時流遡航

《時流遡航289》日々諸事遊考 (49)(2022,11,01)

(老いた身が小ドライブ旅行に托す想い――⑥)
 カーブの多い急斜面沿いの車道を登り切って亀石峠に出ると、直ぐさまそこで伊豆スカイラインへと入り、箱根峠方面へと向かってハンドルを切りました。大気も爽やかそのもので遠望も利く絶好の好天下であったにもかかわらず、スカイラインには他に車の影は殆ど見られず、ひたすら自然の景観に浸りながらマイペースの快適なドライブを楽しむことができました。途中にある幾つかの展望所に立ち寄りつつ、東方眼下に広がる相模湾一帯の景観や、水平線沿いに浮かぶ房総半島の山影を遥かに望んだり、逆に西方眼下に広がる韮山周辺の緑豊かな風景や、その向こうから何事かを語りかけでもするかのような駿河湾一帯の遠景を心ゆくまで楽しんだりもしました。進行方向左手前方には、息を呑むほどに秀麗な富士山の姿が輝き浮かんで見えもしていました。周辺の林の中で折々響き渡る様々な野鳥の鳴き声などにそっと耳を傾けるのもまた、心地よいかぎりではありました。 
 熱海峠、十国峠を経て国道1号線と交差する箱根峠に至ると、更にそこから芦ノ湖スカイラインへと車を乗り入れました。そして、山伏峠、杓子峠、三国峠などの展望台に立ち寄って芦ノ湖や富士の裾野一帯の旅情溢れる景色を堪能したあと、御殿場方面へと続く主要道138号線との合流地点を目指してジグザグカーブの続く401号線を下って行ったのです。すると突然、途中の大きなカーブ沿いの一角に立つ「駿河台」という案内板が目に飛び込んできたのでした。東京千代田区神田の駿河台なら知らない人などいないくらいなのですが、人里離れたこんな高地にある駿河台なんて聞いたこともないので、いったい何なのだろうと不思議に感じました。そこで反射的にブレーキを踏み込み、道路脇の駐車スペースに車を止め、その場に降り立ってみたのです。
 どうやら以前そこには茶屋が一軒あったようなのですがそれらしい小屋は既に朽ち果て、他に人影などは皆無で、少し奥まったところに小ぶりの鳥居がひとつぽつんと立っているだけでした。しかも、その鳥居の向こうに社殿や祠らしいものは何もなく、折からの夕霧の漂う谷合が見えているだけなので、しばし戸惑いを覚えたものでした。ただ、幸いにも、偶然その直後に霧が少しばかり晴れてくれたおかげで、その地が「駿河台」と呼ばれている理由を知ることができたのです。何と鳥居の囲う空間にぴったり納まるようにして視界の向こうにぼんやりと浮かび上がったのは他ならぬ富士の山影だったのです。要するに、そこは文字通り富士山そのものを御神体とする特異な神社にほかならなかったのでした。
 どうやら、そこは、古来、駿河の国の象徴そのものである富士山の美しい姿を唯一無二の御神体として崇め奉るための神聖なお台場、すなわち「駿河台」だというわけなのでした。鳥居の脇には簡単な解説板のようなものがありましたが、それによると、「駿河台」という地名の語源はこの地にあるのだということのようでした。あまりに閑散としたところゆえ、それが事実なのか否かはこの身には確かめようなどありませんでしたが、ひとつ予想外の発見がありました。そう遠くない時期に建て替えられたと思われる鳥居の右脚下部に、その「駿河台」を日本の歴史文化の原点のひとつと讃えるある人物の言葉が本人直筆の書体で刻み込まれていたのです。それは、若い時代に作家として頭角を現し、晩年は政治家としても名を馳せ、先年他界した人物のものでありました。個人的にはその政治的主義主張には賛同しかねるところが多々ありもしましたけれども……。
 この日は夕刻から天候が急変したこともあって、直ぐに富士の山姿は見えなくなり、残念ながら「駿河台」の真髄を体感することはできませんでした。ただ、折を見て、あらためてその地を訪ね、鳥居越しに感動的な富士の姿を仰いでみたいと思いはしました。これまでそんなことなど考えたこともありませんでしたが、東京神田の駿河台という呼称も、以前はその高台一帯から秀麗な富士の姿を拝することができたからなのでしょう。
 駿河台をあとにした私は、一気に御殿場へと下り、山梨方面へと続く国道に入ると篭坂峠を越えて山中湖畔に至りました。そして湖畔の周回路沿いに道志路への分岐点を目指したのですが、その途中、湖畔沿いにある閉鎖中の別荘地の前に差し掛かりました。その瞬間、過ぎし日の懐かしい想い出が甦ってきたのです。実は、その古い別荘は、今は亡き友人の会社社長が、当時の所有者からそれを借り受け、社員の保養所として活用していたところで、私自身も家族や教え子らと共に何度も利用させてもらったことがありました。元々は美空ひばりと結婚した俳優の小林旭が一時期所有していた豪華な別荘で、小林・美空夫妻はその別荘で折々優雅な生活を楽しんでもいたのだそうです。私が使わせてもらった頃には相当に老朽化していましたが、往時の面影をなおもとどめてはいました。     
最上階にある壮麗な造りの客間や寝室などから眺める山中湖一帯の景観や、屋上階で目にする富士山とその山麓周辺の眺望は言葉に余るほど素晴らしく、それに小林旭・美空ひばり夫妻の想いなどを重ね見るときの感慨はひとしおだったものなのです。ただ、国立公園保護法の改正により、湖畔に直に面するその別荘の建て替えは許可されなくなり、極度に老朽化の進んだ今では閉鎖のやむなきに至ってしまったようなのでした。
そのあと山中湖東端から道志路に入った私は、すっかり濃い宵闇の中に沈み込んだ深い渓谷沿いの車道をひたすら走り抜き、夜9時頃に無事府中の自宅に帰り着いたのでした。
(伊豆で贈られた古事記に感銘)
 帰宅した翌日、伊豆の大脇別荘で小林浩志氏から贈られた村田健史著の「古事記」を手にした私は、神代編の現代語訳を収録した同書の素晴らしさに深く感銘を覚えるところとなりました。これまでにも幾つかの古事記の現代語訳書を読んだことはある身なのですが、それらと比較しても同書では個々の神話の核心となる物語がずっとわかりやすく述べ記されていたからです。しかも、随所に、誰にでも容易に理解できるように、明確かつ綿密に分類整理された神々の系譜、諸神の特質、役割、相互関係に関する解説図などが多々添えられており、その見事な編集と構成ぶりはひとえに称賛に値するものでした。さらにまた、優れたカメラマンでもある編集者の小林氏自身が全国を廻って撮影した300カ所に近い古事記ゆかりの神社や史跡の写真が収録されているのも驚きではありました。
 多くの方々に是非ともお薦めしたい立派なハードカバーの大著なのですが、なんと私家版の書籍ゆえに一般書店で入手することは不可能なようなのです。筆者の村田氏も編集者の小林氏も理系学部出身の神職で、古事記の専門研究者ではないとのことでしたが、引き込まれるようにしてその著作を一息に読み終えた身にすれば、古事記の世界に対するお二人の見識の深さと情熱のかぎりに圧倒され、ひたすら敬意を表するばかりではありました。

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