時流遡航

《時流遡航》夢想愚考――我がこころの旅路(1)(2016,10,15)

(真紅の夕陽に托すささやかな思い)
 今となっては世の片隅にあって愚にもつかない戯言(たわごと)を綴りながら静かに余生を過ごすしかないこの身なのだが、あらためておのれの愚かな生の旅路を顧みるにつけても、その道程は夢とも幻ともつかない儚く虚しい日々の繰り返しだったように思われてくる。だから、そんな私が今更何を書き連ねてみたところで、絶え間なく流転する無常な現世にとっては何の足しにもなりはしない。だが、それでも、「一隅に咲く、これ野の花の心」といった心意気くらいはなんとか守り通しながら、たとえ人目につくことがなかろうとも、力の続くかぎり、せめてもの小さな命の花くらいは咲かせ続けていきたいものだと思う。
 今回から、これまでとはいささか異なる視点と思索に身を委ねつつ、紀行的な表現体を用いて筆を執らせてもらうことになったので、その手始めとして、かねがね私が夕陽の輝きに込めてきた思いのたけを少しばかり述べさせていただきたい。

還りなきひと日の生の戯れを
茜と変へて陽は往きにけり
(静岡県御前崎にて詠む)

 晴天に恵まれたある秋の夕刻のこと、ふらりと訪ねた御前崎でたまたま目にした夕陽の輝きは、心の奥底にまで沁み渡るほどに感動的なものであった。幼い頃から夕陽を眺めるのが好きだった私は、夕陽ハンターと自称してもよいくらいに様々な地方を巡り歩き、壮絶華麗な落暉(らっき)の舞に切なる思いを注ぎ傾けてきた。ただ、そんな数々の華麗な夕陽との対峙のなかにあっても、この日の御前崎の落日の煌めきはとりわけ心に残るものであった。私のすぐ近くに立っていた老人などは、まるで天意に導かれでもしたかのように沈みゆく太陽に向かってしばし瞑目合掌し、じっと無言の祈りを捧げていたほどである。
 また、その老人の脇にあってひたすら息を呑みながらその場に立ち尽くす私の胸中には、自省の一首とでもいうべき拙い短歌が自然と湧き上がってきたのだった。今にして思えば、この身は、還ることなど二度とはないとわかりきっているその日その日を愚かな戯れ事に費やし、はっと気がついたときにはもう太陽は西空の彼方へと姿を隠そうとしているという日常生活を性懲りもなく繰り返してきた。しかも、そのような日々の連なりからなる私の人生そのものがすでに黄昏時を迎えようとしているというわけだった。
 人間というものは厄介なもので、追い込まれないと真剣になって物事に立ち向かおうとはしないきらいがある。人生の黄昏時ともなると知力も体力も衰え、どうジタバタしてみても最早有意義な仕事や行為などできるわけもないのだが、相も変わらず切迫時につきものの悪足掻きだけはしたくなる。各種の生物が絶命寸前によく見せる、自らを生み出した超越的存在に対する必死の哀訴か抵抗みたいなものが我々人間の末期にも見受けられるということなのだろう。万に一つでもそんな断末魔のエネルギーから生まれ出る命の証のようなものが何かしらあるとするならば、それは僥倖というほかない。
(悲しみが深いほど命は燃える)
 もうひとつの忘れ難い夕景を目にしたのは、西方遥かに日本海の水平線を望む能登半島の海辺を訪ねていたときのことである。その折もまた、激しく胸を打つその情景に誘(いざな)われるようにして思わず我流の素人短歌を詠み呟いたものだった。

悲しみも灯る命のあればとて
夕冴えわたる能登の海うみ
 (能登金剛巌門にて詠む)

 能登半島西海岸の福浦から富来を経て関野鼻に至る延長三十キロの豪壮な海食崖は、能登金剛と呼ばれている。日本海の怒涛によって食み刻まれた断崖が険しく聳え立ち、一帯の海中には奇岩怪石の類もすくなくない。松本清張の名作「ゼロの焦点」に登場することで有名な巌門(がんもん)やヤセの断崖はこの能登金剛の中心部に位置している。そして、夕陽の美しいその厳門一帯は、金剛海岸のなかでも一、二の景勝地として名高い。厳門という風変わりな地名は、水面から天井までの高さが十五メートル、長さが六十メートルの貫通洞門をもつ巨大な奇岩にちなんでいる。断崖下の磯辺近くに聳え立つその巨岩の迫力は圧倒的で、まさに「巌門」と呼ぶにふさわしい。
 この能登金剛の巌門にやって来たのは、冬も間近なうら寂しい晩秋の夕暮れのことであった。独り磯辺に降り立ってみると、遥かな水平線に向かって真紅の夕陽が落ち傾いていくところだった。風は止まり、眼前に広がる西能登の海面はどこまでも凪(な)ぎわたっていて、激しく岩を食む冬の日本海の荒波からは想像できないほどの静けさに包まれていた。西の空は荘厳な茜色に染まり、赤々と燃え立つ太陽が水平線に近づくにつれて、海面には黄金色や赤紫色の光の帯が煌き走った。ほどなく夕陽が水平線の彼方に姿を隠すと、西方の天空にしばし黄道光が走り、その神秘的な光が消えていくに伴い、空も海も息を呑むような黄昏色に覆われた。刻々と彩りを変えていく空も海もそして黄昏の色も、さらにはそのあとに続く紫紺の空での星々の瞬きも、皆が皆、言葉に余るほどに美しかった。私の立つ磯辺の岩を絶え間なく洗う夕潮の囁きも、深い哀調を秘め湛えて切々と胸に迫り来るのだった。
 悲しいまでに夕冴えわたるその能登の海を、私は迫る宵闇などものともせず、いつまでも独り佇み見つめ続けた。そして、この「悲しさ」や「寂しさ」はいったい何処からくるものなのだろうかと考えた。自然の景観そのものは本来無心なものである。それを「美しい」とか「悲しい」とか「寂しい」とか感じるのは自然に対峙する人間の心があるからにほかならない。この大宇宙の滴(しずく)とも言うべき私という人間の体内に灯る命の火があるからに違いない。たとえそれが深い絶望につながる悲しみであったとしても、いや、むしろ、そんな悲しみであればあるほどに、そう感じる人の体内の奥底では命の火が激しく燃え盛っているに相違ない。深い悲しみこそが命の灯火(ともしび)の光源であるのなら、「悲しみ」や「寂しさ」を多く背負う人間ほど今を激しく生きているのだと言えないこともない。「そんな人間こそほんとうは人一倍命を輝かせて生きているんだよ」という無言の励ましの言葉を、この夕冴えわたる晩秋の能登の海うみは私に贈ってくれているように思われてならなかった。

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