時流遡航

《時流遡航312》 日々諸事遊考(72)――しばし随想の赴くままに(2023,10,15)

(人間というものの宿命的本質について考える―② )
 学校教育の現場などにおいては、生徒たちは「先々自立した人間になれるように心掛けなさい」などと教示される。通常の社会生活にあっても、先達や先輩と称される人々から自立することの重要性を指摘されることは少なくない。しかし、その割には「自立」という言葉の意味するところを深く考えてみることなどは殆どない。そもそも、若者や社会組織の後輩らに向かってもっともらしく自立の重要性を説く人物からして、実際に自立しているのか否かが問われるべきなのである。軽々しくその言葉を吐けるほどに、「自立」という概念を心底理解し、それを実践に移すことは容易な話ではないからなのだ。
 「自立」という言葉の辞書的な定義は、「他者への依存や従属をすることなく独り立ちし、自らの意志と力で判断したり行動したりし続けること」といったようなものになっている。また、そのためには、「自律」、すなわち、「外部からの支配や制御などに縛られることなく、自身の立てた規範に従って行動すること、すなわち自らの行為に対する主体的な規制の実践」が不可欠だともされている。後者の「自律」という概念は、著名な哲学者カントが唱えた倫理学の根本原理のひとつに立脚するもので、欲望に動かされることなく、実践理性(目的の実現に向かって行為を統御する理性)の働きを介して普遍的な道徳法則を設け、それによって自身の意志を規制することを意味している。
 一見したかぎりでは、それら両概念の意味するところは重要かつ当然至極なことのように思われる。だがここで、ひとりの人間としての己の現状を冷静に分析考察してみると、そんな概念とは遠くかけ離れた実態が浮かび上がってくるのである。私という人間は、自らの意志とは関わりなくこの世に生まれ、まずは家族のもとで、続いて地域社会の中で、さらには国家という社会共同体に身を置くことによって育まれてきた。そして、ある程度の自我観が芽生える成人期までの間には、その適不適に関わりなく、無意識のうちに自らが属する社会の伝統的規範や価値観をすりこまれ、それらを遵守するように教えられてきた。またそうでなければ、その年齢に至るまで無難に成長を遂げることはなかっただろう。
率直に述べれば、その成長過程においては、他者へと依存従属し、外部からの支配や制御に縛られてきたことになる。およそ「自立」や「自律」とは無縁な生活を送ってきたようなわけなのだ。それゆえ、個人差はあるだろうが、成人期を迎えた段階で、突然、「自立」や「自律」を求められても、その要請に適切かつ十分に応えるのは無理というものなのである。
甚だ皮肉な物言いにはなるが、その意味では、早い段階で社会倫理や社会規範を無視するようになり、周囲の人々から不良少年少女として白眼視されるような存在のほうが、よほど自立や自律の精神を持ち具えていることになる。実際、青少年期に一時的には不法行為に染まることがあったとしても、やがてそれらを乗り越えひとかどの人物となる事例が少なくないのも、もしかしたらそのような背景があってこそのことなのかもしれない。
 そう考えてみると、生まれてこのかた、諸々の社会規範や数々の人々に守られて成人し、共同社会人の一員となった人間が、完全な意味での自立した人生を送ることなど不可能だと言ってよい。間接的なものではあるにしても、詰まるところは、他者や所属社会との様々な妥協、国家への従属・依存などを重ねながら、我々は生きていくしかないのである。たとえ孤独な放浪者や孤高な禅の修行僧のような存在であったとしても、最低限の社会規範は守っていかねばならないし、他者にまったく依存することなくその生命を維持し続けることなどできはしない。それは、生来、共生本能を内有する人間の宿命にほかならない。
(「自立」というものの本質は)
 人間にとっての自立の意義がその程度のものに過ぎないとすれば、その問題を考えるに際しては、かなりその概念を絞り込んだうえで対応していくしかないだろう。「様々な選択肢があり、絶対解など元々存在しないような問題に直面した場合などに、安易に他者の意見に迎合したりせず、極力自らの主体性を保ちながら進むべき道の選択判断を行うこと」くらいに受け止めておいたほうが無難かもしれない。国内外での政治的問題や経済的問題が多発し、それらに関し虚々実々の情報が飛び交う昨今の状況下にあって、百パーセント真の情報をのみを求めることなど所詮不可能だからである。
そもそも、情報の本質というものは、どのひとつを取り上げてみても、その中に真偽の判断困難な多岐多様にわたる要素や知見が潜み紛れ込んでいることにあると言ってよい。そんな状況の下で個々の人間にできる自立的な行為といえば、たとえそれが結果的に誤っていたとしても、他者の意見に左右されず、自らの判断で情報の選択を実践するくらいのことであろう。誤っていることが判明した場合には潔くその判断ミスを認め、自己修正していくほかないのである。ただそうすることさえも、現実問題としては結構難しい。
 職業的に見るならば、作家や評論家、芸術家、科学者といった類は、通常、極力自立性を求められる。だが、どんなに自立意識が高く、また社会的にも大いに評価されているような作家や評論家、芸術家、科学者などであったとしても、その自立性に揺らぎが生じることは避けられない。
すでに故人となったが、私の知人にある著名な作家がいた。その彼が一貫して採っていた立場は、一般社会の観点から見てその動向が激しく批判されても当然の個人や集団が存在する場合、その問題を論じるに先立っては、必ず当該人物や集団に寄り添い、極力先入観を排してその主義主張を徹底取材するというものだった。初めから批判的な固定概念を以て事に臨むと、感情論丸出しの論争に終わり、重要かつ根本的な問題に到達できないままで終わってしまうからというのが、その主たる理由であった。
 かつて社会的大事件へと発展したオウム真理教がまだ布教の初期段階にあった頃、若くてしかも理知的な男女が次々と同教に帰依していき、家族とも絶縁する事態が生じていた。その問題を論じるには、オウム真理教の実情や背景を十分に確認しておくことが不可欠だと考えたその作家は、同教団の中枢的人物や、高学歴で科学的な知見も具え持つ信徒らと接触し、彼らと一定の親交を結ぶかたちをとりながら、冷静にその理念や実態などを把握しようと試みた。一方的な風評に安易に流されることなく、自立心を大切にしながら事に臨もうとしたその判断は当然のことであり、けっして間違っていたわけではない。
 だが、そんな知人が、ごく一瞬の心的動揺や一時的催眠状態に陥ったうえでのことだったとは言え、ある時、私に向かって耳を疑うような一言を呟きかけてきたのだった。諸事においてそれまで常に人一倍理性的な判断と行動を旨としてきた人物だっただけに、この身の内心の驚きにはひとかたならぬものがあった。直ちに私はその知人を宥めにかかった。

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