時流遡航

《時流遡航》哲学の脇道遊行紀――実践的思考法の裏を眺め楽しむ (15)(2020,05,01)

(本格的な有機栽培とそれを支える堆肥の醸成法とは)
 長野県の川上村は昔から新鮮な高原野菜の産地として名高いところで、一帯の農家の収入は全国トップクラスであることでも知られています。近年はさすがにそのようなことはなくなりましたが、30年ほど前までは初夏の時節にその地を訪ねたりすると、このうえなく懐かしい香が広大な畑一面に漂っていたものです。むろん、それは直撒きされた養分豊かな有機肥料ならではの香だったのすが、自らもその撒布作業を経験し、作物栽培にとってそれがどんなに重要かを弁えていた私などは、同行者が顔をしかめる様子をニヤニヤしながら眺めたりしていました。当時は、都市部でトイレの汲み取りを行ったバッキュームカーがそのまま農村部に直行し、内容物を農家に肥料として売り渡したりもしていたのです。
 なお、この際ですから、直撒きしない場合の有機肥料、すなわち堆肥の製造法についても少しばかり述べておくことにしましょう。本格的な有機肥料を醸成するには、まず、稲藁、麦藁、雑草、海草、落葉、枯草、木屑類などを大量に集め、堆肥小屋とも呼ばれる施設や区画の中にそれらを一定量敷き詰めます。通常は、それらの中でも稲藁や麦藁類が主体となったものでした。それら素材の敷き詰め作業を終えると、次に便槽から排泄物を樽に入れて運び出し、専用の柄杓を使って上から丹念にその内容物を撒きかけるのです。牛、馬、豚、鶏などの家畜を飼っている農家などでは、牛糞、馬糞、豚糞、鶏糞などを掻き集め人間の糞尿と一緒に混ぜ合せ、どっぷりと撒きかけもしたものです。
そのまま一定時間をおいたあと、最初に敷き詰めた素材のうえに更に新たな素材類を敷き詰め、また同様に便槽から運んできた栄養素をその上から十分に撒きかけてやります。そして、そんな一連の工程を何度も繰り返していくうちに、堆肥小屋には大量の有機肥料の素材が積み重ねられ、やがてそれら全体が腐蝕・発酵し、栄養分豊かな肥料へと醸成されていくのです。堆肥小屋の「堆肥」という言葉は、文字通りに時間をかけて醸成・堆積される有機肥料のことを意味しているわけです。
堆肥が一定量蓄積されてくると、男どもは、尿意をもよおした際などには堆肥小屋に入り熟成中の肥料に向かって直接用足しを済ませたりもしていました。少年時代の私は、毎年のように自家用の堆肥造りの手伝いをしましたから、その工程は今でもはっきりと記憶に残っており、その気になればすぐにでも本格的な有機肥料を醸成することが可能です。
 そのような過程を踏んで造られた堆肥は、春先や初夏の農産物作付け時に手作業で適度の大きさに切り分けられ、田畑に撒布投入されたものです。現代なら作業用のゴム製手袋をはめ、それなりの準備をしたうえで臨むところなのでしょうが、当時の農村などでは素手状態で対応するのがごく普通のことでした。ただ、熟成した堆肥というものは、当初のような異臭もなくなり、直に手で触っても違和感はなく、作業後に通常の石鹸などでしっかり手を洗っておきさえすればとくに問題は起こりませんでした。徹底した衛生概念の浸透により、「健康という名の病」という皮肉を込めた表現が相応しいくらいに過敏な抗菌対策が必然とされる現代社会では、到底考えられないような話ではありますけれども……。
 ただ、時代が変わり国内の津々浦々まで水洗トイレや汚水処理施設が普及した今日では、人間の排泄物を堆肥の製造に活用することはほぼ不可能になりました。敢えて旧来の方法にこだわると、極めてコストが高いものになってしまいかねません。現在、各地で有機肥料製造に用いられているのは、稲藁、麦藁、雑草、海草、落葉、枯草、木屑類と、醸成促進剤をも兼ねた馬糞、牛糞、豚糞、鶏糞などですが、その熟成作業は一般人の目には触れにくい隔離された場所で行われています。また、完成品の有機肥料も細かく裁断され、袋入りにして提供されたりしますから、その製造工程を知らない人などがそれらを目にして違和感を覚えることはまずありません。しかし、その当然の結果として有機肥料の生産量は限られたものとなり、有機栽培の作物類はそれなりに高価な存在になっていきます。健康上の理由から無機肥料、すなわち化学的合成肥料を神経質なまでに嫌悪する人々は、この際、有機肥料の本質が如何なるものであるかくらいのことは自覚しておくべきでしょう。
(辞書で有機肥料を検索すると)
 再確認の意味を込めて辞書で「有機肥料」という項目を調べてみると、「植物・動物や動物の排泄物を原料とした肥料。無機物を原料にして作られた化学肥料(無機肥料)に対していう」(日本国語大辞典)といった説明がなされています。同様に「堆肥」の項目を調べてみると、「肥料の一種。藁、雑草、落葉、海草などを積み重ね、水や硫安などの窒素分を適度に補給しながら切り返し、腐らせたもの。窒素・燐酸・カリウムの他、珪酸、マグネシウム、石灰その他の微量要素を作物に吸収されやすい形で含むため施肥の効果が大きく、しかも長続きして地力を増大させる。また、腐蝕質はもともと豊富だが、土壌微生物による有機物の分解がよく行われるので一層増加し、土壌を膨軟にし、排水・通気をよくするなど、作物の生育にとって好ましい土壌条件をつくる」(日本国語大辞典)と、いささか仰々しい記述がなされています。文中の「水や硫安」が何を意味するかの説明は不要でしょう。その点、広辞苑の説明は至って短刀直入で「藁・ごみ・落葉・排泄物などを積み重ねて作った肥料」となっています。
 さらに「有機栽培」の項目を調べると、「化学肥料や農薬の使用を控え、堆肥などの有機物を肥料として用い、地力の向上や安全な作物の収穫をめざす栽培法」(日本国語大辞典)とか、「化学肥料や農薬の使用をひかえ、有機肥料を利用して、安全で味のよい食料の生産をめざす農業、また農法」(広辞苑)とかいったように記述されています。どちらの説明にも「安全」という一語が含まれていますが、それは「非衛生的とされる動物の排泄物」の支えあってのことなのだという皮肉な事実を我われは十分心得ておかねばなりません。
また、有機肥料素材の最大の補給者であった人間が、衛生思想と衛生施設の普及に伴い、最早その役割を果たせなくなった実状を弁えてもおくべきです。無機肥料や農薬を用いた農作物の栽培を批判する多くの人々の気持ちは分からなくもありませんが、有機肥料が絶対的に不足する社会構造になった現在、無機肥料や各種農薬を用いた農産物を拒絶したら、それでなくても食糧自給率の著しく低下したこの国は、国際的な非常事態が生じたりした場合、たちまち困窮してしまいます。綺麗ごとでは済まされない農業というものの本質とその重要性を国民の誰もが再認識しておくべきではあるでしょう。哲学の脇道遊行記でなぜ肥料の話をと訝しがる方もおありでしょうが、如何なる社会事象をも考察するのが本来の哲学の姿ゆえ、その点はご寛容のほど願い上げます。

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