時流遡航

《時流遡航》エリザベス女王戴冠式と皇太子訪英(6)(2014,11,15)

 こうして石田は英国滞在中の皇太子の案内役に抜擢された。だが、ガイドとしての能力が高く、またBBC所属の現役アナウンサーという立場にあったとはいえ、格別家柄がよかったわけでもなく、高学歴があって政財界の要職についた経験があったわけでもなかった。また、戦前・戦中においては、貴賎を問わぬ破天荒な職業遍歴を辿りもしてきた身でもあった。
それ故、彼のような人物が皇太子殿下という高貴な身分の方のお傍に近づくなど、英国での特殊な状況下でなかったら、まずもって許されることなどなかっただろう。もしもそれが日本国内においてのことだったら、関係筋から真っ先に身元や学歴・職歴の調査をされ、その結果がわかった段階で即刻不適格者の烙印を押されていたに違いない。
 予想もしていなかった不可思議な運命の巡り合わせによって、皇太子の案内役を務めることになった石田ではあったが、しがない己の出自を顧みるにつけても、その胸中は複雑そのもので、胸中に募る不安にも少なからぬものがあった。渡英して以来、英王室の取材に奔走し、特別な緊張感も距離感もなくエリザベス皇太后、エリザベス女王夫妻、マーガレット王女、チャールズ王子、アン王女などにごく間近なところで接してきた身ではあっても、それが母国の皇太子ということになると、どうしても身体中がひどく強張る思いがしてきてならないのだった。
(人間皇太子の飾り気ない人柄) 
 サウサンプトンまでお迎えに出向いた際と、日本大使館主催の皇太子歓迎会の席とで二度にわたって殿下と直に接し、短いながらも言葉も交わすこともできたにも拘らずそんな緊張感を覚えるのは、それなりの背景があってのことだと思わざるをえなかった。どうやらそれは、無意識のうちに幼い頃から石田自身が受けてきた教育のせいなのでもあったのだろうが、心ならずも異常なほどに身構えてしまう自分を、すぐにはどうすることもできなかった。それでも、彼は、自分なりに自然体のままで振舞い通せるように極力努めてみようとは決意したのであった。
 ただ幸いなことに、まだ19歳の若く溌剌とした皇太子は想像していた以上に柔和で穏やかなお人柄で、しかも好奇心のほうも極めて旺盛であられるようだった。だから、皇太子を案内し始めてそれほど時間が経たないうちに、石田の気持ちは随分と楽になった。いっぽうの皇太子のほうも、ロンドン周辺のいろいろな名所旧跡を訪ねてその風物を物々しく見聞したりするよりも、ごく少数の供の者だけを従え、一般市民や一般観光客らと同様に自由かつ気ままにロンドンの街中を歩き回ることのほうにこの上ない喜びを感じておられるご様子だった。そして、そんな意外なご動向の奥に、先導役の石田は、人間皇太子の飾り気のないお姿と、このうえなく温かいお人柄を垣間見る思いであった。
 ロンドン一番の繁華街ピカデリーサーカスを案内した際は、往来する多数の群衆で一帯はひどく混雑していた。そのため、人混みの中を歩いた経験など皆無に等しい皇太子の肩は、歩くごとに何度となく他の通行人の肩と触れ合ったりぶつかったりした。喩えは悪いが、まるでそのご様子には盤面上を跳ね飛ぶパチンコ玉をも連想させるものがあった。一般庶民は子供の頃からひどい人混みの中を歩き馴れているから、混雑時には身をかわすようにして人波を掻き分け縫い進むことができるが、そんな体験など皆無の皇太子にいきなりそれを求めるのはむろん無理な話であった。どうしたものかと一瞬迷った石田だったが、ここは一言アドバイスを差し上げたほうがよいのではないかと思い立った。
 そこで石田は、「こういう風に身体全体をハスに構え、片方の肩を斜め前に突き出すようにして人混みを擦り抜けながら前進なさってみてください。もしも他の通行者と肩が強く触れ合ったりしたような時には、一言、アイム・ソーリーとおっしゃってください」と、自ら手本を示しながらそうお伝えした。すると、石田のその言葉を耳にした皇太子はにこやかに頷き、すぐに教わったままの仕草をなさりながら、見るからに嬉しそうな表情でピカデリーサーカスの雑踏の中を進んで行かれるのだった。そのご様子を見ていると、「ごく普通のことを普通の人と同じようにできることが心底楽しくて仕方がないし、それに勝る喜びはない」とでもおっしゃりたげな殿下のご心中が拝察されてならなかった。
 動物園に案内した折にも、皇太子は一般の人々が考えもしないようなところに大きな喜びを見出されたようだった。たまたま動物園の切符売場は混雑していて、入園切符の購入を待つ人々の行列ができていた。すると、皇太子は自ら進んでその行列の一番後ろに並び、にこにこしながら自分の順番がまわってくるのを楽しまれたのだった。園内においても、人気のある動物の檻の前には長い行列ができていたが、やはりそこでも皇太子は嬉しそうなご様子で最後尾に並び、ご自分の順番の到来をお待ちになるのだった。そのお姿はなんとも微笑ましいかぎりで、石田自身も、そして他のお付きの者たちも皆、このうえなく心が和む思いであった。
 その当時からロンドンの地下鉄駅には切符の自動販売機が設置されていた。それらの切符販売機にも少なからぬ興味を示された皇太子は、お供の者からコインを何枚も貰うと、一行の人数分の何倍にもあたる枚数の切符を楽しそうに買い求められ、余った分の切符を通りがかりの人々にお配りになったりもした。突然に切符を差し出された人々のほうは一瞬戸惑いを見せたりもしたが、それとなくその状況を察すると、サンキューといいながら皇太子の好意に快く応えてくれたものだった。
 大英博物館でもナショナル・ギャラリーでも皇太子の好奇心は旺盛で、一般入場者に混じってごく普通に陳列物や展示物を観覧された。周囲からいっさい特別扱いをうけない状況下でのことだったので、ご自分の意志で好きなところをご自由に観て回られることが可能だったわけなのだが、若さのゆえもあってか、ご関心の趣くところはとても人間的なもので、石田は心の底からその姿に好感を抱くことができた。
穂高町で晩年を迎えた石田翁が、あるときエリザベス女王戴冠式時の一連の出来事を回想しながら、「当時の皇太子殿下、すなわち、現在の天皇陛下がこれまでの人生の中でもっともご自由であられたのは、もしかしたらあの英国での6週間だったのではなかろうか」としみじみ語ってくれたことがあったが、実際その言葉通りだったのかもしれない。戴冠式からちょうど60年を経た昨年、天皇陛下は美智子皇后ともども英国をご訪問なさったのだが、そのご心中深くでは、遠い日の懐かしい想い出などをしみじみとご回想なさっておられたのかもしれない。

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