時流遡航

《時流遡航》電脳社会回想録~その光と翳(21)(2014,02,15)

AICが終了して3年近く経った10年2月末のこと、旅先にあった私の携帯に一本の電話がかかってきた。電話に出た私に対し、その相手は、少しかすれるような声で、「本田さん、これは最期のお別れの電話です。長い間ほんとうに有り難うございました。今日はたまたま小康を得ていますので、思い切って電話した次第です」と話しかけてきた。自らの命の炎がほどなく消えるのを覚悟したその人物の口調は、驚くほどに冷静沈着そのものだった。不意を衝かれはしたものの、下手に慌てて感情を昂ぶらせたりせず、ひたすら静かに対応するのがこのような際における相手への最大の思いやりだと咄嗟に判断した私は、ごく自然に相手の言葉に耳を傾け、いつもながらの調子でその相手に語りかけた。それから40分間ほどにわたって、私たち二人は初めての出遇いの頃からの思い出話などを交えた会話を淡々と続けたのだった。もしこの会話の有り様を誰か他の人が耳にしていたら、いったいこの二人は何を考えているのだろうかと、その異常さに驚き呆れたかもしれない。

(電話の主は言うまでもなく)

入院先の病床にある筈のその声の主は、「形式張った葬儀やお別れの会などは一切しないようにと家族には伝えてあります」と、その決意のほどを述べ語った。「母校の京大にギリシャ文学を専攻する旧友の教授がいますから、もし、お仕事で京大にでも出向くような機会がお有りなら、その教授に私の最後の状況を伝えてあげてください」とも述べた。さらに、「私を含めた朝日新聞所属のAICライターらは、会社からそれなりの高給をもらいながら原稿を書いていたのに、本田さんのような外部ライターの方々には原稿料らしいものはほとんど支払いませんでした。WEB上でのメディア発展過程における特殊な事情もあってのことだったとはいえ、誠に申し訳ありませんでした」とも付け加えた。

むろん、その時、相手は既に面会謝絶の状況になっており、私が見舞いに駆けつけてみたところで最早どうにもならない有り様だった。また、そんなことをしてもらうなど、常々独自の人生哲学を抱き秘めながら生き抜いてきた当人の美学にも反することに違いなかった。そして、その人物が他界したことを伝える小さな記事が、3月9日の命日から数日経たあとの朝日新聞朝刊に掲載された。その時もまた旅先にあった私は、知人からその新聞記事についての知らせを受け、翌日になってからその事実を確認したようなわけだった。

その人物とは、言うまでもなく、朝日新聞社会部の異色記者として名を馳せた穴吹史士さんだった。「生涯一記者」の信念を貫き通した穴吹さんは、AICでの執筆を終えたあとも記者魂を捨てることなく、全身に転移した癌との壮絶な戦いを演じながらも折々執筆活動を続けていた。そして、インターネット上における朝日新聞社関連の各種活動に先鞭をつけたこの才人記者は、それを置き土産にして遂に冥界へと旅立って行ったのだった。

穴吹さんの逝去後1ヶ月ほど経った日のこと、私は、AICの執筆仲間であり、元国土地理院長で、当時は財団法人日本地図センター理事長だった野々村邦夫さんらと連れ立って、船橋市の穴吹宅を訪ねた。ご遺族のお許しのもと、穴吹さんの霊前で焼香し献花を行うためであった。晩年中国に強い関心を抱き、森本哲郎さんと一緒に度々その地を訪ねた穴吹さんは、青色の中国服姿でにこやかな笑みを浮かべながら河畔に佇む写真を自分の遺影にしてくれるようにと言い残したのだという。私たちはその遺影の前でじっと合掌し、生前の親交に対する深い謝意を表明した。またその際、私は、穴吹さんの講演姿を収録したビデオを持参してご遺族の方々に差し上げた。私の住む府中市からの委託を受け、長年企画運営に携わっていた「学びの森の散歩道」という講座の講師に穴吹さんを招いたことがあった。その折の貴重な記録ビデオがたまたま手元に残っていたからである。

その遺影と遺骨の安置された部屋の梁には、孫次郎、小面、翁面、武悪面など、十点ほどの実に見事な能面群が掛け並べられていた。むろん、それらはすべて穴吹さんの作品であった。生前、メールアドレスに「injin(殷人)」という表記を用いていた穴吹さんは、印章彫りの際にはその「殷人」を、また、能面制作においては「七面堂」を雅号に用いていたものだ。霊前に参拝してから数日後のこと、私はそんな穴吹史士さんの遺影に語りかける次のような献歌一首を色紙にしたため書き送った。

我もまたやがて往くべき彼岸にて

逢はんとぞ願ふ涙ながらに

 

(ユニークなIT展望史書刊行)

話は前後するが、AIC連載執筆中の04年12月、筆者自らが監訳した「人工知能のパラドックス~コンピュータ世界の夢と現実(原著タイトル『ARGUING A.I.』)」(サム・ウイリアムズ編著・工学図書)という本が刊行された。編著者のサム・ウイリアムズは本書の執筆に先立ち、現代のIT界を代表する先端研究者や技術者らを訪ねて彼らの率直な思いや未来への展望を取材した。またそれと並行して、過去の人工知能やIT研究史関係の資料を収拾精査し、それぞれの内容を徹底的に分析した。そして、それらの結果をもとにして20世紀から21世紀初頭に至る100年間のコンピュータ科学の発展史、なかでも人工知能開発の変遷について興味深い独自の見解を執筆・提示した。さらに、コンピュータ世界の未来の展望に関しても、鳥瞰的な立場から深く鋭い考察を行った。

タイトルは少々厳めしいが、人工知能やIT技術の無味乾燥な解説本などではなく、一連の先端技術の研究にまつわる興味深い話題について、一般読者に向けて分かりやすく述べ著した本になっている。諸議論に関する各界の専門家の賛否両論を交えながら、きわめて人間的な側面からコンピュータ科学界に深く切り込み、各種IT技術の急激な発展と普及に伴う諸々の不安や疑問に対しても、社会学的な見地を十分に踏まえながら懇切かつ的確に答えている。著名なコンピュータ科学者や技術者の実像を人間味豊かに活写しているのも本書の特色だろう。そのような観点からすると、この著作は、一般読者に限らず、コンピュータサイエンス全般に関心をもつ社会学者や教育学者の研究資料などとしても意義ある1冊だと言ってよい。世界最前線のコンピュータ科学者や研究機関のウエッブサイトのURLも多数紹介されているから、コンピュータ開発史やコンピュータ思想史を展望したい方々には参考文献としても役立つ著作であると思う。

微力な身ながらも監訳者として適切な日本語版上梓をと願いもしたので、その中の「AIは人知を超えるか?」といった重要テーマについても述べたいところだが、その話は当面留めおくことにする。もしもその種の問題に関心がお有りのようならご一読をお勧めしたい。

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