時流遡航

~(真の国士と呼ばれるためには)~(2012,11,01)

今年4月、石原東京都知事は米国ワシントンで講演し、「尖閣諸島は東京都が買う。日本人が日本の国土を買うことに何か文句がありますか」と述べた。また、9月には、「あんな国の属国となるくらいなら、経済なんかどうなってもいい」(9月13日付朝日)とも公言した。「愛国者」を標榜する都知事からすれば、その発言に違和感を抱く筆者のような人間は非国民の際たる者なのであろう。だが、愚かなこの身にも言い分はある。「真の国士」であると言うなら、石原氏には、米国に渡って尖閣問題を訴えるよりも、直接に中国へと出向いて政府の要人と正面から向き合い、相手の意見にも耳を傾けながら堂々とその持論を展開してもらいたかった。「南京事件はなかった」とするかねてからの同氏の主張などについても、中国側の論客と対峙しながら、舌鋒鋭くその論拠を提示してもらいたかった。

9月28日付の朝日で、昨今の扇動的な政治家や論客らの発言を、「それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ」と述べ、国民に自制を促したのは他ならぬ作家の村上春樹氏だ。村上氏は米国在住の身であるから、筆者などよりずっと「売国奴的な人間」ということにもなるだろう。同氏は、「魂の行き来する筋道を塞いでしまってはならない」とも説いているから、国境至上主義の自称「愛国者」の面々からすれば、文字通り「唾棄すべき存在」であるに違いない。

それにしても、尖閣諸島購入のために東京都が短期間で集めたとかいう13億円もの資金は、如何なる筋からの寄付金が中心だったのだろう。特別な思惑絡みのお金など含まれていなかったと信じたいが、状況的にみてその背景が気になってならない。国は20億5千万円を尖閣の所有者に支払って国有化を実現したのだそうだが、その所有者は国から毎年2800万円もの借地料支払いを受けていたにも拘らず、尖閣を担保に20億円余のお金を借りていたとの噂も耳にする。国の購入金額にはそんな事情も勘案されていたのかもしれないが、甚だすっきりしない話である。尖閣の前所有者であった人物の未亡人は、青嵐会時代の石原氏らによる島の一部購入の申し入れを毅然として断ったというから、現在に至るまでには、一般国民には計り知れない複雑な裏事情や数々の紆余曲折があったのかもしれない。

(見識に欠ける日本の政治家)

私の知人に紺野大介という人物がいる。長年中国の名門校・清華大学の招聘教授(流体力学専攻)を務め、北京大学などでは日本文化の講義も行うという、理系・文系両分野に深く通じる人物だ。日本にあっては経産省系シンクタンクのNPO法人創造支援推進機構理事長の職にあり、官僚らに対し忌憚ない発言をすることでも知られている。中国内は無論、欧米諸国の政財界や学術界の要人とも交流が深く、その国際的な見識は極めて高い。

その紺野氏は、民主党から依頼され、「中国から見た日本」というテーマで同党議員60名ほどを前に講演をしたことがあった。この講演の冒頭で同氏は、「皆さんは、現代中国の数億円以上の資産家数がどのくらうか、また、自殺願望者数がどのくらいかご存知ですか?」と問いかけた。ポカーンとしている議員らを前に、数億円以上の資産家は5000万人、一方の自殺願望者数は2500万人と伝えると皆が驚きの表情を見せたという。人口13億の中国の場合、全人口の4%に当たる大富豪者数も、またその2%を占める極度の困窮者数もそのような数値になるのである。一連の破壊行為自体は許し難いが、1万人規模の反日デモというのは13万人に1人の割合の意思表示にすぎず、それが中国全体の総意を表しているわけではない。

紺野氏がそのような問い掛けをしたのは、中国という大きな国を「中国」という言葉で一律にしか見ていない議員たちの勉強不足を指摘するためであった。中国では様々な階層に属し多様な思想を持つ人々が複雑に交錯している。そんな中国社会を相手に政治経済活動をする場合には、目的に応じてどの階層、どの組織団体、どの企業を相手にするかを事前に絞り、周到な準備をしなければならないことを自覚して欲しかったからだった。さらに、同氏が、「中国政府は公的には日本に対して厳しい発言をすることも多いが、指導者層や高級官僚らは驚くほど深く日本の社会事情や歴史文化を学んでいる。また、彼らの国際的見識は極めて高い。それに対して、日本の政治家や官僚の不勉強ぶりは目にあまるばかりで、恥ずかしいかぎりだ」と指摘をすると、一同はただ黙り込むばかりであったという。

(先哲の偉大な教えなど今何処)

我が国ではそのようなことなど全く知られていないのだが、積極的に日本の優れた点などを学ぶ観点から、清華大、北京大、吉林大などの著名大学の教官や学生が一堂に会し、武士道精神にはじまる日本の精神文化や芸術思想、日本近代史などについて真剣な共同学習や共同研究が続けられているという。その水準の高さにはジェラシーさえも覚えるほどで、このままだと、将来、日本人は中国人に武士道の精神について教えを請うことになってしまいかねないと、紺野氏は日本の現状を憂い嘆き、心から危惧していた。

誤解のないように一言断っておくが、紺野氏は決して中国一辺倒の人物ではない。それどころか、橋本左内所縁の系譜に属し、伝統的日本文化や日本近代思想にも精通する生粋の日本人である。東大で工学博士の学位を得たあとモスクワ大学数理統計研究所に留学、さらにハーバード大学・ビジネススクールの経営戦略コースでMBAを取得、セイコー電子工業取締役研究開発本部長をも務めたことのある多彩なキャリアの持ち主だ。そんな同氏の特筆すべき業績の一つは、橋本佐内の「啓発録」と吉田松陰の「留魂録」とを自ら英訳・出版し、日本近代思想を代表するそれら二人の人物の偉業を世界に知らしめたことである。「Treatise on Enlightenment」と「Soulful Minute」というタイトルの両著は欧米諸国や中国をはじめとするアジア諸国の知識人らに大きな感銘を与えるところとなった。現代日本の政治家で、夭折した橋本佐内の名著「啓発録」や、真の国士・吉田松陰が処刑直前に遺した憂国の絶筆「留魂録」を読んだことのある者がいったいどれだけいるだろう。日本の精神文化の重要性をもっともらしく訴えかける似非国士政治家たちの声が空々しく聞こえてならないのは私だけであろうか。視聴率や出版物の販売部数優先の両国メディアは、ここぞとばかりに一面的な報道で国民感情を煽り立てる。たとえ国賊と罵倒されようが、ここは冷静な視点に立つことが肝要だと思うのだ。

カテゴリー 時流遡航. Bookmark the permalink.