時流遡航

《時流遡航285》日々諸事遊考 (45)(2022,09,01)

(老いた身が小ドライブ旅行に托す想い――③)
 翌日は大脇君旧知の女性が日帰りで来訪するということで、午前中に伊豆高原駅まで彼女を出迎えに行くことになりました。そこで、私のほうは彼の運転する車の助手席に乗り込み、周辺の風物を気軽に楽しみながら同行することにしたのです。たまには他人の運転する車に乗って気ままにくつろぐのも悪くないと思いながら、前日同様にどっかりと助手席に腰を下ろしたのですが、実際それはなかなかに快適なものではありました。
深い谷合いの道を辿って一般道へと下る途中、頭上遥かな左急斜面に、長さ100mにも及びそうなループ構造の巨大な鉄橋が架かっているのが目にとまりました。ただ、周辺の別荘地の地理的配置ぶりからしても、また、頑強な構造を具え持つものの何処か不自然な雰囲気の漂うその橋の様相からしても、現在それが機能していないのは明らかでした。
大脇君の話によると、その鉄橋は、新たな地域開発を狙って随分以前に設置が試みられたものらしいのですが、バブル経済の崩壊もあって資金的にも事業継続が不可能となり、未開通のまま放置される事態に陥ってしまったのだとのことでした。その建設を進めた関係団体が、不必要になったその橋を解体処理するのに必要な経費を捻出することもできなくなり、そのまま放置され現在に至ってしまっているそうなのです。橋脚の立つ地盤共々老朽化が進み崩落する危険性もあるらしいのですが、そうなってしまった場合、いったい誰がどう責任を取るのかは不明だとの話でもありました。バブル崩壊の経済的余波が、鉄橋放置というかたちをとってこんなところにまで及んでいるとは驚きでもありました。
伊豆半島一帯を訪ねる折は車で来るのを常としていたので、日中に伊豆高原駅の広い構内の奥深くにまで立ち入り、じっくりとその雰囲気を味わうのは初めてのことでした。この駅は隣の城ヶ崎海岸駅と並んで、大室山、小室山、天城高原、城ヶ崎海岸など、一帯の観光地へのアクセスポイントとなっているだけのことはあって、なかなかに風情を湛えた造りになっていました。そして、そんな風情に浸るうちに、たまには電車でこの地を訪ねるのも悪くはないな――そもそも運転免許を返上してしまったら、そうするほかに方法はなくなってしまうわけだしなあ――などという思いが湧き上がってもきたのでした。
 伊豆高原駅で出迎えた女性は、大脇君とは仕事を通じて長年の親交があるとのことでしたが、50歳代半ばだというその年齢よりはずっと若々しく見える、とても知的な感じの人物でした。ご本人からあとで直接伺ったところによると、中国東北部の都市出身なのだそうですが、当時の中国でそれなりの立場にあった父親の勧めで、弟共々ごく若いうちに海外移住し、彼女は日本で、また弟はドイツで暮らすようになったとのことでした。当時の厳しい中国の政治経済状況のもとでは、できることなら発展著しい日本やドイツに出国し、そこで学び、先々そこで暮らすようにしたほうがよいとの判断からだったらしいのです。
その結果、彼女はやがて日本国籍を取得して日本に帰化し、弟のほうはドイツ国籍を得てドイツに帰化したというのです。現代中国の著しい発展など当時は予想もしていなかったとかで、今更また中国籍に戻りたいと望んでみたところで、もう中国側が認めてはくれないのだと苦笑しながら、流暢な日本語で一連の経緯を語ってもくれました。それでも彼女は、「河合ハナ」という便宜的日本人名を名乗りながら日本でしっかり自立した暮らしを営むことに成功し、また、弟一家もドイツで安定した生活を送ることができるようになったとのことで、現在は頻繁に相互間の交流をもつようにもしているとの話でした。もちろん、当時の国際状況からすると、中国という本来の母国をあとにして海外に飛び出し、言語も文化もまるで異なる他国に足場を作って生き抜くという選択は、我々が想像する以上に大変なことだったでしょう。見るからに知的で気丈な彼女のことゆえ、現在の日本での生活について不満を漏らすようなことは一切ありませんでしたが、談話を続けるなかで、一瞬、中国の故郷を懐かしむような言葉を発したのを私は見逃しませんでした。もしかしたら、それはこちらの想い過ごしだったのかもしれませんけれども……。
(池田20世紀美術館に足を運ぶ)
 伊豆高原駅をあとにした我々は、大脇君が懇意にしているという蕎麦屋「蕎麦仙」に立ち寄って早目の昼食を取ることにしました。かなり内陸部にあるその小ぶりな蕎麦屋の女将は、かつてNHKの料理番組などにも出演していた著名人なのだそうで、我々が入店して間もなく、店外では来客が順番待ちをする状態になったようでした。コロナウイルス感染防止のため、お客はスマホを介しセットメニューのみを注文できるという特別システムになっており、些か戸惑いもしましたが、蕎麦の味そのものはなかなかのものでした。
 そのあと大脇君は我々を一碧湖の近くにある池田20世紀美術館に案内してくれました。同館の存在は以前から知っていたのですが、実際に足を運ぶのは初めてのことでした。彫刻家井上武吉の設計になる総ステンレス張り外壁構造のモダンな美術館は、1975年、実業家の池田英一氏によって創立されたのだそうです。館内には20世紀に制作された、人間をテーマとする絵画彫刻類が1400点ほど収蔵されているとのことでした。
中に入ってみると、ゆったりとした空間が広がっており、回廊をも兼ねた独特の設計の展示室の全壁面には、世界的に名高い20世紀の画家たちの大作がずらりと展示されていました。ルノワール、ボナール、ピカソ、マティス、レジエ、シャガール、ウォーホル、ミロ、ダリ、デ・クーニングといった超一流の画家らの作品をこの地で鑑賞できるとは想ってもいなかった身にしてみれば感動もひとしおだったのです。ハナさんなどは、心中深くまで魅了されたような表情を浮かべながら、幾つかの作品に見入ったりしていたものです。その様子は図らずも彼女の藝術的感性の高さを物語ってもいるようでした。
入館者も極めて少ないため、自分のペースで諸々の名作品と対峙できるのも、この美術館の素晴らしさだと言ってよいでしょう。私自身もピカソやルノワールらの作品を前にして絵の中の人物らとじっくり心の対話をしたい気分になりましたが、この日は時間の制約もあったことゆえ、後日あらためて独りで訪ねてみることにしようと思ったような次第でした。展示作品には絵画類のほか、著名な彫刻家の彫像作品類や、サグラダ・ファミリアで知られる若き日のガウディの構想になる立体オブジェなども含まれており、十分に時間をかければ様々な発見にも恵まれそうでした。
 美術館を出たあと、海を見たいというハナさんの要望に添うために、青々と湖面の輝く一碧湖脇を通り抜けた車は、入江に架かる吊橋などで有名な城ヶ崎海岸へと向かいました。青潮が岩を食む光景を久々に目にすることができるのは、大きな喜びでもありました。

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