時流遡航

《時流遡航》エリザベス女王戴冠式と皇太子訪英(4)(2014,10,01)

 エリザベス女王の戴冠式を迎えたこの年、BBC日本語部は各界の日本著名人の訪問ラッシュに見舞われることになった。そして、その訪問ラッシュがピークに達したのは皇太子の渡英に前後する頃のことであった。まるで、その時期に「英国詣で」をすることが一流文化人や一流政治家を志す者に必須な通過儀礼でもあるかのような有り様だった。
 一群の訪英者のリストの中にはNHK番組のレギュラーとしても知られた藤浦洸、同じくNHKの「歌のおばさん」として名を馳せた松田トシ、柔道家の小泉軍司、作家の火野葦平、小糸のぶ、森田たま、日本コロンビア社長の泰米造、財界人の大蔵喜七郎、陶芸家の浜田庄司、民俗学者の柳宗悦といった人物らの名前があった。この時代に一般日本人が渡英するのは、経済的な問題をはじめとする諸々の制約があってほとんど不可能だったから、それら訪英者らの誰もが特権層に属するか、そうでなくても特別なバックグラウンドをもつ人々ばかりであった。
 英語学の権威として数々の辞書類の編纂に携わり、のちに東京外国語大学の学長をも務めた語学界の重鎮小川芳男もその頃に訪英した一人だった。小川は空路ロンドン入りすると、そのままBBC日本語部に直行した。すでに東京外大助教授のポストにあった彼の場合には、名目上は専門研究のための渡英ということになっていた。だが、戦後の復興期のことで、容易には国外研究者を受け入れることのできない英国の社会事情、さらには英国以上に厳しい日本の経済状況などもあって、英国での落ち着き先や滞在費その他にはおのずから各種制限が伴わざるをえなかった。したがって、日本国内では知名度の高い小川芳男といえども、事実上は長期英国視察旅行とも長期英国観光旅行ともつかぬ中途半端な状況に甘んじるほかはなかった。とにかく英国に渡りさえすれば、自分の専門研究につながる糸口や落ち着き先をなんとか探し出すこともできるだろうから、まずは行動あるのみというのがその時の小川芳男の偽らぬ心境でもあった。
 そんな小川の心情をすぐさま察知した石田は、当面自分の部屋に身をおきながらロンドンでの生活を始めたらどうかともちかけた。その日の午後には松本俊一駐英大使に同行し、皇太子出迎えのためサウサンプトンへと出立しなければならなかったので、石田は手短にその状況を伝え、小川に即刻決断のほどを促した。小川のほうもそんな石田の好意的な申し出を渡りに舟と受け入れ、ロンドン到着のその日のうちに小川は石田の借りている部屋へと転がり込むことになった。そして、ロンドンでの生活に慣れ、安くて住みやすい部屋が見つかるまでの間、小川は石田の部屋で寝起きし続けたのだった。
 英国の生活事情全般に深く通じる石田の存在は、その折の小川にしてみれば願ってもないことであった。石田は研究者としての体系的な学問を積んでいるわけでもなかったし、学歴も名門大学を卒業した小川には遠く及ぶべくもなかったが、英国庶民の間で用いられる活きた英語やこの国の民俗全般に強い関心があるという点で二人はずいぶんとウマが合った。小川が自分の下宿先を別に定めそこで暮らすようになってからも、石田はなにかと彼の世話をやいた。小川がロンドンの各所を巡り歩いて庶民の使う英語を調べたり、ウエールズやスコットランド地方をはじめとする各地の英語を実地に体験学習したりした際などは、石田の協力や助言が随分と役立った。小川がタイムズ紙の本社を訪ねてエドモンド・ブランデンに面会したり、オックスフォードに出向いてスパルディンに対面したりしたときも、石田は自らの人脈を通じその調整役を務めたりもした。それが縁となって、石田は帰国後もずっと小川と親交を続け、小川が東京外国語大学の教授となり、さらには同大学の学長となったのちも、陰にあってその仕事の一端をそれとなく手伝ったりもする間柄だった。また小川は、ロンドン滞在中、BBC日本語放送に何度かゲスト出演したりもした。
(名著「巷の英語」の贈呈も) 
英国滞在中の2人にはそんな親交があったため、石田は小川芳男のことを常々「小川君」と「君」づけで呼んでいた。石田が他界する3年ほど前のこと、信州穂高町有明の石田邸を訪ねて何かと話し込んでいた際に、既に故人となっていた小川のことがたまたま話題にのぼった。すると石田は何やら感慨深げな表情を浮かべながら椅子から立ち上がると、書架から一冊の本を取り出してきた。1967年に大学書林から刊行された「巷の英語(English on the Street)」というタイトルのその本の著者は小川芳男となっていた。随所にエリザベス女王戴冠式当時の英国社会の様子などについても述べているこの本は、知る人ぞ知る名著で、隠語を含めた庶民の言葉を細大漏らさず扱ったその内容も、柔軟で魅力的な文章も実に素晴らしいものであった。石田が取り出してきたその一冊は著者の小川芳男から贈呈されたもので、それはまた、ロンドンでの彼ら2人の出遇いとそれに続く親交を物語る貴重な物証にほかならなかった。現在その本は筆者の手元に保管されている。
「巷の英語」の363ページには小川がロンドンに到着したばかりの頃の想い出の一端が述べてある。皇太子がウオータールー駅に到着するのを知った小川は同駅まで皇太子を迎えに出向いた。また、彼は、前日のサウサンプトンでの歓迎レセプションの場で皇太子が読み上げた英語の声明文の放送に多大な関心を抱きながらじっくりと耳を傾けていた。そして、その小川もまた、19歳という年齢からすると実に立派なものだとしか言いようのない皇太子の英語のスピーチに感嘆しながら聴き入ったのだった。
 その時の様子について、小川は、「一部の新聞は声が小さいなどと書いていたが、前夜マージャンを楽しまれたあと、二、三回の下読みをしただけであれ以上のスピーチを期待することは、期待するほうが無理であろう」と書いている。著書中ではそのことについては触れられていないが、その時の小川はロンドンに到着したばかりだったから、皇太子一行のサウサンプトンでの動向やウオータールー駅到着の件などについて、石田達夫や藤倉修一らからあらかじめ細かな情報を得ていたことは言うまでもない。
 小川はまた、同著の中で、「私はロンドンに到着以来、年輩の人や若い人といろいろ話をしてみたが、女王に対する若い人の思いなどは、実に人間的な愛情に溢れたものだと感じた。よく、日本で皇室は家長であると言われていたが、なんとなく隔たりを感じないわけにはいかなかった。ところがこの国では、この隔たりは全く感じられない。エリザベス二世に対するこの国民の感情は、女王の立派な人格と態度のもたらすものなのである。尊敬と愛情をかねたものだが、愛情のほうが強い感じを受ける」と率直に述べ著しもした。

カテゴリー 時流遡航. Bookmark the permalink.