時流遡航

《時流遡航》電脳社会回想録~その光と翳(11)(2013,09,15)

初期の時代のNIFTY-Serveには、10チャンネル分のチャットコーナーが設けられていたが、その中の第7チャンネル、通称「チャンネル・セブン」は知る人ぞ知る名物チャットコーナーであった。もちろん誰でも気軽に参加できるコーナーだったのだが、遊び心溢れる大阪の古参メンバーらの発案によって、ある時からそこでの会話は大阪弁か英語に限られるという珍妙なルールが設けられたのである。大阪弁に近い関西弁の類は許容範囲として認められることになったが、もちろん標準語は禁止だった。その結果、そのチャットコーナーでは、大阪弁をはじめとする関西弁と英語とが交錯する怪しげな会話が飛び交い、それらが複雑怪奇に絡み合うという世にも不思議な光景が展開されることになった。

(知的で珍妙な会話が常時展開)

大阪弁もどきの変な言い回しを用いたりすると「ソラ、アカヘンワ」と指摘され、標準的な大阪弁(そんなものが存在するのかどうかさえ疑わしい話ではあったが)を使うよう指導されたものである。私などはそこでずいぶんと大阪弁のトレーニングを積むことができた。大阪弁をはじめとする関西系の言葉は短くて歯切れがよく、表現力も豊かだから、独特のテンポとリズムのよさを要求されるチャットにはとても適していたように思われた。相当に辛辣なことを言っても言われても、後味の悪さが残らないというのもその利点の一つであった。

英語の使い手のほうもなかなかの達人揃いで、そこで繰り広げられる英会話などはちょっとしたものでもあった。時にはスラング英語のほか、ドイツ語やフランス語などの使い手が割り込んできたりして、チャットの場がパニック状態になったりもした。その頃のアメリカの大手通信ネット、Compu-serve経由で欧米人がそのチャットに加わってくるようなこともしばしば起こった。いずれにしろ、大阪弁や諸々の関西弁に英語、そしてたまにはドイツ語やフランス語がモニターに入り乱れて表示され、しかも内容的には機知に富んだ洒落た会話が繰り広げられていたから、実際それはなかなかの見物ではあった。うっかりして標準語などを使おうものなら、すぐさま、「ソレ、ナンヤネン、ワテ、ソンナコトバ、ワカラヘンワ!」と冷たくあしらわれたものである。

当然の流れとして、このコーナーに集まるメンバーはユニークな人物が多く、ユーモアとウィットとアイロニイに富んだ彼らの会話の切れ味は絶妙なことこのうえなかった。常連メンバーだけでも二、三十名はいたのではないかと思う。チャットの場では自分の本当の姿をカモフラージュし、素知らぬ顔で皆それぞれに勝手気ままに振舞っていたが、ほとんどの者は大学や大企業の研究者らをはじめとする何らかの専門領域のスペシャリストであった。AJのハンドルネームで登場し、それからほどなくアサヒネットの創設に携わった当時の朝日ジャーナルのデスクで、のちに朝日新聞論説委員になった人物などもその一員だった。当時は東海大学の助教授で、のちに国会議員に転身した人物などもあった。前回紹介した乃南アサさんや土佐尚子さんなどもそのチャットによく顔を出していたものだ。

短くてしかも鋭い切れ味の言葉こそがチャットの生命だという点は今も昔も変わりがない。だからチャットにしばらくは嵌っていると、その世界独特の言語感覚や表現法が身についてくる。そうなってくるとへんに自信もついてきて、気の合う仲間や、これはという魅力的な相手を向こうに、差しで言葉のバトルを繰り広げることにもなっていった。私の場合、深夜に出没する時間帯がたまたま同じだったということもあって、当時、「仙人」というハンドルネームで登場していた大阪府池田市在住の闊達なことこのうえない人物や、「丁(てい)」というハンドルネームでチャット界に旋風を巻き起こしていた東大阪在住の人物らと、いつ果てるともしれない珍妙な言葉合戦を展開したものである。あとでわかったことなのだが、仙人さんはドイツの留学経験も長い犯罪学の専門家で、関西のある大学の教授だった。また、いっぽうの丁さんのほうは大阪の有名な大病院勤務の薬学者で、薬学フォーラムの統括責任者でもあった。

(キャラグラ交信の先導試行も)

我々ネットマニアたちは、当時から文字や記号を組み合わせてつくったキャラグラ(character-graphics、一種の絵文字)を通信文に適当に交えて使っていた。通常のチャットで飽き足らなくなると、多数のキャラグラや判じ文字などを創出し、それだけを用いてどのくらい会話ができるかを実験してみたりもした。いまでは若者たちがiモードシステムを介して様々な絵文字や判じ文字によるユニークなコミュニケーションに熱中しているが、既にいい歳になっていた我々も、当時のチャットを通してその先導的試行みたいなことをやっていたわけである。通常のチャットのときなども、私自身は「stranger」というハンドルネームに添えて「 (@L@)」という専用のロゴマークを用いていた。

当時の通信能力の範囲内でのことだから、キャラグラといっても、(^L^)、(*|~)(>-<)、(*-*)、(^H^)、などといったような初歩的なものを百個ほどつくってそれぞれに意味をもたせ、それらを並べて交信を楽しんでいた程度ではあったが、それでも知的遊びとしては結構刺激的で面白かった。判じ文字にいたっては、「毛凸毛→毛凹毛=〇∪×?」といったような「ナンカイナ?」と首を傾げたくなるような難解な(?)シロモノまでを数々案出し、喝采やら顰蹙やらを買ったものである。それらのなかの幾つかのものは、あっという間に通信仲間のチャット用語として広まっていった。まだメンバー数も限られた通信空間においてのことだったとはいえ、新語の誕生に関わり、しかもそれらが急速に流行していく様子を自室に居ながら眺めることができたわけだから、ある意味でこれほどに面白いことはなかった。アルファベットを眺めているうちに閃いた、「HをこえてIに!(エッチをこえて愛に!)」という造語などは、ある宣伝のキャッチコピーにまで転用されたりもした。そんなわけだから、現代の若者たちがSNSに夢中になる気持ちも十分に理解できる。

先にパソコン通信ならではの男女のミスマッチについて述べたが、逆にパソコン通信を介して出遇い、交際を深めてめでたく結婚した事例も相当数にのぼった。実際に私が知るかぎりでもその頃に十組以上のカップルが誕生している。ネットでの出遇いを相互の専門研究やビジネス活動に活かし、異業種交流などと称して新たな仕事の展開へとつなげる者もずいぶんとあった。私自身もネットで出遇った若い人々のために仕事上の便宜を図ってあげたり、何かと相談に乗ったりアドバイスをしてあげたりしたことも少なくない。

カテゴリー 時流遡航. Bookmark the permalink.