時流遡航

第12回 先端光科学研究の世界を訪ねて(4)(2011.4.15)

東日本大震災の被害は想像以上に甚大で、意外なところにもその余波が及んでいる。

茨城県筑波市の高エネルギー加速器研究機構のフォトン・ファクトリーは、スプリング8と同種の放射光科学研究施設だが、今回の地震によりその加速器などに重大な支障が生じたようである。また、高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が共同運営している茨城県東海村の大強度陽子加速器施設ジェイパークのほうも、地盤沈下などにより相当な損害を被った。両研究施設とも損傷度が大きく、直ちに研究を再開するのは困難な状況にあるという。

幸い、今回の地震の震源からは遠く、しかも強固な一枚岩盤の上に設置されているスプリング8については、直接的な影響は皆無だった。神戸一帯は震度3だったにもかかわらず、スプリング8では地震の揺れはまったく体感されなかったという。

人間などとは違い、最先端科学技術を集約した超精密機械の集合体であるスプリング8の鋭敏な測定機器類は、極めて微細な震動にも反応する。従って、本来なら今回の地震の表面波が地球を何周もする様子などがモニターに記録・表示されていたはずなのであるが、たまたま加速器の停止期間中で計器類も作動していなかったため、地震波はまったく検知されなかったという。

なお、地震に起因する原発事故が問題となっている折なので、誤解のないように述べておくと、スプリング8の「放射光」は原子核反応などで放出される放射線や放射能物質とは、まったく関係ない。シンクロトロン放射光X線などと聞くと、人体に有害な大量の放射線を放出する原子力施設だと勘違いする人も少なくないようだが、実際には、随時その始動も停止も可能な、そして被爆する恐れなどまったくない極めて安全な施設なのである。

放射光による具体的分析方法

前号で、放射光X線によって物質の微細な構造やその特性・機能などを調べる手法は2つに大別されると書いたが、より具体的には次のような5つの方法に分類される。いずれも極めて高度な技法なので、ここではその概略のみを手短に述べておくことにしたい。

(1)X線回折・散乱法

光の一種であるX線は、波動の性質をもっているため、進行方向に遮蔽物がある場合でも、散乱された光はその遮蔽物の背後に回り込むことができる。「回折」と呼ばれるこの現象では、光の波長が長いほど回折角(障害物の背後に回り込む際の散乱角)が大きくなる。結晶体のように、その構成原子が規則的・周期的に並ぶ物質にさまざまな角度から一定波長のX線を照射すると、ある角度では強いX線の反射が起こるが、別の角度では反射がほとんど起こらない。この現象は、物質を構成する原子によって散乱されたX線が、規則的かつ周期的に並ぶ同一結晶構造の繰り返しの影響で強め合ったり弱めあったりすることに起因する。

X線の波長、結晶面の間隔、結晶面とX線との成す角などを変数とし、X線の回折・反射の様態を理論化した関係式は「ブラッグの法則」と呼ばれ、X線を結晶に照射する場合には、このブラッグの条件式を満たす方向にのみX線が回折されるため、結晶構造を反映した光像パターンが形成される。そこで、その回折光像のデータを採取し、コンピュータを用いて数学的に解析することにより、オングストローム(100億分の1メートル)レベルの精度で結晶体などの原子配列やその構造に固有な様態を知ることができる。

なお、X線散乱はその散乱角度によって10度より大きな広角散乱(回折)と10度以下の小角散乱とに分けられる。この小角散乱を用いる手法だと、結晶構造のほか、ナノ(10億分の1)メートルサイズからミクロン(100万分の1メートル)サイズくらいまでのより大きな微粒子の状態や、構造が不規則かつ不均一な物質の諸様態を調べることができる。

(2)イメージング

X線CT(Computed Tomography)と呼ばれる手法は、X線イメージングの代表的な技術である。物質にさまざまな角度から照射したX線の透過後の光像を撮影し、その線量変化のデータから物質のX線吸収率の違いを調べる。そしてコンピュータを用い、その結果を数学的に統合処理することによって、試料物質の内部構造に関する画像情報を得る。

スプリング8の放射光X線は指向性・平行性が顕著なうえに輝度が高いため、一般のレントゲン撮影などに比べて遥かに優れた解像度の画像が得られる。スプリング8の指向性の高い放射光X線を光学的手法で極度に絞り込み、マイクロビームやナノビームをつくれば、微小粒子のX線CT画像作成も可能である。惑星探査機「ハヤブサ」が小惑星「イトカワ」から持ち帰った微粒子のうちの一部が現在、この手法を用いて分析されている。

(3)X線吸収微細構造解析法

X線を物質に照射すると、その一部が吸収される。エネルギーを徐々に変えながらX線を照射してその吸収率を調べていくと、特定のエネルギーのところで吸収率が大きく変化する。「吸収端」と呼ばれるそのエネルギーの値は、各元素に固有なものであることが知られている。

そこで試料にX線を照射してエネルギーの吸収端を調べると、試料内部の元素の特定やその電子の状態、さらにはそれに隣接する周辺原子の配列状況を探知することができる。X線回折法などと違い、この手法の場合には試料物質が結晶構造を持っている必要はない。

(4)X線光電子分光法

固体物質に一定エネルギーのX線を照射して、光電効果によって外部に飛び出してきた電子(光電子という)のエネルギー分布や放出角度の分布を調べ、それによってその物質の表面や内部の電子状態や化学結合の状態を把握する手法である。

通常、この手法の対象となるのは金属や半導体で、自由電子の運動が抑制されている絶縁体の測定には向いていない。

(5)蛍光X線分析法

X線照射により物質構成原子の内殻電子(内側の軌道上にある電子)を弾き出すと、空位になった場所(空孔)を埋めるために外殻電子(外側の軌道上にある電子)が内殻に遷移する。外殻電子のエネルギーは内殻電子のエネルギーより大きいため、その際、両者の差に相当する分のエネルギーが蛍光X線となって放出される。

内殻・外殻のエネルギー差は元素ごとに固有なので、放出される蛍光X線のエネルギーも元素に固有なものとなる。そのため、蛍光X線のエネルギーを計測すれば、測定試料の構成元素の分析が可能になる。また、そのエネルギー強度を求めれば、測定試料中の目的元素の濃度を知ることもできる。

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