時流遡航

《時流遡航266》日々諸事遊考 (26)(2021,11,15)

(自分の旅を創る~想い出深い人生の軌跡を刻むには――⑰
(結びは拙い旅の短歌の話にて)
 自らのささやかな旅の体験にまつわる諸々の思いを書き連ねてきましたが、その拙い旅論にも一旦ここで一段落着けさせて戴こうかと存じます。旅先で目にした印象深い情景を記し留め置く手法は人それぞれに異なるものですが、私の場合には稚拙な我流の短歌などにその役割を托すこともありました。本格的な歌の世界などにはまるで無縁な素人の身ゆえ、自らの旅の記録としてしか意味を持たない愚歌なのですが、幸い、去りし日の旅路を顧みる際の手掛かりとしてはそれなりに役立ってくれました。それらの歌は、旅を通して折々胸中に湧き上がる自然な思いを拾い紡いだだけのものゆえ文芸的にはまるで無価値なものなのですが、懐かしい旅の記録としては十分意義ある存在となってくれもしたのです。
この際ですから恥を忍んで、過去のそんな旅歌の中から「かなしみ」という言葉を軸に夕景を詠み込んだ歌を三首だけ紹介させて戴くことに致します。無論、身を弁えぬ愚行の限りではあるのですが、そんな素人ゆえにこそ許される補足をしておきますと、ここで用いた「かなしみ」という言葉は、一時的に感情を昂ぶらせ悲哀の涙を流すような情況のみを表すために用いたものではありません。どこから来てどこへ行くのかわからない宿命を背負って生きる人間の姿を顧みるときおのずから立ち昇ってくる「寂寥感」みたいなものを、至らぬことを承知でその一語に托そうとしたものなのです。そんな意味での「かなしみ」を真正面から見すえ、その奥に秘め隠された世界を思索するとき、おのれの定めなき人生に対するささやかな肯定の念が静かな感動を伴って湧き上がってくるからにほかなりません。 
(信濃路、能登路、庄内路にて)  
風眠る秋の信濃の高原(たかはら)を行く旅人の紡ぐかなしみ(信州美ヶ原高原にて)――ある秋の日の夕刻のこと、私は北アルプス連峰を一望できる美ヶ原高原を展望の利く高みへと向かってゆっくりと歩を進めていました。夕陽に染まる高原一帯には言葉には尽くし難い寂寥感が漂っていたものです。高原の中程に差しかかった時、私とは逆の方向へとむかう一組の男女とすれ違ったのですが、ほどなく北アルプスの稜線の彼方へと沈もうとする夕陽がその男女の顔を赤々と照らし出していました。どことなく憂いを湛えた二人の姿を一目見た途端、私は、その男女が自分のそれとは色合いも太さも違う悲しみの糸を紡ぎながら旅を続けているのだということを直感しました。しかも、その男女にとってその道行きが共に歩む最後の旅路となるのではないかという想いさえしてなりませんでした。
 精悍なそうな顔に深い沈黙を湛えた男は四十代半ば、そして、見るからに知的で意思の強そうな美貌の女性は二十代後半かと想像されました。すれ違う瞬間、私はその女性の瞳の一隅で夕陽に映えてなにものかが小さくキラリと光るのを見逃しませんでした。そして、それぞれに紡ぎ出す悲しみの糸で、二人はこの美ヶ原の夕景をその人生模様の中にどう織り込んでいくのだろうと思いながら、並んで遠ざかり行く哀愁のシルエットをさりげなく、しかし、いささかやるせない想いに浸りながら見送ったものでした。さらにまた、辿り着いた高台には、西方に浮かぶ北アルプスの黒い山影をただ黙然として仰ぎやる一人の老人の姿がありました。そのうしろ姿に無言の祈りとでも言うべきものを感じた私は、そんな美ヶ原の夕景や自らを含めた旅人の姿を、拙い一首の歌として詠みとめたような訳でした。
 かなしみも灯る命のあればとて夕冴えわたる能登の海うみ(能登金剛巌門にて)――能登金剛一帯は松本清張の名作『ゼロの焦点』の舞台になったことでも知られています。その金剛海岸の巌門にやって来たのは晩秋の夕暮のことでした。独り磯辺に降り立つと、遥かな水平線に向かって真紅の夕陽が大きく傾いていくところで、西の空は荘厳な茜色に染まり、赤々と燃え立つ太陽が水平線に近づくにつれて、海面には赤紫色と黄金色の光の帯が煌き走りました。かなしいまでに夕冴えわたるその能登の海を、私は迫る宵闇をものともせず、いつまでも独り佇み見つめ続けていました。そして、この「かなしさ」や「さびしさ」はいったい何処からくるものなのだろうかと考えもしました。自然の景観そのものはもともと無心なものです。それを「美しい」とか「かなしい」とか「さびしい」とか感じるのは自然に対峙する人間の心があるからなのでしょう。この大宇宙の滴とも言うべき私という人間の体内にほのかに灯る命の火があるからに違いありません。
 たとえそれが深い絶望に繋がるかなしみであったとしても、いや、むしろ、そんなかなしみであればあるほどに、そう感じる人の体内の奥底では命の火が激しく燃え盛っているに相違ありません。深いかなしみが命の灯の輝きの証であるならば、「かなしみ」や「さびしさ」をより多く背負う人間ほどいまを激しく生きているのだと言えないこともありません。「そんな人間こそほんとうはより命を輝かせて生きていると言えるんだよ」という無言の励ましの言葉を、その夕冴えわたる晩秋の能登の海うみは私に贈ってくれているように思われてなりませんでした。

天地(あめつち)にたゆたひめぐるかなしみの流れ燃え立つ夕最上川(山形県松山町最上河畔にて)

40年ほど前の8月末のことなのですが、その日の夕刻、私は山形県松山町の最上川右岸沿いの道を下流の酒田市方面へと向かって旅しているところでした。新庄盆地付近で大きく向きを変え酒田方面を目指し西北西に流れる最上川は、その下流右岸に位置する松川町付近で一時的に流路を北寄りに変えます。そのため、松川町側の高い堤の上に立つと、西方には南から北へと流れる最上川の雄大な水面が、米どころとして名高い庄内平野を背にして輝きが広がって見えるのです。
 しばし旅の足を休め、河畔近くの見晴しのよい高台に立って西空に目をやると、一日の仕事を終えた太陽が対岸の平野の向こうへと大きく傾き沈んでいくところでした。心惹かれるままにその光景を眺めやっていると、やがて太陽は異様なまでの輝きを見せて真っ赤に燃え盛り、地平線とも水平線とも見分けのつかないサンセット・ラインに近づくほどに、どんどんとその大きさを増していったのです。
眩いばかりの黄金色や見る者の心の奥を突き刺すような真紅の彩りに染まったのは、太陽の周辺ばかりではありませんでした。西の空全体と、それを逆さまに映しだす最上川の川面全体が轟々と音をたてて燃え上がり、その炎が天に向かって激しく渦巻き立ち昇っている感じだったのです。私は思わず息を呑みながら、独りその場に立ち尽すばかりでした。
 その狂おしく凄じいばかりの夕映えは、生きとし生きる人々の尽きることなき悲哀の涙や苦悶の呻きを寄せ集めてできた煩悩の大河が、浄化の海に還るのを前にして、天地を真紅に染める巨大な火柱となって炎上する光景を髣髴とさせてもくれたのです。

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