時流遡航

《時流遡航》回想の視座から眺める現在と未来(22)(2016,01,01)

(学術成果集制作における実質的苦労の数々 )
 ごく短期間での突貫作業だったこともあって、執筆、編集、制作は困難を極めた。なにしろ、生命科学、ソフトマター、構造物性、電子物性、高圧地球科学、環境・エネルギー、さらには核物理学などの分野にわたる28事例の先端研究についての紹介と解説記事の執筆である。しかも、それぞれの分野ごとにその概要を的確に説明する文章を添付し、さらには、SPring―8の原理機能、システム構成、施設の社会的存在意義などを強くアピールする巻頭部の文章などをも執筆しなければならなかった。
 原稿執筆に際して最も苦労したのは、個々の研究成果についての紹介記事を、図版を含めてA4版2ページにぴったり収まるようにしなければならないことだった。極めて高度な研究内容のエッセンスをなるべく解りやすい表現で記述し、しかも各項目のはじめにその研究の意義を端的に伝える導入文まで添えようというのだったから、容易なはずがなかった。もちろん、それぞれの研究には難易度や重要度の差があり、解説するにあたっても、説明が容易なものとそうでないものとの違いもあった。そのため、できることなら、個々の研究内容に応じて文章の長さやページ数を増減できないものかという思いもあった。
だが、各研究者に対して公平を期すため、どの研究紹介も一律2ページに設定して行うべきだというのがSPring―8サイドの意向でもあった。確かに、成果集の記載量に違いが生じた場合、たとえ制作・編集サイドに他意はなくても、紹介記事が短めだった研究者など中には、それに対して不快感を抱き、クレームをつけたり、逆に自分の研究に対する評価が低いと意気消沈してしまったりする者も現われかねない恐れがあった。
研究者の中には極力専門用語を使いたがる人物も少なくなかった。純粋の学術専門誌なら読者はその道の専門家に限られているからそれでかまわないし、またそれが当然であろう。しかし、その学術成果集の制作目的のひとつは、一定水準の科学知識を持つか、そうではなくても科学の世界に強い関心を抱く人々に高輝度光科学の研究を広く紹介し、その意義を理解してもらうことにあった。だから、難解な専門用語はなるべく避けるようにし、その使用がやむを得ない場合には解りやすい註釈を付けるようにという方針を採った。
ところが、そんな状況のもとにあっても、専門用語やその研究者独自の表現体の使用に拘るケースも起こったりした。一応基本原稿を執筆したあと、そのデータを当該研究者に送って表現や記述内容に誤りがないかを確認してもらったのだが、専門用語を連ねないと自分の権威にかかわるとでもいうわけなのか、不自然な修正を指示されるようなこともあった。もちろん、そんな場合には我々も毅然として対応し、はっきりとこちらの意見を述べて合意点を求めた。国費を使って制作される学術成果集だったし、本来的には部外者である私や恵志泰成さんが一連のその作業に携わるように依頼されたのは、記載対象となる個々の研究を十分咀嚼したうえでそれらを解りやすく紹介するためだったからである。
 当時のSPring―8理事長執筆の挨拶前文や、学術成果集編纂委員長による後記のゲラに遠慮なく手入れしたのは私だった。そんな私の修正申し入れに対して、間に立ったSPring―8の広報室は躊躇いを見せたが、ある意味それは当然のことだったかもしれない。元エリート官僚の理事長や高名な一流大学教授の執筆文にはなるべく手入れをせずそのまま掲載し、無難にことを済ませたいというのが本音だったからである。埒があきそうになかったので、結局、私は自分で直接交渉することにし、広報室を介して理事長や編纂委員長の連絡先を確認し、電話やメールでコンタクトをとった。「ゲラを拝見しましたが、幾つかの箇所に手入れさせていただきたいと存じます。失礼は重々承知ですが、部外者の私がこの学術成果集制作に関わるようになりましたのは、ささやかながらも文章表現に勤しむ者のひとりとして、その成果集を出来るかぎりしっかりしたものに仕上げるよう協力してほしいと要請されたからです。そのため、個々の研究分野の先生方にも何かと厳しい意見を申し上げてもきました」と、率直な思いを述べた。
 幸い、こちらのそんな申し入れを理事長も編纂委員長も快く受け入れてくれた。理事長とは2度ほど細かな点について修正ゲラのやりとりをしたが、とくに問題なく決定稿が仕上がった。編纂委員長のほうは後記文の調整のみに留まらず、逆にこちらが電話をもらうかたちで全体的な内容構成や編纂委員会の指針についての見解を求められたりもした。またそんな経緯などもあって、「猛獣使い」などという大仰な綽名を頂戴することにもなった。
(再認識した言語表現の重要性)
 ともかくも、その学術成果集は予定期限ぎりぎりまでになんとか制作が終了した。正直に言うと細かな不備がまだ多々あることに気付いていたし、紙数に十分な余裕があればもっと的確で解りやすい解説もできるという思いもあった。だから制作者の私や恵志さんにしてみれば、その出来栄えはまあまあのものに過ぎなかった。ただ、この学術成果集は、SPring―8という施設がどんな研究機関であるかを諸分野の研究者や光科学に関心のある一般の人々に伝えるにはそれなりの役割を果たしてくれたようである。その後、この成果集は英語版も制作され、我々は非力な身ながらもその英語版原稿の監修もやらされる羽目になった。もしもこの学術成果集に関心がおありなら、現在再版もなされているようなのでSPring―8利用推進普及課へ直接お問い合わせ願いたい。その奥付の最後のほうの制作者のところには、我々二人の名前も肩書なしのごくささやかなかたちで記載されている。
 この一連の成果集制作過程を通じ私があらためて痛感したのは、文系理系を隔てる壁を超え、両分野をごく自然なかたちで融合したり俯瞰したりする手段としての言語表現の重要性だった。いささか極論じみてはいるかもしれないが、高輝度光科学の分野の諸研究を端的かつ明快に説明するには、それらの本質を直観的に捉える俳句や短歌の素養のようなものが要求されるのだ。昨今の日本には一種の安易なプラグマティズムが横行し、成果主義や実利主義の名のもとに哲学、文学、社会学、教育学などをはじめとする人文科学系や社会学系の学科・学部の縮小削減や統廃合が行われている。だが、基本的にはそれらは皆、言語による世界の考察や新たな文化の創造に深く関わる学問分野なのである。そもそも、人文科学や社会科学は、人間社会の諸現象を支配する法則とその機能を解明しようとする科学の総称で、社会学、経済学、政治学、法学、歴史学、文学、芸術学、教育学、言語学などの諸分野を包括している。そうだとすれば、それらの学術分野軽視の政策へと傾く政治家や官僚らは自ら真っ先にその地位や職を辞し去るべきではないか。まぜなら彼らの多くがかつて身に着けた学問は人文科学や社会科学にほかならないからである。

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