時流遡航

第24回 東日本大震災の深層を見つめて(4)(2011,10,15)

3月11日に田老集落を襲った大津波は、自然に対する現代文明の傲慢な立ち振舞いに怒りの牙を剥き、人間社会の機能の限界やその矛盾のほどをあらためて我われに見せつけた。幸い、田老では近年津波時における避難路が整備され、避難訓練も行われていたため、犠牲者の数だけはなんとか220名前後に抑えることができたという。そんな田老集落の被害状況に今一度思いを巡らせながら、次に我われが目指したのは宮古だった。

国道伝いに走る車の高度が上がるに連れて周辺の木立の緑が再び色鮮やかになり、「津波浸水想定地域・ここまで」という表示板の立つ地点を過ぎると、若緑の輝きは一段と眩くなった。5月という特別な季節柄もあったとは言え、それはなんとも場違いな光景であった。宮古市街が近づく頃になると、私は三陸海岸で一・二を争う景勝地「浄土ヶ浜」の状況がひどく気になり始めた。東日本大震災直後に「三陸の青き浄土に地獄絵図描く仏の御心や如何に」というささやかな歌を詠んだとき、松島や牡鹿半島周辺の景観と合わせてこの浄土ヶ浜一帯の美しい風景を胸中に想い浮かべていたのだから、それは当然至極なことではあった。ここまで来て浄土ヶ浜に立ち寄らずに通過するなんて有り得ない――内心でそう決断した私は、国道から左手に分岐し、浄土ヶ浜へと通じる道へとハンドルを切った。

通行止めを押して浄土ヶ浜へ

ほどなくして、浄土ヶ浜ビジターセンターやターミナルビルの傍の広い駐車場に着いたが、一帯の警備員らしい人物らと我われ二人のほかに人影はなかった。通常なら多くの観光客で賑わうビジターセンターやターミナルビルも閉鎖されており、周辺の海を巡る観光船の発着所にも立ち入ることができないようになっていた。船長の機転で辛うじて難を逃れたとかいう観光船が一隻ぽつんと係留されているのが見えたが、名高い観光地としてのかつての浄土ヶ浜の面影などもうどこにも感じられなかった。

車を降りた我われは、そこから遊歩道伝いに20分ほどのところにある浄土ヶ浜へと足を運んでみることにした。大震災以降客足が途絶えてずっと閉ったままらしい遊歩道入口のゲートを擦り抜け、急峻な階段状の脇道を下るとすぐに海辺に出た。その付近にあった浄土ヶ浜マリンパークの建物は津波によって損傷し、半ば壊れた状態のままで閉鎖放置されていた。その少し先の切り立った断崖下には磯伝いの遊歩道があって、それは浄土ヶ浜まで続いている。だが、突然、我われの行く手を阻むかたちで、「遊歩道・通行止」と朱色で大書された警告板が現れた。どうやら遊歩道一帯で崖崩れが起こっているらしかった。

浄土ヶ浜まで行くつもりなら、あとは危険覚悟で強行突破するしかない。年甲斐もなく些か不謹慎な身の我われは、自己責任のもとで前に進む道を選ぶことにした。こういう場合のルートハンティングには、幼少期に形成された独特の危険察知本能や、それに裏付けられたチャレンジングな習性が物を言う。台風の本場、鹿児島の離島育ちの私などは、子供の頃から大人に交って大嵐の直中を始めとする様々な災害現場に身を置いてきた。そんな実体験を通して培われた鋭敏な嗅覚がこんな時には大いに役立つというわけだった。

遊歩道の右足下にまで寄せ迫る潮そのものは、大津波などまるで無関係だったかのようにどこまでも青く澄みわたっていた。だが、近くの水中に目をやると、大小の白い岩の破片が無数に折り重なったり散乱したりしているのが見てとれた。この浄土ヶ浜一帯の陸部や小島の数々、さらには海底の相当部分は、純白に近い特有の輝きを持つ石英粗面岩から成っている。それら石英粗面岩の破片が異様なほど水中に散乱しているのは、明らかに地震と津波の影響によるものだった。しばらく進むと、左手断崖の岩盤のいたるところに大小無数のひびが入り、その一部が歩道一面に崩れ積もったり、岩塊ごといまにも崩落しそうになったりしている地点に出た。石英粗面岩からなる岩盤はその性質からして板状に割れやすい。あれだけの大地震と大津波に襲われた直後とあっては、そのような惨状を呈するのも当然のことだった。崖の上方に視線をやると、自生する松ノ木がどれも赤茶けた色に変わり、そのまま立ち枯れしそうな状態になっているのが見えた。それは、急峻な崖の斜面を津波がそこまで激しく駆け上った痕跡だった。当分は原状回帰など望めそうにもない荒れ果てた遊歩道を、頭上の不安定な岩盤の危険度を慎重にチェックしたり、足元の岩屑の山々を注意深く踏み越えたりしながらさらに進むと、ようやく浄土ヶ浜に着いた。

純白の岩の仏は何をか思う

眼前に広がっていたのは、私の知るそれとはまるで異なる浄土ヶ浜の情景だった。かつてそこには、純白な玉石に一面を覆われた、心洗われるほどに美しい浜辺が広がっていたものである。だが、その浜辺の石英粗面岩の玉石群は、大津波のもたらした様々な廃棄物や瓦礫、剥落したアスファルトの残滓、油類、さらには腐敗した海藻などと混じり合い、暗灰色に変り果ててしまっていた。緩やかでごく自然な傾斜をなしていた波打ち際一帯にも不格好な段差が幾重にも生じてしまい、丸く平らな小石を選んで水切りなどを楽しめたあの心安らぐ浜辺の姿はもうどこにもなかった。浜辺の少し奥にある浄土ヶ浜レストハウスも完全封鎖されていた。津波の直後には被災者の遺体や遺物なども漂着したことだろう。

ただ、なんとも皮肉なことに、そんな姿の浄土ヶ浜から眺める入江の沖一帯の光景は昔のままの美しさだった。青く煌めく入江の左手沖には、斜めから差し込む折からの夕陽をうけ荘厳なまでに白く輝きわたる岩々が見えた。海上に連なり並び立つそれら大小の岩々は、ひとつひとつが合掌して瞑黙する仏像か羅漢像のようだった。そして、それら石英粗面岩の奇岩群に守り囲まれた小さな入江の奥に浄土ヶ浜は位置しているのだった。以前なら、西陽に眩しく映える天然の岩仏の一群に心の中で手を合わせながら、白い玉石からなる浜辺に背中を委ねて大の字になると、筆舌し難い快感が全身を貫き走ったものである。

だが、沖に居並ぶこの日の岩仏たちは、「我われ仏は人間の生を慈悲の眼をもってどこまでも温かく見守り続けることはできます。でも直接に手助けすることはできません。生きるのはあくまで人間のあなた方自身なのですから……。ただ、浄土ヶ浜の景観そのものは、時が経てばいずれまた元の姿に戻ることでしょう」と囁きかけているかのようであった。一刻も早く浄土ヶ浜周辺の景観が復元されることを切に願いながら駐車場へと引き返す途中、小さな岬の先端にある小高い展望台に立ち寄ったが、そこから遠望する浄土ヶ浜一帯の夕景は大震災など別世界のことであったかのように美しく輝き冴えわたっていた。

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