時流遡航

《時流遡航254》日々諸事遊考 (14)(2021,05,15)

(自分の旅を創る~想い出深い人生の軌跡を刻むには――⑤)
(無名小集落での心に残る体験)
 想い出深い自分なりの旅を実践するために、歴史的な古街道を辿ってみるのもひとつの方法ではあるでしょう。鰤街道、鯖街道、塩の道、木曽街道、北国街道、下田街道などのようなところを昔日の旅人や行商人らの心中に遠く思いを馳せながら探訪するのがその種の旅の醍醐味です。ただ、そんな古街道筋を巡る旅の魅力については、新聞雑誌やテレビなどで様々なかたちの紹介がなされてきていますから、今更ここで取り上げてみるまでもないでしょう。むしろここでは、旅行ガイドブックなどにはまずもって登場することのない無名の地域や集落などを敢えて旅先に選んでみる事例を考えてみることにしましょう。
 そんな旅を実践するには、始めから地図などを見て何の変哲もなさそうな町や村などを探しそこを目指すのもよいでしょうし、自家用車利用の場合などなら、通りすがりの見知らぬ集落に意図的に立ち寄ってみるのも一法かもしれません。どんな辺鄙なところにある小集落であったとしても、長年にわたって人々が生活を営んできたところには、必ずと言っていいほど旅人の心に響く事柄やそれに纏わる民人の姿が秘め隠されているものです。あっと驚くような歴史的事実を発見したり、世の片隅で人知れず生きているにもかかわらず、心底尊敬に値するような人物に廻り合ったりすることも少なくありません。もちろん、そのためには、旅をする側にもそれなりの心構えが必要にはなってきますけれども……。
何よりも大切なことは、どんな些細なことに対してもそれなりの好奇心を抱きながら臨む習慣を身に付け、そのうえでたとえ初対面の人相手であっても自然体で会話を交わせる能力を培うことでしょう。未知の地域に足を踏み入れた際などは、進んでそこに住む人々に話しかけ、その一帯の日常生活の様子や歴史的背景などについて静かに問い掛けてみたり、旅人としての自らの思いをさりげなく述べてみたりすることも重要です。そのようなことを続けるなかで、先方からの好意によって民家への立ち寄りを勧められたり、その地の民俗に詳しい長老に紹介されたりすることも少なくありません。時にはその地の人々にしか知られていない絶景奇景を紹介されたり、特別な風習に触れることができたり、さらには、歴史的大人物の出自や足跡に深く絡む予想外の事跡に遭遇したりもするものです。
 もう50年ほど昔のことですが、雪国の生活がどのようなものかを体感したくなり、年明け直後に新潟県境に近い福島県只見町の深い山中の小集落を訪ねたことがありました。そこは元々豪雪地帯で知られるところだったのですが、その年の降雪は特に激しく、集落に入った直後の豪雪のために道路が閉鎖され、予定よりも3日間ほど長く現地に閉じ込められる事態になったのです。当然の成り行きとして民宿に連泊することになったのですが、そこの御夫妻をはじめ集落の皆様が心ある対応をしてくださり、屋根の雪下ろしその他の豪雪地帯ならではの貴重な生活体験をさせて戴くことになりました。
そして、その中でも未だに忘れ難いのが、降り積もった雪の中で粛々と遂行されたある老婆の埋葬の儀の光景です。火葬設備が全国的に整っている現代とは異なり、当時はまだ柩ごと墓所に埋める土葬が行われていた地方も多く存在していました、九州の片田舎育ちのこの身なども、肉親のそれを含め、子どもの頃からそんな葬儀の有様を幾度となく目にしてはきたものです。ところが、その集落で目にした厳冬期の埋葬の様相は、そんな私の想像を遥かに超えるようなものであり、それは文字通り雪中葬とでも呼ぶべきものだったのでした。
 墓地のある一帯にはゆうに深さ5メートルを超える雪が降り積もっており、その積雪の下に墓地があるなど、よそ者の私などには到底思いも及ばないような状況でした。そして、雪原にしか見えないその地区の一角に方形状の大きく深い縦穴が掘られ、その暗い穴の底に向かって穴壁添いに長い梯子が掛け下ろされていたのです。葬儀に参列する人々はその雪穴の縁を取り囲むようにして立ち並び、やがて運ばれてきた柩は縦方向に大きく傾けられた状態で、長梯子伝いに粛々と穴の奥深くへと運び下ろされていきました。そして、その柩を見送る人々は数珠を手にして合掌をしながら、口々に経文の一端を呟いていました。私も合掌をしながらそっとその縦穴の底のほうを覗かせてもらいましたが、中は暗く、奥底で蠢いている人影らしいものを確認することはできましたが、そこでどのような儀式や作業が行われているのかを見届けることはできませんでした。
 そこで、たまたまそばに居合わせた古老にその詳細を訊ねてみました。すると、その老人から、一面の積雪の下一帯には石碑の立ち並ぶ墓地が広がっていて、雪の底のさらにその下にある土を掘り起こしてそこに柩を埋め込むのだという返答が戻ってきたものです。春が来て雪が融ければ一帯は普通の墓地の姿に戻るのでしょうが、深さ5メートルを超える暗い雪穴の底へと柩が埋葬される厳冬期の豪雪地帯ならではの葬儀の光景は何とも感慨深いものでした。あとで宿の主人から耳にした話によると、亡くなった老婆は白寿に近い高齢の方だったのだそうですが、生まれも育ちも、さらには家庭をもってからの生活の場も専らそこの集落に限られていたらしいのです。しかも、その長い人生の中でその集落をあとにして旅に出た経験は1~2度しかなく、あとはひたすら山奥の同集落で暮らし続けてきたのだとのことでした。ただ、その一帯の大自然の生態や生活環境、生活技術、民俗、風習、伝承、さらにはちょっとした東洋医学の知識にまで精通していて、集落周辺の人々からは頼りにもされ尊敬もされていたとのことでした。まさに「一隅を照らす。これ国宝なり」という伝教大師最澄の遺訓そのままの生涯を全うした人物だったようなのです。
(離島で懐石料理の原点に回帰)
 個性的な旅の一形式として、殆ど世に知られることのない離島を訪ねるのも一興でしょう。何の期待もしていないがゆえの大発見がそんな旅にはつきものです。日本海沿いの村上市沖に浮かぶ粟島を訪ねた折のこと、民宿の女将から「明朝は5時前に起床してすぐ近くの浜辺に出てください。そこが朝食の場にもなります。その訳は明日になればわかります」と告げられました。翌朝、寝ぼけ眼で一面玉石で埋め尽くされた浜辺に出てみると、そこには獲れたての魚介類と味噌入りの新鮮な海水に満たされた大鍋が幾つも置かれており、その近くでは沢山の玉石が火で焼かれているところでした。そして加熱された玉石は次々と大鍋の中に投入され、その熱で瞬時に鍋の中身が煮立って文字通りの懐石料理が出来上がるというわけだったのです。地元では漁師鍋とも呼ばれるというその鍋の味は抜群で、美しい早朝の日本海を眺めながらの浜辺での朝食は生涯忘れ難いものとなりました。どの民宿のお客も一緒に集まってその鍋を囲み挨拶を交わし合うのも想定外の展開で、大変意義深いことでした。

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