(「保守」という概念の根底を考察する)
今日本の政界は、巧妙な手口でその内奥深くにまで忍び及ぶ旧統一教会組織関連の問題で大揺れの状況に陥っている。なかでもその影響が顕著な自由民主党などは、常々、保守政党を標榜してきたにもかかわらず、その実態は最早「保首政党」、すなわち、国会議員としての自らの「首」を守ることのみにしか関心がない者らの蠢く集団に成り下がってしまった。国政を司る人間としての品位や責任などにはおよそ無縁なその種の存在を生み出してしまった要因は、自らを含む国民全体の劣化にあることゆえ、関係議員だけを叱責するわけにもいかないだろう。老い果てた身ゆえ、そんな状況を目の当たりにしたからと言って今更何かができるわけでもないのだが、この際自省の念をも込めて、根源的な意味での「保守」とはどのようなものなのかを再検討してみたいと思う。
「保守」という言葉をそのまま訓読みすると「保ち守る」ということになるのだが、その場合問題となるのは「何を」に相当するその目的語が不明なことである。保守政党とは何を保ち守ってくれるべき政党なのかを熟考することもなく、選挙の際に同政党に一票を投じた大多数の国民も、逆に非保守的な立場をとり、中道や革新を標榜する政党に自票を託した国民も、この際、「保守」という概念の原意を再認識しておく必要はあるだろう。
「保守」という言葉の起源は想像以上に古いもののようである。そもそも「保」とは、特定の地域や住民組織の秩序や安寧を維持するために設けられた古代中国の連座制制度のことを意味していた。周の時代に既に原初的な形態があったとされ、秦・漢の時代以降もその制度は維持継承され続けたようである。そして、それが明確なかたちで整備されるようになったのは、宋時代の王安石による新法「保甲法」制定下のことであったという。やがて日本でも大宝律令制定の際、中国に倣ってその制度が導入され、徐々にかたちを変えながら後世まで継承されることになったのだった。したがって、原義に添えば、「保」の制度を守り続けることが「保守」という言葉の意味だということになろう。
それから大きく時の流れ移った近代にあっては、「保守」という概念は「旧来の習慣、制度、組織、手法、さらには、民俗、伝統文化の類を重んじ、それらの維持継承に努めること、加えてまた、そのような理念を強く支持する立場」といったような定義がなされるようになってきた。むろん、そのような意味での本質的な保守主義は社会の存続にとってそれなりに必要不可欠なものであり、その存在意義は無闇に否定されてはならない。「保守」の何たるかを真摯に学び、日本の伝統文化の数々に深い想いを馳せ廻らせ、熟考深慮を重ねたうえで、その重要性を訴えかける保守思想家や保守主義政治家らに対しては、それ相応の敬意を払うべきではあるだろう。
ただ、ここで一考しなければならないのは、保守主義によって守られる伝統的な文化や思想がどのような内容のものであるべきかという問題である。いくら伝統的文化の類が重要だとは言ってみても、各種の古代神話や伝承の全てが紛れもない事実であるとする極端な主義主張や、地球が丸いというのは虚偽であり、実際は地球は平らなのだとするキリスト教原理主義者の異端思想などがその対象であってはならない。その意味では、保守思想といえども、時代の推移に伴う一定レベルの変容や変更修正は必要だということになってくる。ここで幾分なりとも参考になるのは、松尾芭蕉が信条にしたという「不易流行」の見地かもしれない。俳諧に関する理念なのだが、その本質には捨てがたいものがあるからだ。
「不易」というはじめの二文字は、容易には変わらざるもの、すなあわち、大切に伝承していくべき物事の重要な本質を意味している。一方、「流行」は無常の世界、すなわち常に変貌し続ける諸々の世相や自然界の姿を表している。相反する概念の言葉が並んでいるため、一見矛盾しているようにも思われるのだが、その意味するところは実に奥深い。
人間界、自然界の事象に関わりなく、この世のあらゆる物事は常時変遷を遂げ続ける。それは永遠不変の真理であり、その流れに逆らうことはできない。しかしその一方で、我々人間の社会には、なるべくならそれらが変容しないようにと願いつつ、時を超えて守り伝えなければならない民俗、文化、思想などが存在している。それらは絶対不変の真理や理念ではないものの、余程大きな時流の変貌でもないかぎり、安易に改変したり放棄したりしてはならない。裏を返せば、「流行」あっての「不易」であり、「不易」あっての「流行」なのであり、双方の概念は相補的な関係を維持することによって成立しているわけで、単独ではその有意性を失うことになってしまうのだ。いささか比喩が作為的に過ぎるかもしれないが、政治理念の世界に当て嵌めてみるなら、「不易」は保守思想に、また、「流行」は革新主義に相当すると考えてもらってもよいだろう。
(真の保守主義は何処へ消えた)
保守主義を標榜するかつての日本の政治家や官僚には、日本の歴史や文化、民俗などを深く学び、そのうえでそれらを維持することの重要性を説く人物がそれなりには存在していた、また、革新主義を唱える政治家や官僚ではあっても、古代に至るまでの歴史、文化、民俗などにも精通じ、そのうえで思想や制度の革新の必要性を訴える者が少なからず存在していたものである。彼らの政治思想やそれに基づく政治的言動には批判や異論は多々あったものの、その論理や主張にはそれなりの品格と存在感が伴っていたものである。
しかしながら、自由民主党国会議員に代表される保守政治家の近年の様相は、「保守」本来の理念や思想とはおよそ無縁なものに思われてならない。日本の伝統的文化の類や、保守思想の何たるかなどを真摯に学んだ人物など皆無に等しく、単に選挙で当選し、さらにはありとあらゆる手口を用いてその議席を守り抜くこと、すなち「保首」が全てだと考えている姿が見え見えだからなのである。冒頭においても述べた隣国起源の新興宗教組織である旧統一教会との関係などは、論理的見地に立つならば、保守思想や保守主義には根本的に反するものだと断定してもよい。また一旦議席を得ると自党指導者の言いなりになって、「国を守る」という名目のもと、無条件で米国の軍事・経済政策を支持したり、単純に自国の防衛力強化策に奔走したりする有様は、どう見ても保守政治家の姿とは思えない。「国を守る」という主張など口先だけで、その実態は、国の伝統文化などは言うに及ばず、「国」とは何かということすら真剣に考えたことなどないからなのである。
皮肉な見解にはなるが、日本国憲法は「不易流行」の厳しい洗礼を経て今や日本国の骨格を形成するに至った。そうだとすると、それを改変しようとする自民党などは革新政党であり、現状維持を図ろうとする立憲民主党や共産党は保守政党だということになってくる。