時流遡航

《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (2)(2019,10,15)

(府中市美術館での絵画展に見る一輪の「教養の花」)
「教養の樹」という巨木の主幹から分かれて伸びる巨枝のひとつに「芸術の枝」があることは、あらためて述べるまでもないでしょう。そして、その「芸術の巨枝」のさらなる分枝のひとつに「絵画の枝」なるものが存在しています。そんな「絵画の枝」の枝先を気の向くままに眺めたりしていると、時々見事な「絵画の花」が咲き誇り「教養の樹」全体に棲む多種多様な「人虫」らの心を魅了することがあるものです。しかも、その「絵画の花」には、それまでそんな花などに一切関心を示さなかった人虫の魂をも忽ち虜にしてしまうような麗花までが含まれていたりするのです。その種の麗花の特徴とは、見かけ上の美しさや香りの良さばかりでなく、その花弁の一枚一枚、雄蕊雌蕊の一筋一筋、さらには花粉の一粒一粒にまで、「教養の樹」全体を包み込む壮大な時空の変遷や人虫たちの生活史の痕跡が深く刻み込まれていることでしょう。運よくこの麗花を訪れることになった人虫らは、個々の自由意志のもと、折々の嗜好や生活体験に応じて、その花弁の深遠な彩り、雄蕊雌蕊の華麗な姿形、花粉群の繊細な煌めきなどを存分に楽しめるというわけなのです。
 ここは話のついですから、そんな「絵画の花」の具体例のひとつを簡単に紹介させてもらいましょう。いま折しも東京都府中市の市立美術館においてその種の麗花が一輪見事に開花しているところです。東京都多摩地域の芸術活動の中枢をなすこの府中市美術館は、以前から庶民的視点に立った企画展を開催してきました。しかも、安易な時流に弄ばれることもなく、独自の指針に沿う優れた企画展を着実に実践し続けてきています。そしてまた、そのような企画展が可能になったのは、背後でそれを支える極めて優秀な学芸員らの存在があるからだとも思われます。学芸員の器量や資質の優劣は美術館の水準の高低を左右するといっても過言ではありません。もちろん、そういった美術館の組織運営に対する市の行政組織や一般市民の深い理解もあってのことではあるのでしょう。
 「おかえり美しき明治――明治の微笑をあなたに」と題されたその展覧会には国内各地で大切に秘蔵されてきた300点ほどの作品群が展示されていますが、それらの作品の存在や必要な関係資料を徹底的に確認調査し、所蔵者から個々の作品出展の諒解を取りつけるだけでも容易なことではなかったに相違ありません。展覧会に先立つ展示作品の的確な選択策定眼、さらにまた来館者の立場を十分に配慮したその会場の作品展示構成力だけを取り上げてみても称賛に値するのではないかと思われます。
 実際に同絵画展に足を運んでみて驚いたのは、それら作品群の一点一点が、明治時代の国内各地の景観や当時の庶民の生活ぶりを見事に再現してくれていることでした。しかもそれらは想像していた以上に感動的なものだったのです。展示されていた作品中には高度な実写技術を駆使した鮭の絵で知られる高橋由一作の「墨水桜花輝耀の景」のような名作もありましたが、黒田清輝、鹿子木孟郎、梅原龍三郎らをはじめとする著名な画家の作品であっても、通常は目にすることのないものがほとんどでした。正直なところ、私のような一般人にとっては、9名の英国系西洋人をも含む総勢81名の画家たちの名の大半は初めて目にするものばかりでしたが、作品のいずれもが、忘れ去られて久しい日本の美しい風物や、日々を逞しく生きる当時の庶民の姿をありのままに伝え遺してくれていたのです。
(作品群に秘められた事実とは)
 まっさきに私が目を惹かれたのは、笠木治郎吉というこれまで全く耳にしたことのない画家による10点余の作品群でした。老若二人の猟師の生活感溢れる姿や仕事に勤しむ漁師の娘の風貌、さらには花売り娘の魅惑的な佇まいなどを彩り豊かに描写したものなのですが、その精緻さとメッセージ性の高さときたら現代のカラー写真技術をもってしても及び難いほどの出来栄えなのです。しかも、その作品の全てが水彩画であるということも驚きではありました。油彩画ならともかく、極めて写実的なそれらの絵画を水彩画として仕上げてみせる驚異的な技術の存在をこれまで私は全く知らないでいたからです。
しかも笠木のそれらの作品は、日本の風物や庶民の生活ぶりを西洋世界に伝えるために描かれたものだというのです。当時日本を訪れた西洋人らのほとんどは美しく穏やかな日本各地の風景や庶民の情緒豊かな生活ぶりに強く魅せられたようなのです。そのため、彼らは、帰国する際などにお土産として日本の風物や民俗を活き活きと描き上げた絵画を競って買い求めたのだそうです。まだカラー写真技術など存在しない時代のことですから、それは当然の成り行きだったのでしょう。笠木はもっぱらそんな西洋人の鑑賞に耐えるように、日本の民俗文化の特徴を印象深く描き上げてみせたようなのです。したがってその作品のほとんどは海外に流出してしまい、ずっとのちになってそれらの一部が国内へと買い戻される段階に至ってはじめて、その真価のほどが正しく認識されるようになったらしいのです。
 日本における洋画の普及に大きく貢献したのはフランス系やイタリア系の画家らが中心だったと思われがちですが、今回の絵画展を通して知った意外な事実は、英国系画家らが日本の洋画壇にもたらした影響の大きさです。明治時代に日本を訪れ、その自然美や生活文化の素晴らしさ、さらには家族愛や隣人同士の絆の深さに感銘した西欧人は少なくありませんでした。そして、そんな西欧人のなかには、何人もの英国系画家や画才を秘め持つ英国人紀行作家らが含まれていたのです。彼らは自ら絵筆を執って日本の風景や庶民の生活ぶりを熱心に描いたばかりでなく、多くの日本人画家たちに英国調の色濃い西洋画の技法やその極意を伝授したのです。そして、それによって啓発された有名無名の日本人画家たちは西洋画法に基づく数々の絵画を描き遺しました。ほかならぬ高橋由一などもそんな日本人画家のひとりだったようなのです。国内において西洋画が差別的評価を受けた一時期にあっても、彼らはその蔑視に耐えながら日本における優れた西洋画の普及と発展に尽力し続けたのでした。思いがけないことに、展示作品には徳川慶喜筆の風景画までが含まれていたのですが、その見事な作品からは慶喜の教養の高さが偲ばれさえもしました。一群の展示作品のうち一時的に海外に流出していたものも少なくなかったようなのですが、幸い各方面の美術関係者の尽力のお蔭で国内に戻され、流出しなかった諸作品と合わせることによって、今回の充実した展覧会の実現に至ったのだというわけなのです。
展覧会場における各作品の配置ぶりやそれに付帯する説明文、さらには展示作品の全てを収めた立派な図録の構成やそれに伴う一連の解説文などもまた、明治の風物の素晴らしさを人々の胸中深くに強く訴えかけるものになっています。統括責任者の志賀秀孝学芸員以下の学芸員の方々をはじめとする当展の関係者諸氏に心からの敬意を表してやみません。

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