時流遡航

《遅すぎる「プログラミング教育必修化」提唱》 (2016,07,01)

(絶好の機会を逃した教育政策の無策)
 去る4月、文科省は小学校でのプログラミング教育の必修化を実践する旨の発表を行った。IT技術の飛躍的進歩の中にあってコンピュータ制御能力の育成は喫緊の課題だと判断したからだそうで、その後そのための有識者会議も開かれたようだ。プログラミング教科を新設するのではなく、算数・理科などの既存教科中にプログラミング教育を挿入する方針で、中高でもその展開を図るらしい。政府の産業競争力会議で示された新成長戦略中にも小中高でのプログラミング教育の必修化は盛り込み済みだという。この発表に接した私は、正直、言葉には尽くし難い虚しさを覚えた。何を今更……30年近い遅れをどうやって取り戻そうと言うのかという、遣り場のない思いが胸中に渦巻いたからである。80年代初めから10年余にわたって初等中等教育期における数学や理科の論理思考力養成と直結したプログラミング教育に深く関わったこの身には、当時の日本の教育学者や教育行政者の無策さ、無責任さ、ビジョンの欠落ぶりなどが苦々しく想い出されるばかりなのである。
 高名な認知心理学者ピアジェの教育理論をベースにMITのシーモア・パパートらが開発したコンピュータ教育用言語LOGOは、80年代に入ると一気に世界に広まった。論理演算用言語PASCALと人工知能用言語LISPの長所を組み合わせ、それにグラフィック用言語を加味した構成のLOGOは、その時代としては実に優れたシステムで、幼児でもキーボートを操作してお絵描きをしながらプログラミングの初歩を学ぶことができた。小中学生ならプログラミングの面白さを十分に体感しながら高度な幾何学図形を描いたり、易しい関数のグラフ類の描画ソフトを自作したりし、数学的な思考力やプログラミングの基本技術などを無理なく磨き高められもした。高校生ともなれば、三角関数、対数関数、ベクトル、微積分などの数式類を組み込んだプログラミングを行い、それらのもつ実践的な意義を会得することも可能だった。物理学の運動方程式などを組み込んだプログラムを作成し、視覚的かつ具体的にそれら諸式の記述する内容を理解することもできた。しかも、このコンピュータ教育言語の素晴らしさは、ハロルド・エーベルソンらの名著「Turtle Geometry」に見るように、大学生以上を対象にした高等数学や相対性理論の具体的論述も可能で、三次元LOGOなどの場合はそのままロボット制御にも活用できたことである。
また、リスト処理の機能を活用すれば、高度なフラクタルグラフィックや人工知能のコーディングに不可欠な「再帰(Recursion 」という無限ループ構造や「埋め込み型再帰(Embedded Recursion)」という多重入れ子構造のプログラミング概念などを、奇想天外な展開を楽しみながら学習できるという利点もあった。プログラム「A」がプログラム「B」中に、プログラム「B」がプログラム「C」中に、さらにプログラム「C」がプログラム「A」中に含まれるという三つ巴構造の奇妙なアルゴリズムを創り、何が起こるかを確かめるようなこともできた。試行錯誤のプログラミング過程で起こるバグ(誤謬)の教育的意義を重視し、バグから生まれる新たな発見や発想を楽しめるような配慮もなされていた。要するに、今回文科省が提示した教育要件をLOGO言語は既に満たしていたのである。
 プログラミング技術の重要性を認識した欧米先進国は、未来のIT人材育成に備えてLOGO言語を即刻初等中等教育に取り入れた。シンガポールは80年代初頭に国策としてLOGO言語を教育現場に全面導入し、ほどなく同国はアジアにおけるコンピュータ教育の最先進国となった。その数年後、次に国を挙げてのLOGO教育に踏み切ったのはインドである。それら両国の輩出する人材が世界のIT界をリードしている現状に鑑みれば、その教育効果のほどは一目瞭然であろう。ただ、我が国もLOGO教育に無関心だったわけではない。NEC、富士通、SONYなどのメーカーの一部技術者らは教育現場へのLOGO言語とコンピュータの大幅導入に期待かけ、コンピュータ教育の普及実践には協力的であった。 教育産業大手のベネッセなどもLOGO教育の一大展開を睨んでいた。
そんな時流の中で、その教育機能を高く評価していた私自身も各地でLOGO関連の講演や教員対象の実地指導を行い、幾つかの大学でその重要性を訴える講義も担当した。科学朝日ほかの雑誌にLOGO言語を用いた実践的教育記事を連載し、「LOGOと学習思考」という学校教員や学校教育研究者対象の書籍の執筆も行った。東京書籍に出向いて教科書の執筆・監修をしている数学の専門家相手にLOGOのデモンストレーションを行い、同社の編集責任者から、現役教師集団を補佐につけるのでLOGOによる数学教育の本格展開に協力して欲しいとの要請もなされた。だが、国内のLOGO教育熱はこの頃がピークで、そのあとは一気に醒めていき、間もなくその存在自体が忘れ去られることになった。
(未来ビジョン欠落の教育政策)
その原因は複合的だが、第一の要因は、当時の多くの経営陣がコンピュータは日本のお家芸である精密機器や素子類の集合体であると信じ、近い将来、複雑高度な記号言語を駆使したソフトウエア体系がその生命線になろうとは認識していなかったことである。また、教育環境や教育内容の平等性を絶対視する日本の教育制度にも問題があった。コンピュータ教育には機器教材類の配備や指導者の養成が欠かせない。さらに応用ソフトの操作法のみを教えるのとは違い、LOGO教育においては、指導者のプログラミング技術や対象となる数理科学カリキュラムの理解度が重要となるから、教師には指導面での力量差が生じる。一方の生徒側にも、個性差やテーマへの関心の有無、習得技術の応用力の高低などによって、理解度や学習到達度に差違が生まれる。それゆえ画一的試験による成績評価は至難であり、国内全ての学校において同時に同水準の教育を実践することは不可能であった。欧米とは異なり、コンピュータ教育を論じ導くべき教育学者らが自らはプログラミングの実体験など一切せず、LOGOをお絵かきツールくらいにしか考えていなかったことも阻害要因となった。さらに、コンピュータ教育に反対する日教組の動きなどにも影響された。
私に応対した当時の文部省の役人などは、「10年間は内容改更不要なLOGOの検定教科書が作れますか。さもなければ教育界や国民の承認は得られません」という、IT世界にとっては非現実的な見解を伝えてくる有り様だった。かくして初等中等教育における日本のプログラミング教育は遅滞し、個人的に開発蓄積した多数のLOGO教育関係応用ソフトや膨大な量の執筆原稿などもほぼ無に帰した。唯一の救いは、のちにインド筋から要請されて一切を無償供与し、同国の一部の教育現場で活用してもらえたことくらいだ。過ぎし日のそんな体験を顧みるにつけ、周回遅れのスタートではあっても、文科省や有識者の面々には真剣かつ真摯にプログラミング教育の普及促進に尽力してほしいと願うばかりだ。

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