時流遡航

《時流遡航272》日々諸事遊考 (32)(2022,02,15)

(未来へと羽ばたく学生の皆さんへ――凡庸な老輩の贈るささやかな想い)――④
近年、この国においては、政治経済界や学術界をはじめとする諸々の分野において、女性の活躍の場を大幅に広げるべきだという議論がなされてきていますが、私自身としては、ようやくそこまで辿り着いたのかという思いがしてなりません。これからの時代は女性こそが社会の表に立って活躍してもらわなければならないと、随分以前から主張していた身としては、あまりにも遅すぎると感じたりしている有様です。
私は、昔、大学で教鞭を執っていた若い頃から老齢の身となった今日に至るまでずっと、現代社会においては女性こそがしっかり学び、社会の発展に貢献していくべきだと主張してきた人間です。学術界を離れ、フリーランスの文筆家としての仕事をするようになってからも、様々な出合いや個人的な交流の場を通してユニークな感性と高い潜在能力を秘める女性たちと親交を持つようにし、蔭に在って絶えずエールを送り続けてきました。
名著「凍える牙」で直木賞を受賞し、女性の心理を描かせたら右に出る者のない作家の乃南アサさん、「神様もうちょっと」や「ラブジェネレーション」、「純情きらり」、「大奥」などのドラマのシナリオライターとして知られる浅野妙子さん、国内でのユー・チューブの先駆者で、情報工学のスペシャリストである京都大学教授の土佐尚子さん、NHK「おはよう日本」の元ニュースキャスターを経て語り芸術家となり、現在は大阪芸術大学教授を務める平野啓子さん、コンピュータ教育の専門家でもあった教育学者で、晩年東京大教授をも務めた故人の三宅なほみさんなどもそのような面々にほかなりません。
彼女たちは誰もがとても個性的な人物で、しかも大変な努力家でありましたけれども、何よりも印象的だったのは、冷静沈着に、しかし決して怯むことなどなく男性社会に立ち向かう覚悟を皆が秘め持っていたことでした。彼女らが若かった時代はまだ日本は圧倒的な男性社会でしたから、その才能を大きく開花させるまでには、ひとかたならぬ苦労の数々と、それらに打ち勝つための確固たる理念の貫徹があったことは言うまでもありません。
私自身は、どちらかと言うと、表立ったところで自らの顔や名を売る道を選ぶよりも、社会の陰にあって潜在的な才能を秘め持つ人々を見出し、それらの人材を育て上げる、いわゆる「伯楽」としての地味な人生を歩むようにするべく心掛けてきたつもりです。幸いとでも言いますか、自らの育ちの所為もあって、他者の潜在能力を見抜く目だけはいくらか持ち合わせてはおりました。そのため、総じて見れば非力な身にもかかわらず、様々な分野の著名人を含む多様な人材の成長過程を見守ることはできました。経済的な観点からすれば貧乏生活そのものの連続ではありましたけれども、それなりには有意義な人生行路を歩むことができたような気はしています。現在では、「一隅に咲く、これ野の花の心」という信条のもと、老いた身を辛うじて支えながら、東京郊外の西部地域に属する町の片隅でささやかな日々を送っております。もっとも、喩え人知れずではあっても、まだ野の花として一隅に咲くだけの力を残しているうちはよいのですが、「一隅に枯れる、これ野の花の姿」という救い難い状態に陥ってしまうのも時間の問題ではあるかもしれません。
(自らの経歴に関しての戯言も)
私は鹿児島県の甑島という離島育ちなのですが、親族縁が薄く、中学卒業時には既に肉親は母方の祖父母しかおらず経済的にも困窮していたため、関西方面への集団就職を考えていました。ところがちょっとした運命のいたずらによって、偶然にも本土の鹿児島市にある高校に進学できることになったのです。当然のことですが、辺鄙な離島育ちの身ゆえ、当初は学力もたいしたことのないごく凡庸な生徒に過ぎず、なかでも英語の成績などは惨憺たるものでした。今でこそ洋書の翻訳にも携わったりしていますが、英語などについて言えば、高校進学時点では文字通りの劣等生で、赤点ぎりぎりの状況でした。
しかも高校進学直後の1年生のときには最後の肉親だった祖父母が相次いで他界し、世に言う「天蓋孤独」の身に近い状況に陥ってしまいました。周囲の方々からの様々なご好意に預かったりもしたのですが、ともかうも、その後、一口には語り尽くし難い紆余曲折の人生行路を辿ったすえに数理科学分野の学術研究者となり、トポロジー(位相幾何学)や基礎論理学の探究とその分野の専門教育に携わるようになりました。そして、ある歳になった段階で学術研究の世界を離れてフリーランスの文筆家に転身することにしたのでした。フリーランスになってしばらくは、科学系の記事や著作類の執筆が中心でしたが、折々、週刊朝日のような雑誌でのエッセイやコラムの連載などにも携わるようになっていきました。
どう見ても非才そのものの身なのではありますが、そんな日々を送るうちに、ある小雑誌で執筆していた紀行文などがたまたま評価され、「第2回・奥の細道文学賞」を受賞することになったのです。その文学書受賞以降は周囲からの要請や激励もあって仕事の範囲を広げ、各種の文芸作品の執筆に携わるようにもなっていった次第なのでした。偶然の賜物とは言え、文科系・理科系といった、いまだ日本に強く根づく思考枠を超えた観点に立ちながら、曲がりなりにも文筆の仕事に関わることができたのは幸いだったと思っています。敢えてひとつだけ挙げるならば、常に諸事象に対する好奇心を失うことなく、損得にこだわらず、貧乏生活に甘んじながらもひたすら己の信じる道を歩み続けたことがよかったのかもしれません。既に述べましたように後期高齢者の身と成り果て、頭脳も体力も衰えてしまい、認知症一歩手前の状態ですので、未来へ向かってこれから大きく飛翔する若い皆さんに向かって愚かな私見を述べるなど、おこがましいかぎりなのですけれども……。
そんな私なのですが、もう40年以上も前から、真の「教育」を進めるにはそれと対を成す「学育」の精神が重要だと訴え続けてきた身ではあります。教育、すなわち「教え育てる」ことは重要なのですが、それが十分に機能するには、学育、すなわち「学び育つ」という自主的精神の存在が不可欠です。教育界に優れた先生方は多いのですが、その教育力が生かされるためには、それに呼応して皆さんの学育力も高まらなければなりません。 
一定の段階までは諸先生方の教育力に全面的に依存するしかありませんが、そこから先の本格的な学びの場においては、どんなに教育力が高くても、学育力が伴っていないと大きな成果は望めません。そして、さらにその先に待つ自主研究の世界や社会人としての個々の仕事の場では、「学育」の精神とそれによって生みもたらされる自立した力こそが肝要となってくるものです。数々の潜在的な能力を秘めた若い皆さんが、その大切な資質を将来に向かってしっかりと維持研鑽され、それぞれの心中に思い描く世界において先々大きく飛翔されることを心から願いつつ一連の戯言の結びとさせて戴きます。

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