時流遡航

《時流遡航》回想の視座から眺める現在と未来(1)(2015,02,15)

(文系・理系の概念を超えて)
 若者たちの将来を左右する大学入試も新春の今がたけなわなようである。そんな時節柄もあってか、1月18日付朝日新聞の「日曜に想う」欄に、大学での理系・文系コースの選択問題に関する論評が掲載されていた。「日本では、文系か理系か乗り込む電車をひとたび決めると、乗り換えや途中下車をするには危険が伴う。社会が昭和以来の単線構造を引きずっているせいだ。『乗り間違えた』と感じながら定年まで走り続ける人の不幸を幾例も見てきた。18歳やそこらの若者に一斉の決断を無理強いせず、学びや働きの場をもっと複線化できないか。そしていつか文理の溶け合った新学術分野を他国に先駆けて日本が開拓できないものか――。迂遠な夢ではあるけれど、実現すれば一度きりの人生が数倍豊かになるだろう」と述べ語る論者の気持ちのほどはよく理解できた。
ただ、その論者には申し訳ないが、ここで提唱されている文理融合の新学術領域なるものは、欧米社会においては遠の昔から存在し続けてきた。そもそも、西洋で言う哲学とは、「人間の理性を通して認識される根本原理に基づき、世の諸々の事象を統一的かつ体系的に把握・理解しようとする総合的学問体系」にほかならない。一般的に欧米の大学で取得される博士の学位が学術分野にかかわらずPhDと表記されることがあるのも、また、日本社会とは異なり、「哲学者」なる存在が社会的にも深く尊敬されているのもそのような背景あってのことである。70年代にアメリカで誕生し近年大きく発展を遂げた「認知科学(Cognitive Science)」という学際的研究分野なども、文理融合が前提の学問の最たる事例ではあるだろう。念のために断っておくが、「認知科学」とは昨今問題になっている「認知症対策」の専門研究をする学術分野などではない。
筆者も昔少しだけ関っていたことのある認知科学は、現代最先端の理学・工学・医学・生物学・哲学、政治経済学、心理学・芸術学・社会学・文学・歴史学・民俗学など全学術領域の知見を集結し、人間のもつ知的な機能の分析・解明を目指す学問だ。より具体的には、知的表現、記憶構造、知識獲得、概念形成、論理の構築といった人間のそなえもつ高度な生体システムの解明とその機能の人工的な再生を、コンピュ―タという現代技術の粋を駆使して実現しようというものである。一時期停滞はしたが、最近また脚光を浴びるようになってきている人工知能の研究なども、当然、認知科学の研究分野に属している。
明治初期以来の日本独自の教育制度の悪しき名残とも言うべき文系・理系という分類の是非に関しては、実のところ、筆者自身、四十年近くも前から折あるごとに批判を繰り広げ、徒労に終わることを覚悟のうえで、いくらかでもその状況が打開されるようにと努め願ってきた。それゆえ、まずはこの種の議論の奥にある本質的問題についてもう少し深く考察させてもらうことにしたい。
 今では世の片隅にあって愚にもつかない駄文を細々と綴っている一介の「百円ライター」の身に過ぎないが、フリーランス・ライターに転じる以前には、一応、大学らしいところでささやかながらも教鞭を執っていた。「位相幾何学」、「基礎論理学」、さらには「コンピュータ・サイエンス」といった数学絡みの専門分野に関わっていたのだが、常々学生たちを相手にするときには、彼らがその言葉に少なからず首をかしげるのを承知のうえで、「数学とは言葉である」との一言を語りかけるように心がけていた。1987年のこと、気が進まないながらも、NHK第2放送の教育ラジオ番組「学びの難しさ」に出演させられたときなどには、「実は数学とは言葉そのものなのです。そして、その考え方の意味するところをしっかりと理解してもらうことこそが、先々数学の世界に慣れ親しめるようになるための秘訣でもあるのです」といった趣旨のことを、具体的事例を交えながら、なるべく易しい表現を用いてマイクの向こうの人々に伝え訴えかけたものである。
(数学の言語性に目覚めた日々)
 老いのゆえもあって、最早当時の記憶は忘却の淵に沈み消えようとしているが、貧乏学生時代のこと、東京下町の鋼板裁断工場で夜警のアルバイトをしていた私は、定時巡回以外の時間帯を利用してささやかな勉学のかたわら雑多な読書に耽っていた。ご多聞に漏れず、漫画や流行小説が読書の中心ではあったが、週に3・4回、夕方5時から翌朝8時までの15時間に及ぶ長い夜の時間帯をやりすごさなければならないこともあって、たまには難解な著作などにもチャレンジした。それらの中には、イマニュエル・カント、ルネ・デカルト、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド、さらにはバートランド・ラッセルといった先人数理哲学者らの著作も含まれていた。
そして、そんな一連の読書を通じて、私は、科学的思考、なかでも科学の世界を根底で支える数学という学問の論理的思考の本質が「言語性」そのものにほかならないということを思い知らされた。それまで、国語と数学とは相互には無関係なジャンルに属する教科だと信じ込み、少しもそのことに疑いを挟まなかった己の無知に恥じ入った。自分の体内深くにまで刷り込まれていた文系・理系という既成概念が一掃されたのはまさにその瞬間であったと言ってよい。なかでも、「数学原理(Principia Mathematica)」の共同執筆者でもあるホワイトヘッドとラッセルの著作類には、自らが専攻していた研究分野との関連もあって、甚だ大きな思想的影響を受けた。ホワイトヘッドとラッセルは「数学原理」執筆の業績によってノーベル賞を受賞したのだが、なんと受賞したのは「文学賞」なのであった。この場で詳細な解説をすることは避けるが、その一事をもってしても、数学の根底に言語というものが如何に深く関わっているかを推測できるというものだろう。後年、この二人は純粋数学の研究を離れ、哲学者・社会学者として思想書。評論、エッセイ等の執筆に全精力を傾けていくことになるのだが、そのような転身を可能にした事実そのものが、数学の根底を支える言語性の重要さというものをおのずから物語っているもと言えよう。
 天才数学者フリードリッヒ・ガウスが、若い頃に数学者になるか言語学者になるかで悩んだという話は何処かで読んで知ってはいたが、何故なのだろうという思いがそれまでの自分にはあった。その謎が解けたのは、ホワイトへドやラッセルの著作にめぐりあってからである。ラッセルの随筆中には、彼の愛弟子で、のちに高名な言語学者となるルードウィヒ・ウィトゲンシュタインの話も出てくる。稀有な数学的才能に恵まれたというこの人物は、周囲からその分野での活躍が嘱望されていたにもかかわらず、自ら新たな言語学の世界を開拓する道を選んでいったのだという。

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