時流遡航

《時流遡航》哲学の脇道遊行記――その道筋概観(1)(2018,01,01)

(脇道散策の動機と若き日の哲学的挫折)
 後期高齢者の身となった今、認知症罹患者のリスト入りを少しでも先延ばしにしたいという意図などもはたらき、自ら進んで脳細胞活性化のトレーニングに挑んでみようとかと考えるようになりました。そしてそんななかでふと思い立ったのが、哲学の世界の脇道をふらふらと彷徨(さまよ)い歩きつつ、錆びつきかけた頭を少しでも使うようにしてみたらどうだろうということなのでした。
京都の東山の山麓伝いには「哲学の道」と呼ばれる静かな散策路があるのですが、遠い昔の学生時代、その地の文化と歴史に憧れて京都の街々を訪ね回った折などには、柄にもなくその小道を辿ったこともありました。哲学の本道などにはおよそ無縁なこの身ゆえに、大哲学者の西田幾多郎らが深い思索に耽りながら踏みしめ歩いたとかいうその「哲学の道」を散策する資格などあろうはずもなかったのです。ただ、そこは若気の至りとでも言うべきだったのでしょうか、身の程も弁えず先哲の真似事をしながら、恰好をつけてその一帯の風情を楽しんだというわけなのです。
それから半世紀以上を経たいまとなっても、本来の意味で「哲学の道」を巡り歩く能力や資格などまるで持ち合わせていないのですが、その一方で「哲学の脇道」くらいなら気ままに遊行することが許されるのではないかとは思うようになりました。換言すれば、「哲学の道」を「徹楽の道」にまで勝手に格下げし貶めたうえで、そこを気楽に歩き回ろうという見え透いた魂胆なのです。
 哲学、すなわち「philosophy」という言葉の原意は「智を愛すること」なのだそうです。もしそうだとすれば、たとえ叡智に欠ける私のような人間であっても、いまなお幾らかなりとも智に憧れを抱いているかぎりは、たとえ遠巻きではあったにしてもその世界の脇道くらいは勝手に散策することを許されてもよいでしょう。その適否のほどはともかくとして、当面はそう開き直ってしまうことにした次第なのです。
私がまだ学生だった時代には、一般教養課程の中に必修として哲学の科目が組み込まれていたものですし、そうでない場合でも重要選択科目のひとつとしてその教科が設定されていたものでした。ところが、近年はほとんどの大学の教養課程から哲学という教科が姿を消しかけているようなのです。いささか心ある年配の教育者らが哲学の重要さを訴えかけようとすると、学生らから「哲学って何ですか」とか、「哲学の本ってどんなものがあるんですか」とか、さらには「その教科って何の役に立つのですか」とか訊ねられる有り様だという話も耳にしています。
先日のことですが、昔の教え子でいまは組織学会の重鎮となっている大学院教授が、「この歳になってあらためて教養というものの大切さを痛感させられています。こんな時代だからこそ若い大学生たちに哲学のような学問を学ばせる必要があるはずなのですが、今ではもうその種の学問領域についてわかりやすくかつ興味深く講義できるような教員そのものがいなくなりつつある状況なのです」と嘆いていました。その言葉に象徴されるように、今や日本は哲学軽視どころか哲学無用の時代へと突入してしまったようなのです。
 そんな時流の直中にあっては、今更哲学の脇道に遊ぶなど無意味ではないかとお叱りを買う恐れもありはするのですが、不束なこの身に免じてその愚行のほどをご容赦願えれば幸いです。この遊行の旅路が一段落するまでどのくらいの期間を要するかは実際に脇道に分け入ってみないとわかりません。ただ、たとえその愚考の旅路に折々辟易されるようなことがあったとしても、その一方で何かしらの意義を少しでも共有していただけるような配慮は極力心掛けるつもりですので、何卒宜しくお付き合いください。
(哲学の世界に関心を抱くも)
 私が学生だった頃までは「デカンショ」という言葉がまだ生きていました。それは近代西洋哲学界の象徴的存在とも言うべき、デカルト、カント、ショウペンハウアーら3人の名前を順に並べて短縮したもので、哲学の世界に触れたいと思うならまずはそれらの人物の著作を読むべきだと暗に示唆する役割を持っていました。大学に入り立ての私は、たまたま耳にしたその言葉に触発され、まずはデカルトの「方法序説」の翻訳の文庫版を手にしてみました。そして、「われ思う、故に我あり」という有名な言葉を吐き、それを自身の哲学の前提基盤として物心二元論を展開するに至った彼の思想のさわりをちょっとだけ齧ってみたのです。片田舎育ちで言語力と理解力不足の学生の身であったゆえ、その内容を十分に把握できたわけではないのですが、そんなに厚い本ではなかったこともあってなんとか読み通すことはできました。そうすることができたのは、デカルトが数学者でもあり、当時の私自身の専攻と重なるところが多々あったからかもしれません。
 いい気になった私が次に挑戦したのは、カントの「純粋理性批判」でした。いまでこそこの著作には様々な優れた訳本があり、分かり易い解説本も数多く出版されているのですが、当時は岩波文庫の訳本くらいしか手に入りませんでした。その著作が「実践理性批判」と並ぶカントの主著であることさえ自覚しないまま無謀にもそれに挑んだ私は、冒頭部をちょっと読んだだけで頭が痛くなり挫折してしまったのです。アプリオリ(先験性)だのコペルニクス的転回だのといった耳慣れない概念のほか、哲学用語なる難しい日本語表現に次々と遭遇する羽目になり、己の読解力の限界を痛感させられたからなのでした。
 こんな難解な内容を即座に理解し延々と論じてみせる哲学者というものは凄い存在であり、そんな学問領域には自分みたいな凡人などが近づくべきではない――そう自らに言い聞かせた私は、いったん哲学の勉強を断念し、その世界から遠ざかってしまったのでした。もちろん、哲学の脇道探索も何もあったものではなかったのです。
 そんな私が散々遠回りをした末に、再び哲学の領域に関心を持つようになったのは、深い挫折を味わってから数年後のことでした。数理科学を専攻していたこともあって、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルの共同執筆による論著「数学原理」に関心を抱くようになり、その結果、科学研究の根底を成す基礎論理学と哲学の領域との非分離性に気づかされたことが一因でした。いまひとつの要因としては、必要に迫られ、幾分かは語学力が向上したことにより、曲がりなりにも原書で哲学書を読むことができるようになったこともありました。その時点で初めて、私は、一部の西洋哲学書の日本語訳には大きな問題があり、邦訳の哲学書の難解さはそのあたりの事情に起因しているらしいことに気づかされたようなわけでした。

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