時流遡航

第38回 原子力発電所問題の根底を探る(4)(2012,05,15)

日本に原子力発電プラントを輸出したアメリカの場合には、その種の施設を建設するための基準として当初から極めて厳しい条件が定められていた。それらの中でも最重要視されていたのは、「原発建設予定地は地盤が安定しており、周辺には原野や砂漠地帯など広大な人口過疎地が存在していること」、「重大事故発生時には周辺住民の即時避難が十分に可能なこと」の二条件であった。日本国内においてこれら二条件を十分満たせるような建設候補地を探すことは現実問題として不可能だったから、アメリカ並みの安全基準の厳守を前提とするなら、その時点で原発の建設そのものを断念するしかなかった。

だが、国内への即時原発導入を望む政財界の意向は固く、「原発稼働によって国全体が大きな利益を受け、国民が快適な生活を送ることができるようになるなら、たとえそれらの要件が満たされていなくても建設を促進すべきだ」との方針が絶対視されることになった。要するに、始めから「原発ありき」の展開になっていたわけである。それゆえ、万一の事態を危惧する慎重派の研究者や技術者の意見は無視され、まずはアメリカの技術をそのまま導入して原発の建設稼働を実現し、一連の過程において生じる諸々の問題には臨機応変に善後策を講じていけばよいとする政策が採られるようになっていった。三菱、東芝、日立などの重電メーカーが原発技術を修得し、日本独自の原発技術を確立していくにもそれが早道だという判断もあった。

経済や産業優先の立場上、政財界は本来あるべき厳格な安全対策や安全基準には目を瞑り、場合によってはそれらに対しとことん無関心を装いさえもしたのである。一方では、そんな政財界の意向を汲むようにして、原発建設と同時に意図的とも思われる安全神話が専門家らの間でも創り出され、まるで原発技術の責任者自らが率先してそれを信じるかのような、またそうではなくても信じる振りをするかのような疑似自己催眠的な風潮が生じた。そして、そのような風潮はいつしか国民の間にも蔓延していったのだった。

端的に言うと、「人間は過ちを犯すものである」という欧米では自明の大前提が、我が国では、「人間は過ちを犯してはならない」という、非現実的で甚だ都合の良い前提へとすり替えらえてしまったのである。換言すると、「科学技術には不慮の事態や未知の不完全さがつきものである」という当然の前提が、「科学技術には不慮の事態や未知の不完全さなど決して存在しない」という、科学の本質とはおよそ無縁なものへと換骨脱胎されてしまったのだった。

ターン・キー方式契約ゆえに

そんな背景のもと、GE(ジェネラル・エレクトリック)社製の沸騰水型軽水炉MARKⅠなどの国内導入が本決まりとなり、1967年には福島第一原子力発電所の建設が開始された。福島や福井をはじめとする日本各地に原子力発電所が建設されるに先立ち、GEは自社の原発技術の高い完成度をアピールする意図もあって、ターン・キー方式と呼ばれる原発輸出契約を提案した。そして、日本側も大筋でその方式に基づく原発の導入契約締結に同意した。技術的にみて一定の完成域に到達した自社の設計規格通りの原発を日本が輸入してくれるならば、建設コストは最小限で済むうえに、日本側は運転始動キーを回すだけで原発を難なく稼働させることができるというのが、ターン・キー方式を勧めたGE社側の謳い文句であった。ただ、このGE社の提案は、前述したように、「人間に過ちがつきものであるかぎり、科学技術に絶対はない」という大前提に立つものではあったのだ。そして、その点に関しては日本政府や関係省庁も十分に理解しており、不備や不都合が生じた場合には日本の技術者が独自の判断と責任のもとに適切な対応をとるであろうと、アメリカ政府やGE社側はいささか楽観的に考えていた節がある。原発導入決定以降の日本側の実対応は、必ずしもその期待通りには運ばなかったわけなのであるが……。

アメリカにおけるGE社の沸騰水型原子炉は、重要関連資材の搬出入用船舶の接岸も可能な大河川沿いの場所での建設が前提とされており、また冷却水には河川の水を使用する設計だったので、炉本体は河水面から5mほどの高さの位置に設置されるようになっていた。もちろん、地盤も安定し大地震にも大津波にも無縁な地域の多いアメリカならではの条件下での安全設計になっていたわけである。

そのため、ターン・キー方式導入契約に従い国内にGE社の設計規格通りの原発を建設するとなると、比較的過疎な海沿いの地域を選ぶしかなかった。資財搬出入用船舶の接岸が可能で、しかも河川水を冷却水として取り込めるような河川沿いの建設適地など見当たらなかったから、海沿いに船舶用接岸施設を造り、冷却水には海水を用いざるを得なかった。そのため、福島第一原発などの場合は、もともと海抜30mほどの高さのあった台地を削り取り、わざわざ海抜5mほどの平坦地を造成するという先行作業までが必要だった。

時流となった原発の地方導入

GE社の規格通りの原発を地震や津波の多発する日本国内に建設するのは危険だから、少なくとも我が国独自の基礎研究を重ねたうえで慎重に設置を進めるべきだという専門研究者の意見も多かった。だが、それらは一切無視され、目先の経済性のみを重視して原発建設は促進されたのである。地震や津波の起こらない地域や、周辺の地下深くに隠れた活断層や破砕断層群が全く存在しないところなど国内には皆無だから、厳格な安全基準を遵守などしていたら事実上原発の導入は不可能だという判断が政財界にはあったからに相違ない。地震や津波対策の不完全なMARKⅠ型を日本のような自然環境のところに設置するのは危険だとするGE技術者の警告までもが軽視され、その建設稼働が急がれたのも日本側の政治的判断によるところが大きい。その結果、今回の福島第一原発事故の要因としてその全面喪失が問題となった非常用電源装置なども、GEの規格通りのものが設置される運びとなったのだ。当時原子力部長代理として陣頭指揮を執った豊田正敏元東京電力副社長やその傘下の技術者らも、当初はこの非常用電源装置の規格の不適切さを認識していなかったというのが実情だった。

1982年まで科学技術庁原子力局長を務めた島村武久などは、ほとんどがアメリカ任せで、大きな指針などないままに基本原理が未修得な技術までをも導入したが、当時は原発への期待が高まるばかりで、その流れを制御できなかったと告白している。そんな時流に乗って電源三法の制定を急ぎ、原発の地方導入を促進して地域経済の活性化を図ろうとしたのはほかならぬ田中角栄であった。

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