時流遡航

危機的状況にある我が国の高等教育(4)(2010,12,15)

日本国内における学術界への民間支援は欧米先進諸国に比べてとても少ないと書いたが、そのことは別の意味でも研究体制に少なからぬ影響を与えている。日本の研究者の場合、たとえ多額の研究資金を獲得したとしても、ほとんどが国費であるという理由から、資金の用途や費用対効果、研究業績などについて細々とした報告書提出を義務付けられる。その種の書類作成に不慣れな研究者は、その対応に相当な時間と労力をとられてしまい、本来の研究に専念するどころの騒ぎではなくなってしまうのだ。だからと言って報告書作成のために人手を探すとなると、それはそれで多大な費用や手間が必要となる。しかも、一部の研究費の場合を除いては単年度会計処理に基づく書類提出を求められるから、事態はますます煩雑をきわめることになる。激しい研究費獲得競争があるにもかかわらず、いったん獲得すれば自由に使える民間の学術資金が豊富なうえに、公的な研究資金の場合でも獲得したものについては伝統的にその使途が自由な欧米とは大きな違いなのである。

国立大学法人化に伴う諸問題

国家財政の逼迫に伴う研究教育費削減と組織経営の合理化とを狙った国公立の大学・研究機関の法人化や、「成果主義」を旗印にした政官主導の産学共同促進政策のもたらすひずみも問題である。当初、これら一連の改革については、予算使用の自由度が高まる、大学の自浄能力が向上する、諸学問分野間の連携が緊密化し相互に研究協力を進める契機となる、学術界と産業界との人材交流が深まる、などの利点があるとされていた。だが、現実には、その謳い文句とはまるで異なる事態が生じてきている。

日本学術会議の理事をも務める成田吉徳九州大学大学院教授などは、大学での教育や研究存続に対して多くの大学人が抱く深い危惧の念を代弁し、「近年、大学人は目の前の雑務に追われ、深い思索を重ねる時間を奪われる危機的状況に陥っています。大学の法人化に伴い、個々の研究評価や各研究組織・グループ単位ごとの活動の可視化が求められ、それらに膨大な時間を割かなければなりません。国費を使う以上、そういう要求にも一定の正当性を認めるべきですが、度が過きると研究者本来の深い思考に基づく知的生産に支障をきたします。予算削減圧力をかけ続ける行政への対応で手一杯の大学は、本質的な知の産出なき繁忙状態に瀕しているのです。やむをえないので、当面は過去の成果を組み合わせる小手先の研究でその場凌ぎをしていますが、壮大な研究の流れには繋がることのないこの状況は、日本の学術研究衰退の序曲にほかならないでしょう」と語っている。

また、谷口功熊本大学学長の「法人化の悪影響で地方大学は財政的にも人材的にも困窮し存亡の危機に瀕しています。地方には独創性豊かな学生がいるのですが、彼らを一流研究者に育てるだけの余裕はもう地方大学にはありません。優秀な准教授クラスの教官が研究そっちのけで知的生産とは無関係な雑用に追いまくられているありさまなのです。他の地方大学と提携して中国あたりに分校を設け、そこで人材の育成と確保に乗り出したいくらいなんですよ」という言葉などからも、大学教育現場の深刻な実態が窺われる。

蚕に関する優れた基礎研究などを進める横山岳東京農工大学大学院准教授などは、「私の研究室に支給される年間研究費は30万円です。そのためだけに面倒な書類などを作成するくらいなら、もらわないほうがましなくらいですよ。私なんか、いまや営業マン兼事務員みたいなもので、研究職などはそのまた兼業といった有り様です。大学の上層部からは、このままだといずれこの大学は崩壊するかもしれないから、心の準備だけはしておくようにとも言われていますよ。結局は国民の自覚の問題ですね」と自嘲の言葉を発している。

基礎学術発展に発想の転換を

基礎科学研究の第一人者で哲学にも造詣の深い中村宏樹前分子科学研究所長などは、基礎学術研究とその応用研究とを同一レベルで考える近年の学術行政を批判し、長期的な基礎学術研究は大学主導で、短期に成果を求められる応用技術研究は産官主導で進められるべきだと提唱する。そして、成果主義導入のために短期的な新技術開発のみが重要視され、大学院本来の基礎学術研究が軽視されている日本の現状に対し、「国家百年の大計にもとる」と警鐘を鳴らしている。また、「教育には費用がかかる。しかし、それを惜しんで凡庸な国民をつくれば遥かに費用がかかる」というレーガン大統領時代の米国のレポートを引用し、成果主義に直結する目的解決型の応用研究以上に問題発掘型の基礎科学研究が重要であることを強く訴えかけてもいる。技術的応用を直接視野におかない長期的な基礎科学研究こそが、のちに革新的な科学技術を生み出す「種」となるからにほかならない。中村教授のような人物には、分子研退任後にも何らかの学術行政関連ポストを用意すべきだったのだろうが、この国にそのような発想などあろうはずもなく、結局、同教授は退任ほどなく台湾交通大学にヘッド・ハンティングされる結果になった。

日本以上に産学連携が進む欧米でも成果主義に基づく技術革新競争は激烈である。だが、欧米の政財界や産業界は、その時点では何が生まれてくるのかわからない基礎科学の重要性を十分に認識しており、公の基礎科学研究に対しても大量投資を惜しまない。一定のリスクや無駄を承知したうえで、確率論をベースにした保険算的理論に基づき未来の可能性を買うこの種の発想や、その方策を実践に移すという経験が我が国には決定的に欠落しているのだ。そのような状況に目を瞑り、欧米の実利主義や成果主義のみを一面的に切り取って導入してみても、事態は悪化の一途を辿るだけである。

2008年岡崎で開催された日本学術会議の席上、大竹暁文部科学省基礎基盤研究課長や岩瀬公一学術政策局学術総括官らからは、「もし大学院教育の現状に問題があるというのでしたら、先生方もただ不満を述べているばかりでなく、互に連携し合い、論理的かつ組織的に現在の危機的状況を訴え、積極的に具体的改革案を提示していただきたいのです。そういったサポートがなければ、我々文科省関係者は財務省官僚や関係閣僚と戦うことができません」という発言などもあった。これは一理ある意見であり、今後は大学人も真剣に対応策を模索しなければならないだろう。有能なネゴシエータを擁立したり、研究の一線を退いた著名な学者らが積極的に教育行政や国政の中枢に関わったりする必要がある。学術界も自らの組織を代弁する人材を政官界に送り込むべき時代になったということなのだ。

その意味からすると、野依良治理化学研究所理事長の「これはもう大学や文部科学省の領域を超えた国民的政治課題です。私たち研究者は諸々のマスメディアや各種の公的発言の場を通して大学院での教育や研究の成果が将来の国家の存亡を左右すること国民にアピールし、その支持を得るようにしなければならなりません。そうでなければ現状の脱却は困難でしょう」という発言などは大いに傾聴に値する。

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