報道にはイギリス人にとってさえも耳馴れない言葉が続々と登場していた。それらの言葉をむりやり日本語に直してもらったものを織り交ぜながらの放送だから、話はますます厄介だった。BBC日本語部スタッフの協力もあって、さまざまな故事来歴、戴冠式の次第、戴冠式で重要な役目を任じられている人物の経歴、各国元首についての情報などの資料は用意されはいたが、藤倉にすればいまひとつピンとこないものばかりだった。せめて戴冠式の行われる寺院内の様子でもあらかじめわかっておればよかったのだが、式場の下見を許されるのは当日寺院内での取材に携わる者だけに限られていたから、それさえもならぬままに、ぶっつけ本番で放送に臨むしかないというわけだった。しかも、エリザベス女王の式場入りの時刻やその手順、戴冠式で着用される衣裳などについての情報もその日になって発表されたばかりであったから、藤倉が当惑するのも当然のことだった。
「エリザベス女王がただいまウエストミンスター寺院にご到着になられました。その若くて輝かしいばかりの笑顔は、まるであたりに匂い伝わりでもするかのようになんとも美しくていらっしゃいます。あっ、いまそれに続いてチャールズ皇太子がご到着になられました……」
 そこまではよかったのだが、女王一行がウエストミンスター寺院の中に入ってしまうと、もうどうにもならなくなった。実況放送とは名ばかりで、その現実はテレビを見ながらの実感放送というわけだったから、その結末は自明のことであった。藤倉が寺院内の様子を放送し始めてすぐさま困惑したのは、唯一の頼りとなるべきテレビ画像の予想外のめまぐるしい展開だった。寺院内の式場にはBBCのテレビ放送が始まって以来初めてのことという触れこみのもと、十数台ものテレビカメラが設置されていた。そして、それらのカメラが捉えた映像が次々に映し出される関係もあって、画面がどんどん切り換わり、儀式全体の自然な流れや、個々の儀式の詳細を伝えてくれるはずの画像が折々中断されてしまうのだった。おかげで、実況放送はおろか、実感放送でさえも危うい事態に陥ってしまった。
「ええ……ただいま、女王様は中央式台にお進みになり、カンタベリー大僧正から純白のガウンをお受け取りになられました……ええ……つづいて女王様は玉座にお戻りになられ……(絶句)……」
 藤倉がそこで絶句してしまったのも当然だった。女王が玉座に戻った途端にテレビの画面はその場に居並ぶ各国元首や高位高官の賓客らの姿を捉えた映像に切り換わり、すぐにはエリザベス女王の様子を捉えた映像に戻ってはくれなかった。そのため、折角描写しはじめた女王の様子についての言葉が途切れてしまい、あとが続かなくなってしまったのだった。だからといって、適当に想像をめぐらしながら話を続けたりしたら、再び女王の姿が映し出されたとき、まるで辻褄の合わない状況になってしまっているおそれがあった。
 事前にさんざん苦心して調べ上げた式次第についての原稿を頼りに放送を続けようとしても、単調な儀式の放映を避けるために、テレビの画面のほうは、貴賓席や聖歌隊の様子を伝える映像、ステンドグラスの映像、さらには聖職者らの映像といった具合にめまぐるしく切り換わって、いったい式がどこまで進みどのような展開をみせているのか、藤倉にはさっぱりわからなくなってしまった。その結果として、当然、放送のほうは絶句につぐ絶句という、新米アナウンサーにおいてさえもまず起こり得ないようなシドロモドロの状態になってしまったのだった。

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