時流遡航

《時流遡航》回想の視座から眺める現在と未来(19)(2015,11,15)

(講演が縁で高輝度光科学研究センターへ)
 岡崎コンファレンスセンターでの私の拙い講演にいたく共感してもらい、それを契機として深い親交を持つようになった3人の研究者があったことについては前号で述べたが、それらの中でも、無能なこの身に特別強い熱意をもってコンタクトを求めてきた人物があった。当時SPring―8(高輝度光科学研究センター)副センター長の要職にあった高田昌樹さんである。理研主任研究員だった高田昌樹さんは東大特任教授などをも兼任していたが、今年度からは東北大学招聘教授となり、東北地方での高輝度放射光科学研究推進、並びにそのために必要な研究機関設立促進の責任者として目下活躍中の方である。
 かつて名古屋大学助教授(現在の准教授)からSPring―8の主任研究員に転じたキャリアを持つ高田さんは、構造物性や電子物性のスペシャリストとして国際的にも著名な方で、ナノフラーレンの構造解析やその特性解明の業績などは、ネイチャー誌などでも大々的に報じられた。岡崎での講演が終わって間もなくのこと、その高田さんから、一度SPring―8に案内したいと言う望外なお誘いを受けた。SPring―8なる研究施設についてそれまで全く知識のなかった私は、生来の好奇心の蠢きを抑制できなくなってしまい、無能な我が身も顧みず、図々しくも即刻その誘いに乗ることにしたのだった。
 当時東京丸の内地区の一角にあった理化学研究所連絡事務所で高田さんと会い、まずSPring―8での研究概要について1時間ほどのレクチャーを受けたのだが、巧みな比喩を交えたその説明は明快そのものであった。その翌日東京駅で待ち合わせた我々は、新幹線でSPring―8の最寄駅である兵庫県の相生へと向かった。その車中でも、高田さんはパソコンを操作しながら、放射光照射によって得られる諸データをもとに、フーリエ変換を駆使して超微視的世界の構造を映像化するプロセスを熱心に解説してくれた。
 一応は数学の研究者の端くれゆえ、名高いフーリエ変換の原理そのものには通じていたが、その変換理論を超極微な世界の構造解析に実践応用する過程を目にするのは初めてのことだったので、興味深いこと極まりなかった。美人女優藤原紀香の笑顔の映像を、一旦、放射光を介して得られる物質の極微構造の元データに相当する複雑至極な情報群へと逆変換しておき、それらを再度藤原紀香の映像に変換して見せるその視覚的手法などは、フーリエ解析の何たるかを一般人にも解り易く説明するのに格好なことこのうえなかった。
 氷雪の研究に始る低温科学の分野で名高い物理学者中谷宇吉郎の文学的素養の高さにかねがね感銘していたという高田さんのことゆえ、当然のことながら高い文章力をもお持ちだった。また、かねてから日本画家の上村松園に傾倒しているという事実からもわかるように、優れた芸術的な感性をも具えておられた。要するに、高田さんは、特定専門分野の知識だけでなく、本質的な意味での深く広い教養を身に付けた人物だったのだ。そして、そんな高田さんにSPring―8の広大な敷地内の諸々の研究施設などを隈なく案内してもらい、稼動中のビームライイン(放射光導出・照射装置)による研究現場などをもリアルタイムで見学することができたのは幸いだった。
 通常の見学では立ち入り不可能な場所をも含む特別なコースを高田さんの先導で巡り終えたあと、我々は研究室の椅子に腰を下ろしてしばし取り留めもない歓談に耽った。そして、その折に高さんが何気なく吐いた言葉はなんとも印象深いものだった。それは、「自分の研究が一段落したある時点で、私は、広報部門に移動したいと申し出たのですが、いま研究から離れたら困るという理由で許可してもらえませんでした」という意外な一言だったのだ。過去に多大な業績があり、しかも、現在でも放射光による物質構造解析や電子物性解明の第一人者であり続ける高田さんの能力は先端的学術研究にとって不可欠なものゆえに、広報部門への転出が認められないのは当然のことであろう。
だが、専門研究を離れるのを覚悟で高田さんが広報部門への移動を希望したのは、理研のような科学研究組織における広報活動の重要性をそれだけ深く認識していたからにほかならない。科学研究組織での広報活動など、ちょっとした科学知識がある者なら誰でも片手間仕事でできるはずだなどいう、舐めた思いにとりつかれている学者などとは大違いだったわけなのだ。我々が意気投合したのは、むろん、そんな背景もあってのことだった。
(想像だにしなかった展開に!)
 その高田さんから突然まるで想定外の要請を持ちかけられたのは、SPring―8見学を終え帰京してから1ヶ月後くらいのことである。時期的には、民主党政権によるあの学術研究予算仕分け作業実施の3~4ヶ月ほど前のことだが、なんと、「SPring―8学術成果集」の執筆・編集・制作に携わって欲しいという依頼だったのだ。一旦は辞退したものの、岡崎コンファレンスセンターでの拙い講演の所為もあって、「隗(かい)より始めよ」、すなわち、「物事はまず言い出した者から始めよ」という中国の故事そのままの状況に追い込まれる羽目に陥り、結局は逃げ出しようがなくなってしまったのだった。
 具体的な要請内容は、高田さんら理研の中心的研究者のほか、東大・京大・名大、東北大などの教授らからなる学術成果集編纂委員会が選定した、SPring―8の放射光による優れた先端科学研究業績28事例を収録する冊子の制作に当たってほしいというものだった。表向きの編集担当部署である広報室を介して個々の研究者やその研究概要についての必要情報は提供するので、全国の大学や研究所に散在する当該研究者を訪ねて直接取材し、事実上の原稿執筆、図版作成、編集、制作作業全般にわたって関わってもらいたいという、とてつもない要請だったのだ。しかも、その学術成果集制作の目的はSPring-8の重要性や存在意義を社会に広く訴えかけるためでもあるので、科学雑誌「ニュートン」と同等レベルか、それよりは少し学術性の高い感じの記事内容に纏めてほしいという注文もついていた。またそのうえに、なるべくなら次年度の学術予算編成前の時期までに仕上げてもらないかという懇願までが添えられていた。
 時間的制約からしても自分一人では到底対処できないと即断した私は、仕事上親交のあった理系畑の恵志泰成元選択誌編集長を巻き込み、降って湧いたようなその難作業に挑むことになった。そして、最終的にはA4版で82ページにも及ぶその学術成果集制作作業のほぼ半分づつを恵志さんと二人で手分けして処理し、SPring―8理事長筆の前文や編纂委員長筆の後記文の補足修正を含む全体的な統括作業は私が担当することにした。 当然だが、生命科学、ソフトマター、構造物性、電子物性、高圧地球科学、環境・エネルギー、さらには核物理までと多分野にわたる先端研究についての取材執筆は困難を極めた。

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