時流遡航

《時流遡航》回想の視座から眺める現在と未来(31)(2016,07,15)

(若き日に心奥に刻んだパチンコ絡みの教訓)
 鼻っ柱だけが強く、己の分際など十分には弁えていなかった学生時代、偶然のことから学んだ教訓には生涯忘れ難いものが少なくない。深川に住み夜警のバイトをやっていた頃には、貧乏学生の身だったにも拘らず、息抜きと実利を兼ねて時々パチンコ屋にも出入りしていた。コンピュータによる自動制御で玉が連続的に打ち出される昨今のパチンコ台とは違い、当時のパチンコ台は手打ち式で、もっぱら親指を駆使し、その感覚に頼って玉を打ち出していたものだ。盤面には釘師と呼ばれる専門職人の手で微調整された釘が無数に打ち並べられており、それらの釘の全体的な配列や個々の釘の微妙な傾き具合などによって、よく玉の出る台と玉の出ない台とに仕分けられていた。盤面全体の傾き具合や日々の湿度の相違なども玉の出具合に大きく影響していたようである。もちろん、そんななかにあって、洗練された指使いこそは勝利を収めるための秘訣でもあり絶対条件でもあった。
 もしお客が真剣に勝負しようと思ったら、店内のパチンコ台の配列やその盤面の傾き、釘の状態などに対する鋭い観察眼を培う一方で、強弱様々な勢いで玉を弾き出す微妙な指の感覚を磨き上げる必要があった。
また、どの台が出やすいか統計をとってみるのも一法で、実際、私は、その種のことも試みていた。要するに、当時のパチンコ台の玉の出具合は現代のそれよりもずっと人間的要素やお店の環境に左右されていたのである。そんな状況ゆえに、私は自分なりに攻略法を勘案し勝負に臨んでいたので、平均してそれなりの成果をあげることができ、損をするようなことはまずなかった。貧乏な身ゆえの自制心と慎重さだけはあったから、負けが込んでいたらパチンコ屋への出入りはやめていたことだろう。 
 そんなある日のこと、門前仲町に近い行きつけのパチンコ屋で五十歳前後かと思われる男と隣り合わせになった。シャツ姿を着流したその人物はその店の常連客で、いつも大量の数の玉を出しているのをよく目にしていた。その風体や雰囲気から察するに、彼は、巷にあってその存在を知られるパチプロの一人であるに相違なかった。玉を弾きながら横目でその人物の様子を窺うと、次々に玉を弾き上げるその手捌きは見事なもので、受け皿にはジャラジャラと音を立てながら今にも溢れ出さんばかりの量の出玉が溜まっていた。私のほうもそれなりには玉を出していたのだが、隣のそれに比べると恥ずかしいほどの量に過ぎなかった。しばらくは二人並んでそのまま玉を打ち続けていたが、やがて男は手を休めると胸のポケットから一本のタバコを取り出し、ライターでそれに火をつけた。そして彼がそのタバコの煙をくゆらし始めたとき、たまたま私と目が合ったのだった。
「この店でよくお見かけしますけど、今日も凄い稼ぎぶりですね」と話しかけると、相手は薄ら笑いを浮かべながら、「お兄ちゃん、学生さんかい?」と応じてきた。「ええ、そうですが……、それでオジサンのほうは?」と問い返すと、男は無言のまま意味ありげにニヤリと笑った。私もさすがに「パチプロですか?」とまでは聞き質すことができなかった。彼はしばらく間を置いてから改めて私のほうに顔を向け、「兄ちゃんもまあまあのお手並みのようだね」と低い声で語りかけてきた。そこで、「ええ、いろいろ自分なりに研究したり工夫したりしながら何とか頑張ってます」と答えると、一呼吸おいたその次の瞬間、相手は思いもかけない一言を吐きかけてきたのである。
「兄ちゃん、あんたがそこそこの数の玉を出しながら恰好つけてるのは分かるけどさ、俺たちみたいなパチプロなんかにゃとてもなれはしないはなぁ」
 正直なところ、その言葉はカチンときた。自分なりには頭も身体も張ってチャレンジしているつもりだったし、それなりに儲けもしていたから、ちょっとしたプライドはあった。また、世のまっとうな仕事からは些か外れたパチプロなる稼業に対する偏見もなくはなかった。だから、私は即座に反論しようと身構えた。だが、彼はこちらのそんな胸中を見透かしでもしたかのように、さらに畳み掛けるような言葉を浴びせかけてきた。
「兄ちゃんと俺たちパチプロとどこが違うと思う?」
 そう問いかけられてしばし返事に窮した私は、どこか諌め諭しでもするかのような男の視線を感じながら、どう答えたものかと考え込んだ。すると、相手はこちらの答えなど鼻から期待などしていなかったような口調で、極め付きの一語を言い放ったのだった。
「兄ちゃんと俺っちとの違いはな、パチンコだけで喰っていく覚悟のほどがあるかないかなんだよさ!……兄ちゃんのは所詮遊び……遊びじゃプロにはなれないのさ」 
 いきなりガーンと頭をぶん殴られた気分だった。返す言葉などまるでなかった。普通のお客よりはちょっとだけ玉を出せるくらいでいい気になっていた自分が正直恥ずかしくなりもした。そこで、無言のままで受け皿の玉に残っていたパチン玉を手に掬い取ると、そそくさとその場を立ち去ったのだった。それ以降というもの、私はパチンコ屋に出入りすることをぴたりとやめた。俗な言い方をすれは、すっかり足を洗ったわけである。
(格言の重さを痛感させられる)
「二足の草鞋を履くな」とか、「二兎を追う者一兎も得ず」とかいった古来の有名な格言を知らない人はまずあるまい。ただ、この種の教訓は、学校の授業など、あまり切実感のない場所や状況下において、まるで何かのお題目であるかの如くに説き伝えられるのが普通である。頭の中では「なるほど、そんなもんか」と思ったりはしたとしても、その意味を自分の人生行路に重ね合わせて考え、現実感を以て納得する人はまずいない。知識の一端として脳裏の何処かに刻まれはしているにしても、日々の生活の中にあっては、そんなことなどすっかり忘れて二足の草鞋を履き、二兎はおろか、三兎も四兎も獲物を追おうとするのが欲深い人間の性(さが)というものだろう。
 だが、この時のパチプロの矜持に満ちみちた強烈そのものの言葉は、衝撃的なまでの力をもって私の心奥深くに刻み込まれた。確かに私にはパチンコを生業として暮らしを立てる覚悟など皆無だった。だから、そんな自分がパチプロの域にまでパチンコ技術を磨き高められるはずもなかったのだ。世間にあっては、パチプロという職業をまともな人間のやることではないと見下すのが常なのであろうが、彼らは彼らで頭と身体をフルに使いながら、パチンコ店のアピール役なども兼ねつつ日々懸命に生きてきていたのである。
 若い時代にそんな苦い体験を積んでいた所為もあって、私は極力二足の草鞋は履かず、二兎も追わないように努めてはきた。研究者として大学に籍を置きながら雑文執筆を副業とするほうが生活は楽だったのだろうが、貧乏覚悟で敢えて駄文ライターの道に身を転じたのも、詰まるところは、あのプロパチの一言があったからにほかならない。

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