時流遡航

《時流遡航》エリザベス女王戴冠式と皇太子訪英(3)(2014,09,15)

歓迎会の司会進行役はベテランアナウンサーの藤倉修一が務めたが、マイクの前に直立不動の姿勢をとる藤倉の緊張ぶりはひとかたならぬもので、その声はいつになく昂ぶり顔は異様に強張っていた。歓迎会が始まるとすぐに記念の写真撮影なども行われた。用意された和屏風の前にタキシード姿の皇太子殿下が両手を前に重ねて立ち、その右に同じくタキシード姿の松本大使がわずかに首を傾げ殿下と肩を接するような姿で並び、さらにその右手に一人分ほどのスペースをおいて、やはり黒の礼服に身を固めた藤倉修一が背筋をピンと伸ばし硬直した表情で立ち並んだ。藤倉の左手には司会進行に必要なメモと資料がしっかりと握られ、そのすぐ右前にはマイクロフォンが置かれていた。そして、藤倉の左肩越し奥のほうには、これまた礼服姿の石田達夫の姿があった。
(英国での皇太子の姿を伝える)
 イギリス滞在中の皇太子の日々の動静はBBC日本語放送でも逐次報道され、ときには録音された殿下ご自身の声がそのまま電波に乗って日本へと伝えられることもあった。もちろん、番組構成にも通常とは違った特別な配慮や工夫がなされ、皇太子に関する話題を数多く取り上げることができるようになった。その点に関してBBCの責任者らが十分な理解を示してくれたことも幸いであった。
BBC日本語放送で「ロンドン今日この頃」の番組を担当する石田は、とくに皇太子関連の取材に力を入れ、英国滞在中の若い皇太子のふりまく人間的な一面を温かく見守り、その様子を親しみ深く報道するため、できるかぎりの努力を試みようとした。人間味溢れる英王室の人々を何度も取材してきた石田には、日本の皇太子に関しても、その温かく溌剌としたお人柄をなるべくそのまま伝えるようにしたいという思い入れがあったからだった。昭和天皇も毎晩8時になるとラジオのスイッチをお入れになり、英国での皇太子殿下のご様子を報じるBBC日本語放送に熱心に耳を傾けておられるとのことだったので、石田らをはじめとする日本語部スタッフの報道ぶりに力が入るのも当然だった。
 1953年5月5日にバッキンガム宮殿においておこなわれたエリザベス女王と皇太子殿下との特別会見は、日本側関係者の心配をよそに万事順調に進展し無事終了した。当時19歳という年齢にもかかわらず殿下は終始堂々と振舞われ、昭和天皇からのお祝いの辞などを女王陛下に伝えると、女王陛下のほうからも返礼の言葉が殿下へと託された。幼少期の米国人家庭教師だったバイニング夫人仕込みの英語を話される皇太子は、通訳などを挟むこともなく、にこやかな表情でごく自然に女王陛下との対話に臨まれたのであった。
 BBCはこの時期すでにテレビ放送を開始していたが、テレビや通常の音声放送のそれを含めて報道関係者の取材はきわめて抑制の効いたものであった。そのため、現在のように報道各社の記者や取材カメラマンが無節操に押し寄せ、至近距離でお二人の姿に迫るというなこともなかったから、大きな混乱はまったく起こらなかった。翌日にはエリザベス女王と日本の皇太子との特別会見を報じるニュースが英国の新聞各紙に掲載された。けっして大々的な扱いではなかったが全体的に好意的なトーンの記事が殆どで、一部タブロイド紙に皮肉たっぷりの小記事が載ったりはしたものの、危惧されていたような反日感情を煽り立てる内容のものはまったく見当らなかった。 
 英国の報道各社は続々と渡英してくる各国の元首や王族たちの動向を競って取材し、敬意を払うなかにも面白さや可笑しさの感じられる記事を書こうと努めていたから、記者らの視線が分散され、特別に日本の皇太子の動静だけに関心が集まるようなことがなくなったこともそうなった背景のひとつではあった。たとえば、ごく庶民的な感じの長靴をはき、連日たった一人でロンドン中を自由に歩きまわっていたオランダの王女の姿などは、何度も大きな記事となって華々しく報道各社の紙面を飾ったりもしていた。
(英国女王陛下と感激の握手を)
 バッキンガム宮殿でのエリザベス女王と皇太子の会見のあと、エリザベス女王の記者会見もおこなわれた。かねがね英王室の取材に慣れていて十分に勝手のわかっていた石田は、なるべくエリザベス女王のそばに近づけるよう、あらかじめ記者席の最前列に陣取った。そして、記者らの質問に答えるかたちで女王が遠来の日本の皇太子の労をねぎらい称え、日本国民への感謝の意を伝えるコメントを話し終えるのを待って、彼は自ら進み出て女王に握手を求めた。
「BBC日本語部に勤務している日本人放送記者です。本日は我が国の皇太子殿下を温かくお迎えいただきありがとうございました」 
 そう言いながら石田が手を差し出すと、常々庶民と握手を交わすことに慣れている女王は微笑を湛えながらなんの躊躇いもなく5本の指を軽く曲げた感じの右手を前方に差し延べた。石田は女王のその手を心を込めて固く握り締めた。なんとも言えない温かさが石田の手にじわじわと伝わってきた。それは、女王という名を取り去ってもなおけっしてその気高さの減じることのない、一人の人間としてのこのうえない真の温もりとでも言うべきものであった。
 握手を交わす際にエリザベス女王の右手の指が軽く曲げられたままなのにはそれなりの理由があった。国内の視察や様々な慶事の折などには一般国民が先を争うようにして我もわれもと女王に握手を求めてきた。そんな場合、しっかり指を伸ばして一回一回相手の手を固く握り返していたら、女王の手のほうはほどなくパンパンに腫れあがってしまうのであった。とくに、数多くの男性などが感極まって女王の手を力いっぱい握り締めるようなことが続くと、仕舞いには女王の手に痛みが走り何日も腫れがひかない事態にもなってしまうらしかった。そのため、女王は握手を求める人々に軽く指先を曲げた感じで手を差し出し、その手を相手のほうに握ってもらうようにしているのだとのことだった。それこそは、多くの国民と握手を交わしても手を腫らさないですむという、長年の経験を通して得られたロイヤルファミリーならではの隠れた知恵のひとつなのであった。
 いつもの習慣で、そっと差し延べられた女王の手先はそのときも軽く握られた感じになっていたというわけだったが、記者仲間から常々そのことを耳にしていた石田は、むろん、その場で戸惑いを覚えるようなことはなかった。取材を終えての帰途にあっても、石田は自分の手のひらにまだ女王陛下の心の温もりが残っているような気がしてならなかった。ともかくも、こうして石田は、ひとつの輝かしい心の勲章を手にすることになったのだった。

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