85年4月になって日本でもコンピュータ通信の自由化が実現し、総合通信ネットワークシステムが普及し始めたことによって、ようやく国内でもパソコン通信時代の幕が明けた。現在のbiglobeの前身のPC-VANや日経Telstarと並んでこのパソコン通信の黎明期を支えた通信プロバイダーのひとつがNIFTY-Serveであった。私は各プロバイダーのIDを所有し臨機応変それらを活用していたが、日常的にはNIFTY-Serveを用いていた。当時はまだ日経のもの以外に新聞社運営のサイトは存在しておらず、ましてやインターネットという概念などまだ誰にも知られていなかった。
(黎明期のパソコン通信事情)
86年4月に設立され、87年4月にパソコン通信サービスを開始したNIFTY-Serveは、当初、富士通と日商岩井によって共同運営されていた。この時代のパソコン通信利用者の平均年齢は40歳前後で、現在のインターネットユザーのそれに較べて遥かに高かった。当時はパソコンの価格が1台数十万円と高価であったうえに、通信速度も1200bps程度ときわめて遅く、そのぶんだけ通信時間も長くならざるをえなかった。だから、つい調子に乗って長時間チャットにはまったりしていると、プロバイダー利用料と電話料と合わせた通信費は驚くほどの金額になったりした。そのような状況下では、若者らが現在みたいに気軽にパソコン等の必要機器を買って通信に参画するというわけにはいかなかったから、その必然的な結果として通信会員の平均年齢は相当に高くなっていた。
当時のパソコン通信マニアの間では、「ミカカ料に苦しんでます!」などという言葉が挨拶代わりに飛び交ったりしていたものだ。カタカナ文字の「ミ」がアルファベット文字の「N」と、また同様に「カ」が「T」と同一のキーになっていることからわかるように、「ミカカ料」とは「NTT料」、すなわち電話代金のことであった。当時富士通に勤めていたある通信仲間のように、気がついた時には1ヶ月の通信費が40万円にものぼってしまっていたという、泣くに泣けない事態に見舞われる者なども出現したりした。
一度も会ったことのない人々とリアルタイムで会話が楽しめるチャットにはまり、毎晩数時間以上も回線をつなぎっぱなしにしていたことがその異常事の原因だった。また、初期のパソコン通信システムには端末機からの送信が一定時間なければ通信回線を自動的に切断する機能が組み込まれていなかったから、通信中に眠り込んだり、何かの事情で回線切断を忘れたりすると、知らぬ間にその分の膨大な通信費が加算されるという事態にも立ち至った。その時代の通信費は通信プロバイダー利用料も電話回線使用料も共に時間従量制であったから、そんなとんでもない状況が日常的に起こってもいたのである。
幸いなことに、私の場合には仕事を通じて企業などからパソコンを無償貸与されていたし、無料かつ時間無制限でアクセス可能な特殊個人IDをニフティ社から試供もされていた。パソコン通信の普及活動や諸々の先導的通信試行実験を行って欲しいとの同社の意向などもあって、PEI0001からPEI00015まで15個の無料IDが大学関係の研究者用に供与されたので、当時の青山学院大学講師(現在東京大学教授)三宅なほみさんがPEI0001を、佐伯胖東京大学教授がPEI00013を、そして私がしんがりのPEI00015をといった具合にそれらのIDを仲間内で配分使用した。
そんなわけで、電話料金さえ自己負担すれば各種の試行実験を実践したり、時間を気にせずパソコン通信を楽しんだりすることができるようになった。もっとも、最小限の費用でパソコン通信を享受する便宜をはかってもらった代償として、好むと好まざるとにかかわらずコンピュータ関連の仕事に協力を要請されたり、通信をはじめとするコンピュータ分野絡みの原稿を依頼されたりする羽目にもなった。また、「通信を存分に楽しんでいた」と言えば聞こえはよいが、実際には、楽しみを通り越しその不思議な魔力に憑かれた状態になっていたから時間のロスも大変なものであった。夜な夜なチャットをしたり、フォーラム(特定ジャンルやテーマに関心のある会員用コーナー)を覗いたり、BBS(掲示板)に何かと書き込んだりしなければ気がすまない「パソコン通信中毒症」に陥りかけていたのである。最近話題になっている「インターネット中毒症」や「iモード中毒症」の前段階的症状とでも言ったものだったと思ってもらえばよい。その頃のシステムのデータ送信能力の低さやトラブルの多さも手伝って、時間的ロスもまた相当なものになっていた。
(ハンドルネームは「異邦人」)
当時のにNIFTY-Serveには、CB(Current Board)と呼ばれるチャチングコーナーがあった。夜になると指が勝手に動き出しいつの間にかCBコーナーにアクセスしている病的状況のことを、通信仲間たちは当時から「CB中毒症」と呼んでいた。そして、「CB中毒症の特効薬は課金しかないね」というジョークなどが交わされていたものである。「課金」とはNIFTY-Serveの従量制月額通信料のことで、まるで税務署の徴収する課税金をも連想させるこの表現をその頃にはニフティ社自らが用いていた。しかもこの課金、相当に高かったのだ。昨今の「インターネット中毒症」にもこの種の特効薬が効けばよいのだろうが、プロバイダー利用料も通信回線使用料も格段に安くなった現在では、その効力に期待するのは無理なようである。
当時は短い文字情報のみを送受信するのが精一杯だったが、それでも、チャットのコーナーや掲示板、フォーラムなどは盛況をきわめていた。「stranger」という、カミユの作品「異邦人(L’Etranger)」の英訳語「The stranger」の一部を拝借したハンドルネームを用い、常連会員として四六時中顔を出していたニフティの場合、開局から2年ほど経た頃の登録会員数はまだ2万人ほどで、実動会員はその半分以下に過ぎなかったが、斬新な交流システムに特有な物珍しさも手伝って結構な賑わいを呈していた。
当時のシステムはよくダウンしたし、そうでなくてもアクセス数が少し増えただけで通信速度が急落したりした。チャットの最中に突然画面が消えたり、「ハロー」と入力すると2~3分後になってようやくモニター画面に「ハロー」という表示が出たりすることなど日常茶飯事で、そのため珍妙なチャットが繰り広げられることも少なくなかった。チャットの途中何かの拍子で交信不能になり、自分のハンドルネームがチャットコーナーに表示されたまま残ってしまうこともあった。「幽霊」と呼ばれるこの状態に陥ってしまうと、他のチャット仲間が呼びかけても無応答のままであるばかりか、当人が再アクセスしようとしても「二重ログインです」という表示が出てハングアップしてしまう有り様だった。