時流遡航

《時流遡航》回想の視座から眺める現在と未来(6)(2015,05,01)

(古代の謎解明に貢献する先端光科学)
SPring―8で原子や電子の様態研究に用いられる高輝度放射光は、波長がとても短くて、太陽光の10億倍とも言われる輝度をもつ。物質を構成する原子や電子などの様子を直接に観測しようとしたら、それらのサイズと同じ程度かそれよりもずっと短い波長もち、きわめて明るい光が必要となるからだ。人間の目にはどんなに明るく見えても、X線などに比べて波長が長く輝度の低い可視光線による観測は、喩えるなら、薄明かりのもとで、1センチメートル幅の目盛しか持たない定規を使って蟻の足先の細毛の太さを測るようなものである。そのようなわけだから、波長が短く輝度が高いSPring―8の放射光は、極微な世界の事象の解析には不可欠なのである。
また、SPrin―8の放射光の一種で比較的波長の長い軟X線を用いれば、従来の手法では困難だった諸々の文化財の詳細な分析調査が可能になる。宮廻(みやさこ)教授に続いて壇上に立った高田昌樹SPring―8副センター長(現東北大学教授)は、「夢の光を創るSPring―8」という演題のもと、そんな機能と役割を持つ同センターの重要性を聴衆に向かってわかりやすく訴えかけた。
「ひとかけらの木材からわかること、知りたいこと」というテーマでの杉山淳司京都大学生存圏研究所教授の講演も興味深かった。国宝の仏像などを修理する際、長径が1ミリにも満たない微細な木屑が偶然に剥落することがある。それを大切に保管しておいてもらい、放射光を用いて構造を解析すると、どんな時代にどのような樹種でその仏像が造られたのか、さらには、それが国内産か中国産かインド産かといったようなことまでが明らかになるのだという。
古く貴重な国宝木造仏の場合などには直に手で触れることさえも憚られるくらいなので、候補の樹種が複数あったりすると、素材となっている樹木の真の樹種を鑑別することは専門家にとっても至難の業であった。だが、いまでは、放射光によるX線トモグラフィー技術を用い、極微小な木片を回転させながら撮影を行うと、きわめて解像度の高い断層映像や3次元映像が得られ、それにより樹種や材質の鑑定も容易にできるのだそうだ。素材が白檀(びゃくだん)か、栢(はく)木(ぼく)か、それともその代替の榧(がや)かといったことの鑑別のほか、その経年数や産地までもが正しく推定できるのだという。興福寺の国宝世親菩薩像が桂でできていることも、この方法によって明らかにされた。そのため、現在では、国宝級の木造仏像や木製彫像が展覧会などへの出展のため移動されるようなときには、埃にも見える微小な剥落片も慎重に採取保管されるとのことだった。
佐藤昌憲奈良文化財研究所研究員の「放射光赤外分析で探る古代の絹織物」という講話も聴衆の耳目を集めた。絹織物は古代の中国が起源だが、約1万年前の日本の縄文草創期の遺跡からも既に絹繊維が出土しており、奈良近郊の下池山古墳(3世紀)から出土した銅鏡裏の微量な付着物からも古代絹糸が発見されているという。魏志倭人伝に登場する絹にも通じる銅鏡付着のその絹と現代の絹との違いの分析なども進んでいるらしい。蛋白分子の重合体である絹は長期間埋蔵されているうちにひどく劣化し分解するため、それが絹であるかどうかを鑑別することはこれまで困難であった。
しかし、近年、SPring―8の放射光を光源とする赤外線顕微鏡を用いることにより、ごく微量の試料でも鑑別が可能になり、絹の経年劣化に伴う蛋白分子の構造変化の様子などを詳細に知ることもできるようにもなった。6世紀の藤ノ木古墳出土の飾り金具組紐には東南アジア産の植物である蘇芳(すおう)が用いられていることも判明したという。これもまた先端光科学と考古学との連携の成果である。
(中東遺跡の出土品解析で活躍)
聴衆の関心を一気に東洋から中近東へと広げ導いたのは、「X線で古代エジプトを探る」という講演をした中井泉東京理科大学理学部教授だった。この折の講演とは直接に関係はなかったが、同教授に関しては、その前年に私も執筆や編集制作に関わったSPring―8学術成果集においても、有害な重金属で汚染された土壌を特殊な植物を用いて浄化するファイトレメディエーション(植物利用の環境修復)研究分野における業績が紹介されていた。その研究においてはSPring―8の高エネルギーX線マイクロビームが用いられたからである。
実を言うと、中井教授はエジプト考古学の吉村作治早稲田大学名誉教授の共同研究者としても知られている。この日、同教授は、「物質中にはその物質の誕生時から現在に至るまでの情報が物質史として潜在している。放射光X線分析などのような高感度の分析手法を用いればそれら秘められた情報、すなわち、その物質に深く関わる時代、民族、産地、工法などを読み取ることができるから、考古学や歴史学にも貢献できる」と語り、考古学や歴史学と化学研究との連携の重要性を訴えた。もう一歩踏み込んだ言い方をすれば、見ることや計測することに立脚する考古学と、分析することを基本とする化学とが協力し合う「考古化学」とでもいったような新学術分野の構築が望まれるというわけだった。
87年以来、世界に先駆け放射光による考古資料の分析に携わってきた中井教授は、早稲田大学古代エジプト調査隊(吉村作治隊長)に参加するようになった。そして、日本から携行した放射光X線測定装置を用いてアブシール南丘陵遺跡出土のエジプト最古の透明ガラス(BC16世紀頃)の分析を行い、それらとメソポタミア産のガラス類との違いを明らかにした。また、古代エジプトの各種顔料の秘める謎やそのルーツの解明にも貢献している。その足跡はエジプトのほかシリア、トルコなどの古代遺跡発掘調査現場にも及び、出土した土器やガラス製品の成分分析を行うことを通し、それらの出自の特定に重要な役割を果たしもしてきた。中東諸国の政府関係者や遺跡調査の専門家に対し、考古学研究における日本の科学技術力の高さを実証してみせたのは中井教授の功績だと言ってよい。
 奈良での講演会から4年ほどのちのことだが、中井教授は文化財に関する国内の研究でも脚光を浴び、諸メディアでその業績が大々的に報道された。熱海のMOA美術館所蔵の尾形光琳作・国宝「紅白梅図屏風」の顔料結晶などを携行X線測定装置を駆使して分析した同教授らのチームは、現在は銀箔がすべて硫化し黒ずんだ色になってしまっている画面中央部の川面が、製作当時はキラキラと渦巻き輝いて見えていたことなどを立証し、CGによって屏風全体の再現図を制作・公開した。また専門家の間で長年続けられてきた同屏風図の彩色手法に関する論争もその一連の研究のお蔭で決着をみたのだった。

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