時流遡航

《時流遡航269》日々諸事遊考 (29)(2022,01,01)

(未来へと羽ばたく若い皆さん方へ――凡庸な老輩の贈るささやかな想い)――①
 新春を迎えたこの機会を活かし、今回からしばらくは、未来への一大飛翔を胸に秘め勉学の途上にある若い皆さん方に向かって、老齢の身ならではのささやかな提言を綴らせてもらおうと思います。もちろん、中高生あるいは大学新入生くらいの皆さん方が本欄を目にすることなど皆無だろうとは十分承知しています。そんな状況を弁えながらも敢えてこのような愚行に走るのは、たまたま拙稿に接してくださるような方々が、そのお子さんやお孫さんに向かって、一度は教育の一環に深く関わったこともある老輩の思いを、せめてその一端だけでもお伝え願えれば有難いと考えたからにほかなりません。
また、ことによっては、高齢の読者の方々が、ご自身が中高生や大学生だった頃のことを回顧し、諸々の懐かしい想い出に浸ったり昔日の足跡の一部を省みたりしてみる際の糸口くらいにはなるかもしれません。そのような展開は、本来の趣旨からすれば些か的外れなのかもしれませんが、それならそれでやむを得ないのではないかと考えたりもしています。
 もう2年近く前のことですが、私は自身の母校である高等学校から記念講演会での講師の依頼をうけました、不束な身ながらもその要請を受諾した私は、未来を背負う後輩の高校生たちに向けて、自らの経験を踏まえながら、幾らかは教育問題の考察に役立つかもしれない講話の草案を纏めたような次第でした。以下に記述する内容は、その折の草案を加筆修正し、多くの中高生や大学新入年生くらいの皆さんに向かって広く語りかけるべく、再構成を試み仕上げてみたものです。
(独り霧と闇の道を辿る覚悟を)
先々受験を目指す中高生の皆さんや、大学新入生の方々に最初に伝えておきたいのは、文系・理系の枠を超えた総合的思考力とそれに基づく大きな展望を身につけるよう心掛けてほしいということです。現在、世界の先進国の中にあって文系・理系の枠に捉われ、ごく狭い専門分野にこだわりながら学問の世界に立ち向かう流れをよしとしているのは、日本くらいのものかもしれません。特定の専門分野の知識を学びそれを深めていくことは重要なのですが、それと同時に、学術の世界をはじめとする人間社会全体の状況を展望するための広い教養を身につけることも必要なのです。たとえば、優れた医学者というものは、その殆どが、単に専門分野の医学知識を有するばかりでなく、哲学や社会学、文学、芸術学といったような他の学問領域の知識と教養をも持ち具えているものです。
実際、一時的に医療の仕事を休んだり、仕事を終えたあとに時間をつくったりしながら大学や大学院などに通い、社会学や文学、芸術学関係などの知識を深く身につけようとする医師も少なくありません。それは、彼らが直接関係する医療の仕事においても、多様な価値観をもつ人々(例えば患者さんなど)と真摯に向き合おうとすると、必然的に広い教養が不可欠なものになってくるからなのです。高校生の皆さんなどが日本における当面の受験において、文系・理系の選択枠に捉われながら進路を模索するのは、現在の入試制度上やむを得ないことではあるのですけれども……。
前途に広がる学びの世界で羽ばたくためには、容易に答えの得られそうにもない問題に立ち向かう心の準備も必要でしょう。そのことは、「晴れることのない濃霧の直中を歩き続ける覚悟をしておくことが不可欠だ」とも言い換えられるかもしれません。正解なるものが存在すると信じて進むのは、大学入試レベルの段階までのことだと考えておいてください。学問の世界をはじめとするこの世の諸々の問題には、絶対的な正解などまずもって存在しておりません。時代の変遷と推移の中で、一時的に正解らしきものが見つかることはありますけれども、それとても永遠不変の絶対解などではありません。数学や物理学の世界などにおいてさえも、その最先端の研究分野では生涯を賭けても答えが見つからないような、さらにはもともと正解なるものが存在などしていないような問題だらけなのです。
人は誰でも成長するにつれてそんな世界の中を、換言すれば濃霧や深い闇に覆われた世界の中を、たった独りで黙々と歩み続けるしかなくなってくるのです。大学に進学した皆さんを待ち受けるのはそんな世界であることを、今から自覚しておいてもらったほうがよいでしょう。「真に学びの世界を志す」とは、発見の喜びはあるにしろ、深い霧や闇に覆われた先の知れない孤独そのものの道中を――敢えて力を込めた言い方をすれば、「生涯を懸けてひたすらそんな道中を続けゆくこと」にほかならないのです。
学問の世界を含めての話なのですが、私たちの人生とは全員参加型のマラソンレースのようなものにほかなりません。まずは走ることに意義があるのであって、よい成績が残せるか否かは二次的な問題に過ぎません。スタート直後やレースの前半に速く走りすぎると、その時点では周囲から褒めそやされたり、過大とも言える期待を抱かれたりし、ついつい有頂天になってしまいがちなものなのです。しかし、「人生」という名のマラソンレースでは、スポーツのマラソンレース同様に、中盤や後半になって急に体力がなくなってしまい、最悪の場合にはレースそのものを棄権さえせざるを得ない事態さえも起こりかねません。まずは自分のペース配分の適否を十分に弁え、生涯にわたるレースを着実に走り抜いていく心構えをそなえもつことが肝要でしょう。
意外に思われるかもしれませんが、本来、学問の世界とは極めて孤独な道なのです。孤独に堪え得る強さを持ってこそはじめて、研究を続けたり教育に携わったりすることができるようにもなるのです。「自我観」の確立、すなわち、自分とは何者であるのかということをしっかり意識できるようになり、安易に周囲の存在や巷に飛び交う情報に振り回されたりしないだけの深い見識と自立心を身につけてこそ、真の友も得られるようになりますし、社会に貢献できるような研究や教育の道などを歩むこともできるようになるのです。
先々ある分野に強い関心を抱くようになった場合などは、その道の最先端を行く専門家を探し、自分がその人物に関心を抱いた理由などをしたためた手紙(ただし、ちゃんとした直筆の書簡)などを出して接触を試みるのも一案でしょう。相手が極めて著名な人物であったとしても少しも臆する必要はありません。また、そんな手紙をたとえ無視されるようなことがあったとしても、その経験やそこから生まれる様々な想いをその後の自分の人生のなかで活かすようにすればよいだけの話なのですから、ことさら気にすることはありません。実際問題として、常々周囲から本物と見なされているような存在は、大抵の場合それなりの対応してくれることでしょう。そんな人物は、学問研究の道が遠く困難なものであることを自らの経験を通して心底深く弁えているからなのです。

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