時流遡航

《急展開するIT社会の未来を思う》(2016,04,01)

(人工知能の発展史とその未来像)
 車の自動運転システム、株価の一時的な微変動を超高速分析して瞬間的かつ連続的に実践される株取引、臨機応変に自然言語を話す対話型ロボット、多言語間対応の自動翻訳マシン、無作為に集めたビッグデータと呼ばれる膨大な情報群を高速処理し、個々人の諸特性を割り出したり、社会の実勢やその動向などを的確に推測判断したりするネットワークシステム、国家機密や企業秘密レベルの高度情報を統括管理する制御機構――それらの技術の根幹にあるのはIT分野のなかでも特に「人工知能」と呼ばれている特殊システムだ。最近は国内でも一部の研究者が東大入試合格レベルを目標にした人工知能の開発や、星新一風のSF短編作品を執筆できるような人工知能開発を推進中である。
 人工知能(Artificial Intelligence)という言葉が初めて用いられたのは、1956年に開催されたダートマス会議でのことである。当時新進のIT研究者であったマーヴィン・ミンスキー、クロード・シャノン、ジョン・マッカーシーらは、「人間同様の推理思考や演算をおこなう自動機械」の研究促進を図るため、全米のコンピュータ科学者に向かって専門的な研究会議の開催を呼びかけた。その際に進行役を務めたジョン・マッカーシーは、同会議の意義やその目的をより明確にアピールするため「人工知能」という造語を思いついた。その会議に参加したアレン・ニューウェルとハーバート・サイモンは、ジョージ・ポリアのヒューリスティック理論(発見的探索法理論で問題解決の効率的な手順や方法を探求する)を応用した「ロジック・セオリスト」や「ジェネラル・プロブレン・ソルヴァー」を開発した。それらのマシンは数学・論理学の定理の証明問題や高度なパズル・文章題などを自動的に解決できたため、人工知能という言葉は一躍脚光を浴びるようになった。
 70年代半ばになると、文系理系の枠を超え全学術領域の知見を結集し人間の五感や意思・思考などのメカニズムの解明を目指す認知科学が誕生し、その中枢的役割を担ったのがほかならぬ人工知能の研究であった。ただ、当時のコンピュータやソフトウエアの性能的限界のゆえに期待通りには研究が進まず、90年代頃までには人工知能の研究は一旦下火となった。
コンピュータ用対話プログラム「イライザ(ELIZA)」の開発で名高いMITのジョセフ・ワイゼンバウムなどは、「最新の人工知能研究は現代社会の要請には程遠いものである。我々はまだコンピュータに叡智を獲得させる方法を持ち合わせていないので、叡智を必要とする仕事をコンピュータに委ねるべきではない」と指摘したほどだ。同じ頃、「こころの社会(The Society of Mind)」という書籍を著し、その困難さを指摘したのはほかならぬMITの人工知能研究者ミンスキーであった。瞬時に高度な数理演算はできても、「ロープは引けるが押すことができないのはなぜ?」などという幼稚な問いかけにも窮してしまう80年代の人工知能は「人工稚能」の一面をどうしても克服できずにいたのである。
ところが21世紀に入ってコンピュータの性能が飛躍的に向上するに伴い、再び人工知能開発競争に火がついて現在に至っている。人工知能用コード(根幹プログラム)制作者が厚遇されるのもそんな背景があってのことだ。近い将来、コンピュータの能力が人間の頭脳を上回るようになり、人類はその存在意義を奪われるばかりか一挙一動までをコンピュータに支配されてしまいかねないという危惧さえもが人々の間に生じ始めている。
(最新の人工知能に驚嘆するも)
先日、グーグル傘下のグループが開発した囲碁用人工知能「アルファ碁」が、世界最強の韓国人プロ棋士、イ・セドル9段を4勝1敗で破ったという一大ニュースが報じられた。イ・セドル9段が驚くほどの強さだったらしい。1997年、チェスプログラムを搭載したIBMのスーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」が当時のチェス世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフを破り話題になった。その後、チェスよりもずっと高度で複雑なゲームである将棋においても、プロの高段者と互角以上に戦える人工知能が次々に登場するようになった。だが、チェスや将棋に比べてはるかに複雑で、勝敗の概念自体を認知させたり学習させたりすることが格段に難しい囲碁の場合には、最強のプロ棋士と互角に戦える人工知能の出現はまだすっと先のことだろうと考えられていた。正直なところ、私自身もそうだろうと確信していたので、ある意味、そのニュースは衝撃的なものであった。
従来の人工知能などにも、人間とのやりとりを繰り返したり、試行錯誤のもとで何度も提示課題に挑んだりしているうちに、適切な解決法や対処法を自然に習得する学習機能はついていた。だが、今回の人工知能「アルファ碁」に内蔵されている学習機能「ディープ・ラーニング」のソフトウエアでは、その性能も学習経験の質も量も驚異的なまでに増進したようである。この種の学習機能をより発展させれば、「チューリング・テスト」をクリアできるほどに完璧な対話型自然言語マシンや非の打ちどころのない翻訳マシンなどが開発されるのも時間の問題なのかもしれない。 
実際問題として、コンピュータが人間には不可能な超高速度で複雑高度な数理科学の演算を処理したり、各種の人工知能が様々な面で人間の能力を圧倒するのを目にしたりするようになると、来たるべきIT社会に強い警戒心を抱いたり恐怖感を覚えたりするのも当然ではあろう。だが、そんな悲観的見方には些か短絡的に過ぎる一面もなくはない。これまでも折々述べてきたように、コンピュータの能力が人間のそれを超えたと判断できるのは、少なくともコンピュータ自らが将棋や囲碁に匹敵するような奥深いゲームを創造したり、科学研究遂行のために必要な微積分方程式を立てたり、独自に新たな研究手法を開発しそれを体系的に発展させたりしていくことができるようになったときである。換言すれば、そう判断できるのは、コンピュータが自ら目的を設定し、その目的を実現するために必要な手段を自力で計画推進できるようになったときなのだ。
人間の人間たる所以は、思考力や認識力のオグメンテーションツール(能力増幅拡大装置)としてのコンピュータが従来の常識を破る演算データなどを提示したような場合、それらの適否を慎重に検討し、もしその結果が正当かつ有意義だと判断したならば、当該データを基にしてより高度な理論や演算処理体系を創造していくところにある。そして、そのような場合に不可欠な革新的ソフトウエアの構築を実現するのは、高度なコンピュータ言語や各種の根源的プログラミング技術を駆使する人間の力にほかならない。むろん、将来、コンピュータ自らが囲碁や将棋にも勝る複雑高度なゲームを開発したり、画期的な学術研究計画を構想し、そのための方法論や理論の自力構築を行ったりするような段階が到来し、人間の思考能力が疎外される時代になったならばおのずから話は別である。

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