時流遡航

《急展開するIT社会の未来を思う②》(2016,04,15)

(AIに人間が一勝した意味は)
 グーグル社製の人工知能「アルファ碁」とプロ棋士イ・セドル9段との対戦は、4勝1敗でアルファ碁に軍配が上がった。ところでこの対戦、会場に置かれた1台のコンピュータのみが駆動してイ・セドル9段を破ったように思っている人も少なくないかもしれないが、実際はそんな単純な話ではない。人体に譬えて言うならば、会場で操作されていたコンピュータは「アルファ碁」の顔の部分に過ぎないのであって、脳、心臓、肺、肝臓、腸、四股などのような他の人体の重要部分は直接には見えないところに存在しているのだ。会場のコンピュータは無線回線でクラウド(群)と呼ばれる多数の超高性能コンピュータと相互に接続し合っており、囲碁の対戦中には見えないところでそれらが一斉にフル稼働しているのである。要するに人工知能のアルファ碁とはそれら一群のコンピュータのネットワークによって構成されている特殊なシステムだと考えてもらえばよい。人脳を構成する個々の神経細胞ニューロンとそれを接続するシナプスとの関係にも類似しているのだ。
 日本、韓国、中国を中心とする極東地域起源のものとされる囲碁に関しては、当然、国内にもプロ棋士と互角に対戦できる人工知能の開発を目指している研究者があった。そんな人達には、日本がその研究の最先端を走っているとの自負もあっただろうから、欧米生まれのアルファ碁に先を越された衝撃は大きく、忸怩たる思いに駆られもしたに違いない。日本の人工知能学会の現会長を務める松原仁公立はこだて未来大学教授の先輩で、現在、同大学学長の要職にある中島秀之氏は、東大院生時代の一時期、囲碁のできるコンピュータの研究開発にチャレンジしていたことがあった。当時、その中島氏から、「囲碁の処理は現段階では極めて難しい」という話を直接耳にしていたことを思い出す。優れたコンピュータ言語「PROLOG」の開発者として知られ、その時代IT研究の最先端を走っていた中島氏にしてそうだったことを思うと、隔世の感がしてならない。
 ところで、先の対戦でイ・セドル9段が挙げた1勝の持つ意味は如何なるものだったのだろう。その折の囲碁譜面の分析などほとんどやっていないし、アルファ碁のシステム構成にも無関係な身ゆえ、多分に的外れなことしか言えはしないが、いろいろと想像を廻らすところはなくもない。報道によれば、第4戦の中盤でイ・セドル9段が放った一手は妙手で、それによってアルファ碁が混乱を起こしてその後の応手が不自然なものになり、敗北に至ったとのことである。おそらく、イ・セドル9段は、10万局にも及ぶプロ棋士の戦いの棋譜を学習しているアルファ碁の裏をかき、プロの棋士でも放ったことのないような手を講じることで相手を戸惑わせ、その結果、貴重な一勝を挙げたのではなかろうか。
 もちろん、アルファ碁のほうは、一日おいて催された最終戦に備え、第4戦で直面したような一手に対する対応策を何万回もの自己対局と試行錯誤を超高速で繰り返しながら学習していったのだろう。そしてその結果、最終戦では、序盤優勢にも見えたイ・セドル9段の攻めにひたすら耐え抜き、じわじわと挽回して遂には勝利するに至ったと思われる。その意味では、アルファ碁サイドにすれば、第4戦の敗北はさらに棋力を高めるためにも不可欠な、極めて意義深い「反省」含みの経験だったと考えられる。
 部外者の無責任で勝手な思いなのではあるが、人間なら避けるような手を放つアルファ碁の向こうを張って、普通なら碁の初心者でも打たないようなところに次々に石を置いたなら、アルファ碁のほうがどんな反応を見せるのかは、なんとも興味深いところである。いきなり天元(碁盤の中央)や、まるで無意味な四隅の角に布石したり、大きく囲われた敵陣内の死ぬとわかりきっている地点に石を置いたりしたら、いったいどう対応するのかを見るのは、アルファ碁の能力を試すうえでの一法ではあるかもしれない。一流プロ棋士ならではの高度な手筋を無数に学習した人工知能が、赤ちゃん並みの支離滅裂な手に対してどのように応戦してくるのかは、是非とも知りたいところである。
また、高段者が初心者を相手に行うような、適当に力を抜いて戦いを進める「遊び碁」を打てるようになるかどうかにも関心がある。もしアルファ碁が一流棋士を破るのみでなく、初心者相手に「遊び碁」などを打てるようになるようなら、その知能の発達ぶりを大いに評価してやってもよい。さらに、クラウドではなく、純粋に一単体のコンピュータとしてプロ棋士との勝負に勝てるようになるなら、それはもう見上げたものである。
(人工知能執筆の星新一風SF)
 アルファ碁がプロ棋士を破ったというニュースに続いて、SF作家、星新一の作風をモデルに学習を積んだ人工知能執筆の短編小説が、「星新一文学賞」の1次審査を通過したとのニュースが流された。この研究プロジェクトは前述した松原仁教授が統括するグループにより、ここ4年ほどにわたって推進されてきている。今回の応
募作品は、4次審査まである選考の第一段階を通過しただけでまだ受賞には程遠いようだし、8割方は人間のリードに依存しての作品制作だったようだが、ともかくも人工知能が文章を綴れるようになった意味は大きい。アルファ碁と同様にこのシステムでも「ディープラーニング」の技術が一役買っているようだ。
 これまでは人間独自のものと考えらえてきた「創造」という作業に人工知能が挑み始めたのは、ディープラーニング技術が発達し、人間のもつ知識や経験を大量に習得蓄積することによって、状況に応じてそれらを自動的に組み合わせ一定水準の表現活動ができるようになったからである。蓄積情報を適宜選択結合し比較的容易に作品の自主提示が可能な作曲や描画などの領域では、人工知能による創作への試行が次々と実践されているようだ。その結果、それなりには面白い作品も誕生しているらしい。
 だが、小説のような具象と抽象が複雑に入り交じり、感覚的で多重な意味を含み持つ長文をコンピュータに創作させることは格段に難しい。長短複数の文章を意味や文脈が不自然にならないように繋いだり、劇的な展開を考えたり、味わい深いジョークや読者の心に響く悲喜交々な情感に溢れた文章を生み出したりすることは、コンピュータには今なお容易なことではない。もっとも、膨大な情報を組み合わせて大まかな小説のプロットを作成し、それらをもとにして人間側が興味深い作品を完成させるようにするならば、現段階でも人工知能には相当な働きが期待できるのではないだろうか。作品執筆のアイディアに行き詰まり苦悩する作家などにとっては、それが救いの神になることだって夢ではない。
人工知能が人間の創造能力に迫るのは、「俺は酒が大嫌いだ」という本音とは逆の表現を「俺は酒が大好きだ」という意味だと自然かつ即座に理解できるようになったときである。

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