時流遡航

《時流遡航》回想の視座から眺める現在と未来(16)(2015,10,01)

(歴史に学ぶということについて考える)
 人間という存在は、現在の世界や現代社会の価値基準・倫理規範のみを基にして過去の世界や当時の社会の出来事を判断しがちなものである。むろん、それにはそれなりのやむを得ない事情や理由もあるのだが、そうすることによって過去の歴史の真相やその教訓を見誤ったり見落としたりしてしまうことも少なくない。これまで何度も述べてきたように、歴史的想像力をはたらかせる場合には、一方で、できるかぎり過去の時空に視点あるいは光源点を置き、そこから現在の時空方向を眺め照らし出すようにすることも重要なのだ。
要するに、過去と現在双方に視点と光源点を置き、そこから歴史という名の怪物を照らし眺めながら極力その実相や背景に迫るという、地道な作業に取り組むようにしなければならない。当然、それは一筋縄ではいかない困難な作業でもある。また、その一連の考察過程を通して得られた諸々の英知や教訓、さらには凄惨かつ醜悪な足跡に見る反省の数々を、現在並びに未来の時空の構築と展開に活かしていくことが求められる。そして、それこそが歴史に学ぶということにほかならない。 
なお、そのような考察を進めるに際しては、現在の視点からすれば愚かとしか言いようのない過去の歴史的事実を知ることになったとしても、それらを単に嘲笑したり厳しく批判したりするばかりであってはならない。現在の我われが当然至極と思って行っている行為が、未来の視点から眺めたら愚行の極みに過ぎなかったという結果になってしまう可能性があることを思うと、またそうなる恐れが極めて高いことを想像すると、我々は歴史の語るところに対し常に謙虚でなければならない。
 身内の恥を晒すことを承知で義父の語り遺した凄惨な体験談を書き連ねたのは、歴史の秘めもつそんな意義を考えてみるための糸口くらいにはなるだろうと考えてみたからである。義父をはじめとする旧日本陸軍将兵の先述したような行為は、平和な現代日本社会の倫理観に照らせば鬼畜にも劣る非道な振舞いだったに違いないし、いまやその蛮行を肯定する者など皆無であろう。少なくとも日本国民においてはそうであると信じたい。
 しかし、欧米列強国に端を発した植民地主義が全世界を席捲し、やがてその流れが終末期へと移り始める頃になって列強国並みの強大な軍事力を手にした日本は、植民地支配を長年実践してきだ欧米諸国に倣って自らも植民地獲得に乗り出した。民主主義の高まりとともに欧米列強国の植民地支配の是非が問われるようになり、その支配体制に陰りが生じ始めた頃になってから植民地政策に突入した日本は、徐々に国際的な批判を浴びるようになるとともに、原油などのエネルギー源の補給路を断たれるようにもなっていった。追い込まれた日本は、大東亜共栄圏の樹立などという一見もっともらしい建前を掲げて植民地政策を遂行すべく死力を尽くしはしたが、ほどなくそんな企みは全て無に帰した。
 欧米列強国の植民地政策の後塵を拝することになった当時の日本支配層にしてみれば、同じことをやっているだけなのに何故に自国だけが責められることになるのかという思いもあったに違いない。また、自国発展のためには自国民や海外の支配地域の住民らの犠牲はある程度までやむを得ないという考え方もあったことだろう。
天皇の名のもとに吉田松陰まがいの大和魂なるものを植え付けられた国民は、翼賛体制下のマスコミの扇動にも乗り、命を賭して絵空事の理念を追い求めた。そして、その道程の果てにある窮極の修羅場においては、かねて穏やかで慈愛に満ちた人間ほどに冷徹な鬼と化し、残虐行為を繰り広げた。その蛮行は、異常が正常で正常が異常な時空にあっては、健気で立派な、あるいはそうでなくともそれなりに自負心を満たす行為だったのだ。
(戦争の背景に生物学的宿命も)
 愚かと言えば愚かなことだが、人間というものは誰しもが大なり小なりそんな資質を秘めている。かつての知人で今は亡き松本元という優れた脳科学者は、常々、「人間の脳とは、たとえそれが煽てであっても、褒め讃えられ、その存在意義を高く評価されるほどに効率よく機能する極めて利己的なコンピュータだ」と語っていたものだ。絶対的指導者を神とも仰ぐ政治体制のもと、特定の条件下でその存在意義を讃えられたりすれば、人間誰しも本来あるべき理性的判断を見失ってしまう。今になって振り返れば悲惨そのものの先の戦争においてもそんな背景があったに相違ない。
また一方、各種細胞や微小な生物をはじめとし、生命体というものは自己の存在、より厳密に言えば、その生存機能を根底的に否定されたとき、死を賭して足掻きながら自己顕示のために最後の生命エネルギーを発散する。本能的なその行動は結果的に周辺環境を傷つけ破壊し、場合によっては同種の生命体をも多数道連れにしたすえに絶命し果てるものだが、戦争という愚行は、多分、そんな生命体のメカニズムの延長上に位置している。
 戦いは人間の中に内在するそんな生物学的機能なども一役買って起こるわけなのだが、その原因を熟考してみると、たとえそれが何時の時代の場合であっても、双方の戦争当事者の一方側だけが絶対的に正当であり正義であるなどということなどは有り得ない。開戦に至るまでのプロセスを時流を遡る光と時流に添い下る光とで照らし見ながら詳細かつ慎重に分析してみると、それなりの道理や非理は大なり小なりどちらの側にもあるものだ。
だが、どちらかの側に相手方より遥かに大きな責任や開戦要因となる不当行為があったと推測される事例は決して少なくない。そこで、客観的に見て8対2くらいの割合である国のほうにずっと重い責任があったと思われる戦争の終結後に、8の非があった当事国がその戦いの是非を論じたり、戦史を綴ったりすることがあったとしてみよう。その際、「自虐史観」は絶対に避けるべきだという信条に則り、8の割合の自陣営の非には目を瞑って2の割合に過ぎない自らの正当性を高らかに唱え、2の割合の相手陣営の非を誇大に喧伝するとともに8の割合のその正当性を徹底的に貶めるとすれば、それはもう鼻持ちならない「自尊史観」になってしまう。逆にまた、2の割合で非があったと思われる当事国が、「自尊史観」を絶対視するあまり、自陣営の2の割合の非をも全面否定し、すべての非は相手陣営にあったと強硬に主張するなら、それは、理性的な目の持ち主からすれば何とも愚かな「他虐史観」になってしまう。
 1945年5月29日の横浜空襲時、満2歳10ヶ月の私は防空壕の中にいて「兵隊さん頑張って! 敵を全滅させて!」と叫んだらしい。微かに記憶に残るのは暗い空間の外に広がる真っ赤な夜空と何筋もの光を浴びてキラキラ光る小さな物体だけであるが、そんな幼い歳にして私はすでに、「自尊史観」と「他虐史観」を刷り込まれていたわけだ。

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