時流遡航

《時流遡航》回想の視座から眺める現在と未来(24)(2016,02,01)

(SPring―8と社会科学者チームの連携)
 最近、一部の社会科学者のチームが先端光科学の専門研究者らと連携し、日本の光科学研究の現況やその発展史、さらには将来の展望などについて社会科学的な側面から光を当て、その研究分野の持つ諸々の意義や問題点を深く論じる仕事に着手し始めた。これから10年がかりの大仕事になりそうな感じだそうだが、私個人としてはその着実な進展を願ってやまない。一般の人々に世界に誇る日本の先端光科学の真髄を熟知してもらう意味でも、社会科学者によるそれら一連の研究や検証は重要不可欠なものだからである。
 その研究チームは、それぞれに持ち場を分担しながら、現在の放射光科学や各種加速器の原点となった理化学研究所仁科義雄研究室主導の戦前戦中のサイクロトロン創設に始まり、現代、さらには将来の展望にまで論考の幅を広げようとしている。なかでも、「科学は社会化され、社会は科学化される」という共通理念のもと、彼らがことさら力を入れようとしているのは、ほかならぬ国家基幹技術SACLAやSPring―8の社会学的考察である。SACLAに象徴されるような先端光科学総合研究施設は、関連企業の研究開発プロセス自体に大きな変化を惹き起す一方(社会の科学化)、関係する企業側も当該科学研究施設の運営形態やそこにおける学術研究の展開に大きな影響を及ぼす(科学の社会化)からである。日本の科学がますます発展を遂げて社会的に大きく貢献し、世界の学術界や産業界をリードしていくためにも、今後、科学者や技術者と社会学者の連携体制が整えられていくことが望ましい。
 この研究チームを統率するのは経営組織論の専門家である桑田耕太郎首都大学教授や松島登神戸大学教授らである。国内の社会学者としては異例なほどに理化学系・工学系学術分野に深く通じる両研究者と行動を共にする社会科学者グループは、当然、自然科学や応用科学に対する造詣が深い。先述したSPring―8学術成果集の制作完了から1年ほど経ってからのこと、個人的な教え子である桑田教授との話し合いのうえで、私が仲介者となって、幾つかの大学に属する8人ほどの社会学系研究者グループをSPring―8へと案内することになったのだが、それが契機となって社会科学の視座に基づく先端光科学の研究体制が整ってきたことは嬉しいかぎりである。その社会科学者グループの訪問当日、わざわざ施設の玄関先まで出迎えに出てもらった石川哲也センター長や高田昌樹副センター長(現在東北大学招聘教授)の二人にも、桑田教授以下の研究者チームの共同研究者として名を連ねさせてもらえることになった。高齢で思考力が衰えたうえに、遠の昔に研究の場を離れた私には、もちろん、そんな研究に参画などすることなど最早不可能なのだが、折々要請を受けてアドバイザー的な役割だけは果たすように心がけている。
 人目には無縁な荒野の片隅に辛うじて咲く一輪の名もなき花のような存在のこの身に、今更偉そうなことをなど提言できるわけもないのだが、社会科学者ばかりでなく、芸術関係の研究者を含めた人文科学系研究者にも、この際、自然科学や応用科学の分野と積極的に関係を持つことを心がけてほしいと思う。逆にまた、自然科学や応用科学研究分野の関係者にも、石川哲也センター長のように、社会学、人文科学、芸術学系の研究者と進んで連携交流することをお願いしたい。さらに、各大学当局や教育行政関係機関や諸々の研究機関などには、あらためてその重要さを認識してもらいたいものである。社会の文化的・歴史的変遷に伴い、国際的にも学術分野の枠を超えた学際的研究の必要性が叫ばれている今、新たな視点に立ち、率先して自然なかたちでの文理融合の実践を目指すべきだろう。
(文系資質はソフト開発に必要)
 70年代後半にアメリカを中心にして誕生発展した認知科学という学術分野の中枢に位置していたのは、ほかならぬ人工知能の研究であった。だが、当時のコンピュータやソフトウエアの処理能力の限界などもあって、90年代末頃までにはその研究は一旦下火になった。ところが、ここにきて再び人工知能の研究が再び脚光を浴びるようになってきている。検索システムエンジンで知られる米国google社などが世界中から優れた人材を集め、近年一段と性能の向上したスーパーコンピュータなどをベースに、多岐にわたる本格的な人工知能の開発研究に参画し始めたことなどは、その象徴的な事例だろう。
国内でも、一部の研究者が東大入試合格レベルを目標にした人工知能の開発や、星新一風のSF短編作品を執筆できるような人工知能開発にチャレンジしつつあることは周知の通りである。無作為に集めたビッグデータと呼ばれる膨大な情報群を高速処理し、個人の諸特性を割り出したり、社会の実態やその動向などを的確に推測したりするのも人工知能の仕事の一環だ。臨機応変に自然言語を話す対話型ロボットや諸言語間に対応できる翻訳マシンの開発なども人工知能システムを応用したものにほかならない。
人工知能の根幹を支えるのは、いうまでもなくコンピュータを機能させ、諸々のデータ処理を実践するソフトウエアなのだが、このソフトウエア開発に関しては一般の人々の間でひとつだけ誤解されていることがある。ソフトウエア構築はガチガチの理科系人間の仕事であり、文科系人間には無縁かつ理解不可能な世界であるという誤解がそれである。
もう遠い昔の話だが、80年代の一時期、専門の論理学絡みで、初期の人工知能の基本ソフト研究に関わったことがある。その経験に基づけば、現代におけるソフトウエアの開発にはむしろ人文・社会学系に属する総合的な知識や素養が不可欠だと思われる。実際、人工知能などの根幹ソフトウエアの作成に多大な貢献をしている人物には俗に言う文科系出身者が少なくない。ソフトウエアとは元々一種の複雑高度な言語学的体系そのものなのだから、優れたソフトウエアを開発するには、高い言語能力や文章表現力、人間固有の思考システムの解析力、想像力、芸術的感性力などが要求される。物理化学や数学の知識が優れていたり、工学的な技術に精通していたりするだけでは、人間の肉体に相当するコンピュータ本体は開発できても、思考する人間の魂や心に相当するソフトウエアを創造することはできないのだ。ゲームマシンの開発ひとつをとっても、それに関わるクリエータには魅力的な展開のストーリー創作能力が不可欠なことを思えば、そのことは自明だろう。
私の知人にかつて日銀の中枢コンピュータシステムのセキュリティ部門責任者をやっていた優秀な人物がいる。だが、当時の日本のコンピュータ・セキュリティ体制に限界と失望を感じた彼は、その頭脳をハントされたのを契機に米国企業に転職し、さらにそこからオーストラリアのパースにある世界最高レベルのセキュリティ専門の教育機関へと移って研鑽を積んだ。現在海外で活躍する彼は、私立大学法学部の出身なのだった。

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