(伝馬船を漕ぎ楽しんだ甑島での体験が基盤となって)
今では甑島においてさえも目にすることがなくなった手漕ぎの櫓船ですが、私が中学生の頃までは、まだ多数の櫓船が日常的に用いられていました。なかでも、荒天時の海でもないかぎり、独りでも自由に漕ぎまわることのできた小型の伝馬船は、子どもらには極めて魅力的な存在でした。ちなみに伝馬船とは、昔、沖の大船と波止場や浜辺との間、あるいは大船同士の間などにおける連絡や乗員の移動、少量の積荷の移送などのために用いられた手漕ぎの木造小型船のことです。もちろん、伝馬船を所有しているのは集落内のごく限られた人々でしたが、持ち主が使用中でもない場合、波止場に係留された伝馬船を、子どもらが海上でのちょっとした遊びや簡単な海釣りなどのために用いることは許されていました。
当然のことですが、自己責任のもとで係留綱を解き、櫓の一端を水中に入れて波止場付近の海上に漕ぎ出すわけで、再び波止場に戻ったらまたその係留綱の端をしっかりと固定し、櫓を伝馬船上に引き揚げるというのは子どもらが自然に身につける暗黙のルールでした。そんなことが可能だったのは、大らかな一面を具え持つ村落共同体のよしみでもあったのでしょう、
よほどのことがないかぎり、伝馬船の所有者をはじめとする村の大人たちがそんな子どもらの行動を咎めるようなことはありませんでした。何事においても過剰なまでに絶対的な安全思想や完璧な安全対策、さらには社会的責任が要求される昨今の日本などにおいては、とても考えられないような状況下にあったわけなのですが、意外なことに、私の記憶に残るかぎり事故の類はまったくと言ってよいほど起こってはいませんでした。
そんな環境のもとで子ども仲間や学校の上級生ら、そしてたまには大人たちと一緒に伝馬船に乗って幾度となく海上に漕ぎ出すうちに自然と操櫓の方法を身につけ、船を係留するための舫(もやい)綱(づな)の結び方や解き方を覚え、風や潮流の動きを的確に読み取りそれに対処する知識・感性を磨き、さらには、いざという時の対応法などをとくに意識するわけでもなく習得していくことになりました。私自身もそうでしたが、中学生ともなると操櫓などは手慣れたものとなり、波の静かな月夜の晩などには折あるごとに伝馬船に乗って海上に漕ぎ出し、明るい月光に照らし出される海面や海中の様子を眺め楽しんだり、時々燐光を発しながら水中を蠢く魚類の様子を観察したりしたものでした。
また、そんな夜の伝馬船上で自らに何事かを語り聴かせるようにして吹くハーモニカの音色などは、我流の演奏技法の域を出ないものであったとはいえ、想い出深いものともなっていきました。そんなささやかな体験を通して、音楽というものが自らを取り巻く自然環境や生活環境、さらには胸中の思いと深く結び付き共鳴し合うものだということを体感もしたものです。貧しい村のことゆえ、ハーモニカなどのようなシンプルな楽器でさえも容易には手にすることなどできなかったのですが、幸い、かつて都会暮らしをしていた母親が島まで持参したものが1本だけあったので、それを大切に使ったようなわけでした。そして、そこで何時しか身につけ、成長するなかで幾分かは磨きのかかったハーモニカの演奏技術は、のちのち遭遇することになる様々な場面で随分と役立ちもしたものでした。
(漕櫓の生み出す推進力の原理)
現在では潮来や矢切渡のような歴史的名所にでも行かなければ見られなくなった櫓漕ぎの船ですが、その櫓という船具は、現代科学の視点に立って見直してみると極めて合理的に出来ているのです。もちろん、櫓を考案した昔の人々は直感と経験に基づく試行錯誤を繰り返しつつ、それが理想的な機能を持つように仕上げていったわけで、現代物理学の知識に基づきながらその製作を行ったわけではありません。
私自身、その機能の力学的な素晴らしさに気づかされ感銘を覚えたのは、高校時代に物理学の基礎知識を習得したあとのことでした。ただ、子どもの頃から慣れ親しんでいた櫓というもの機能が力学の知識と結びついたことにより、幾分なりとも物理学に興味を抱くことになったことだけは確かでした。
樫のような堅牢な木材を用いて作られる櫓は、「櫓腕」と呼ばれる漕ぎ手の両腕の力が直接加わる短い部分と「櫓羽」と呼ばれる水中において作動する長い部分とが組み合わされた構造になっています。そしてその櫓腕と櫓羽との継ぎ目に近い部分には小さくて深めの丸い穴がひとつ開いていて、それを船の艫(とも)の側端に設置されている木製あるいは金属製の凸器「櫓杭」に嵌め込んで用います。操櫓の際は櫓杭を支点にして櫓椀を押すときは櫓羽が内側方向に、櫓椀を引くときは櫓羽が外側方向に動くのですが、押し引きする際のどちらの場合にも推進力が生じる櫓は、機能的な面や流体力学的な見地からしても櫂(オール)にはないような利点を具え持っているのです。機能的にみて櫓が櫂よりも優れているのは、後ろ向きになって漕ぐ櫂の場合と違って、櫓の漕ぎ手は前方を見ながら船を進めることができるという点です。また、水を後方に押し出す力の直接的な反動で船を進める櫂ほどには大きな漕力を必要としないばかりか、軽くゆっくり片手で漕いだり、場合によっては船縁に腰を下ろした状態で左右や前方を自由に見回したりしながらのんびりと漕ぎ進むこともできるのです。櫓の押し引きの力加減を調整することによる自在な方向転換も容易です。
ところで、櫓を漕ぐことによって生じる船の推進力はどのようにしてもたらされるのでしょうか。エンジンで水中のスクリューを回転させて大量の水を後方に押しやりその反動で前進する船とは異なり、櫓船の櫓羽が水中を左右に動くことによって後方に押しやる水量は僅かです。もちろん、それによって幾らかの推進力は生じるでしょうが、櫓羽は水中で水泳の際のバタ足のような上下動をするわけではありませんから、その力はそう大きなものではありません。実を言うと、漕櫓によってもたらされる推進力の根源は別のところにもあるのです。それは流体力学などでお馴染みの「揚力」にほかなりません。
櫓羽の部分の各断面は上部の弧状の盛り上がりが下部のそれよりも大きくなっています。航空機の翼の断面を想像したうえで、その上部側曲線を対称になるように修正した形を思い浮かべてください。そんな櫓羽を櫓杭を軸にして水中で左右に動かすと、下方から上方に向かって櫓羽全体を押し上げる揚力が働きます。航空機の翼の断面の上側と下側を流れる気流の速度の違いによって両翼全体に生じる揚力の原理と全く同じです。そして、櫓羽を押し上げるその力は梃子の原理に従って船に固定されている櫓杭部に伝わり船の後部を押し下げようとしますが、船全体には浮力が働いていますから、その合力が結果的に船を前方に押し出すことになるのです。
航空機の浮上原理と古式和船の櫓による推進力の原理とが同じなのだと実感したときの驚きは少なからぬものでしたが、幼き日の原体験が物理学の知見と思わぬかたちで結び付いた喜びは、私にとってそれなりに大きなものでありました。